関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

小樽の都市民俗学

旅館から見た小樽‐越中屋旅館を中心にして‐

中村知希 はじめに 本題に入って行く前に、小樽において旅館を調査しようと考えたいきさつを述べたいと思う。北海道という土地は人々によって開拓されることにより街が興り、それに伴い全国各地から多様な人々が行き交うようになった。小樽市は当時道内だけ…

小樽 喫茶店を通して見えるもの―老舗と革新派―

竹中佑里 はじめに 小樽には、戦後から昭和の末まで多くの“喫茶店”が存在した。戦後の日本に純喫茶や、ジャズ喫茶、カラオケ喫茶などさまざまな喫茶店があったように、小樽にも多くの名喫茶店が存在したのだ。喫茶店について記された『喫茶店の時代―あのとき…

知られざる戦後の生活誌―小樽・後志の樺太引揚者たち―

井手正広はじめに 私は今回の研究テーマを設定するに当たり、以前の調査で京都府舞鶴市にある引き揚げ記念館を訪問し、引き揚げ者に対して大きな興味を抱いたこと、また実際に私の母方の祖父が、シベリア抑留からの引き揚げ者であり、当時の話をよく聞かされ…

祝祭としての運動会

並川 梓はじめに 北海道の運動会は、春(5月下旬から6月上旬)に行われるのが一般的である。小樽も例外でなく、市内の公立小学校全27校が毎年5月の最終から6月の第一週目の土日に運動会を開催している。本州とは違う時期に運動会をすることには、気候の関係…

小樽における修験道

田中李沙はじめに 日本には無神論者が多い。修験道を調査している私もその1人だ。しかし海外では宗教をもたないことが極めて異例だと考えられる。人間の基礎を形成していく上で宗教はとても大切なものなのではないかと思った。無宗教が一般化している日本だ…

オタモイの記憶―遊園地と地蔵―

宮下毬菜 はじめに オタモイ海岸は、小樽市の北西部にあり、高島岬から塩谷湾までの約10kmに及ぶ海岸線の一部で、付近には赤岩山(371m)など標高200m前後の急峻な崖と奇岩が連なっている。一帯は昭和38年(1963年)ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、祝津…

生き残った小樽の和菓子屋たち

村川美有はじめに「小樽」といえば、今ではチーズケーキやバタークッキーなど洋菓子のイメージが強い。しかし、洋菓子土産が有名になる前、小樽は和菓子で有名であった。昔に比べてずいぶんと和菓子屋の数は減ってしまったようだが、今もなお残る和菓子屋に…

小樽の在日韓国人

北村美季はじめに 北海道では、大正5年あたりから北海道炭鉱汽船株式会社による朝鮮人労働者の大量採用が始まった。一時は朝鮮人工夫の労働力は「良く服従する」、「優秀な体力」により好評で1000人を超え、増加していたが、昭和5年以降の国内不況により募集…

最後のガンガン部隊―小樽の行商人「吉田のおばあちゃん」の暮らしと思い―

大西佐和はじめに ガンガン部隊とは昭和20年代末〜30年代に活躍した行商人である。ガンガン部隊が背負っていたブリキ缶の中には市場で仕入れた鮮魚や乾物が入っており、早朝から列車を使いそれらの商品を炭坑や地方に住む人々へ売りに行った。 目的地の…

小樽まつり―神社のまつりとまちのまつり

中川 保代はじめに 小樽市には約16の神社がある。毎年5月中旬から各神社で毎週のように例大祭が行われ、なかでも水天宮神社、龍宮神社、小樽総鎮守住吉神社の例大祭は小樽三大祭りと呼ばれている。三大祭りのトリを務める住吉神社例大祭は毎年7月14日、15日…

鰊漁場の200年

岡本千佳 はじめに (1) 北海道では江戸時代の文化年間(1800年ごろ)から大正時代にかけて、鰊漁が盛んに行われていた。最も豊漁となった大正14年には、小樽だけで鰊の年間漁獲量7万5,000石を記録した。注:生鰊200貫(750kg)が1石 収穫高…

小樽の印

岩本 悠 はじめに 小樽と聞いて思いつくものと言えば、ガラス、運河などであろうか。しかし、それだけではない。小樽には印がある。印(しるし)は家の近くの酒屋や魚屋の看板にも見ることができるような、日本人には見慣れたマークであるが、小樽では実にた…

ベネツィア化する小樽!?

那須くららはじめに ノスタルジックな街並みが自慢の小樽。修学旅行などで訪れた方も多いのではないだろうか。今回は小樽市にある表象について取り上げる。外国のシンボルがよく見受けられる堺町通り。小樽運河の歴史からさかのぼり、現在の小樽の姿を追った…

ハマカセギの男たち ―小樽港と港湾荷役労働者―

渕 修平 はじめに 現在、レトロな街並みで北海道の有名観光地となっている小樽。中でも小樽運河(下写真)は観光地小樽のメインの一つとなっている。多くの観光客が歩く運河沿いは、かつて艀と倉庫の間で荷役が行われていた。今でも運河沿いに一部残っている…

小樽と鉄工所-海から陸への変遷史-

橘 将吾はじめに 小樽は観光都市としての色を強く持ち、運河を中心としたノスタルジックな街並みを売り出しているが、古くから港町としての機能を持った都市でもあった。現在では太平洋岸貿易中心の流れにのみこまれてかつての勢いを失っている小樽港も江戸…

ムラサキの運行を支えた鉄道員−小樽、国鉄貨物輸送の歴史−

郄山斉明はじめに北海道初の鉄路として1880年11月に、手宮−札幌間が開業。これが小樽における鉄道の歴史、手宮線の始まりである。開通当初、鉄道輸送の主な目的は道央で産出される石炭の輸送であった。そして、のちに道内有数の炭鉱幌内まで延伸された…

会費で成り立つ結婚式

冨田歩 序章 北海道と冠婚葬祭 「会費制結婚式」の存在を知っているだろうか。北海道ではごく当たり前に行われている結婚式である。北海道は明治時代になって屯田兵により開拓された地域で、北海道民の祖先の多くは、明治時代から大正時代にかけて日本全国の…

小樽と仏壇

比良真実子はじめに 私たちの生活の中に何気なくある仏壇。日本全国では各地に仏壇の生産地があるが、北海道内で仏壇の生産地といえば小樽市である。その小樽仏壇についての調査をまとめる。第一章 仏壇とは (1) 仏壇とは 仏壇には、漆塗りに金箔が装飾さ…

水道局の記憶−小樽の「水道数え唄」から

高佑太はじめに:小樽の街と水 古くから小樽の水はうまいと定評がある。その理由は3つあるとされている。①豊かな自然と水源環境に恵まれ、水源地の上流には水質を汚染する雑排水もなく、原水の水質が良好であること。②ミネラル分を適度にバランスよく含んで…

「型」でつながる寺社と和菓子屋

森澤 仁美はじめに 昨年度の小樽社会調査で先輩が行った和菓子屋調査のテーマは、何故小樽には和菓子屋・餅屋が多いのかについてであった。今回、そこからもう一歩踏み込んだ発見をするため、まずは和菓子屋の現在と過去についての聞き取り調査を行うことに…

市場の立地〜どんなところに市が立つのか〜

保 智也 はじめに 小樽市は歴史的観点から見ても大きな商業都市であった。江戸時代は鰊漁で栄えたため港が作られ、明治に入り炭鉱の採掘と同時にその運搬のために鉄道が敷かれるといったように早い頃から交通機関が充実していた。昭和33年(1958)には…

小樽の市場景観

小樽の市場景観 木村 隆之 はじめに 今回の調査実習では小樽の市場について調査した。本論の第1章では、今回調査した市場について概況を紹介する。続いて第2章では、市場の道路について、三角市場の事例を用いて報告する。そして第3章では、下駄履き市場と…

小樽と蒲鉾

中野美菜はじめに小樽は地理的な好条件などから、蒲鉾産業が発展してきた。昭和30年代後半には、技術革新などに伴い、蒲鉾店は小樽全体で約70店にのぼった。しかし、その後200海里問題、食品添加物問題をはじめとした問題や、日本人の食文化の変化に…

小樽の繊維問屋史  ―問屋商人たちの足跡をたどる―

中前 亜侑子 はじめに 北海道の数ある都市のなかでも、特に観光地としてその名を知られる小樽。景観豊かな港町、あるいは運河の残るレトロなまちといったイメージの強い小樽だが、ここがかつて札幌を凌ぐ商業の中心地であったということを知る人は少ない。 …

ゴムと小樽

吉村 歩 第1章 小樽とゴム工業(1) 繊維問屋からゴム工業へ 小樽のゴム工業の起こりは、富山の繊維問屋である戸井物産の小樽支店長だった中村利三郎が当時の日本ではまだ珍しく、高価だったゴムに目を付けたところから始まるとされている。現在の小樽市役…

ガンガン部隊〜流通の先駆者の繁栄から衰退まで〜

ガンガン部隊〜流通の先駆者の繁栄から衰退まで〜土井麻奈未はじめに 終戦後、一億総買い出しの時代に、小樽では大きなブリキ缶に食糧を詰め込み、それらを背負って行商を行う人々の姿が多くみられるようになった。(写真1)食糧不足のこの時代は、小樽だけ…

小樽とガラス

はじめに 小樽ではガラス産業が盛んである。ガラスの浮玉・ガラス製のランプ・工芸品をはじめとして様々なものが特産として名を連ねている。その中でも、小樽のガラス産業の礎とされているガラスの浮玉がある。本調査では、ガラスの浮玉を通して発展した小樽…

1小樽と和菓子 2小樽と精米事業

1小樽と和菓子 外村 美里 第1章 (1) 研究動機 事前調査の段階で小樽には和菓子屋・餅屋が多いということがわかり、これに疑問をもった。何故小樽という港町においてそのような店が現在多く存在するのか。現地でのフィールドワークはこれをテーマに調査…

小樽に広がる銭湯文化

小樽に広がる銭湯文化井谷 亜沙美第1章 銭湯とは何か 銭湯—その歴史は古く、約900年前の平安時代から存在し、現在のように街中に銭湯が出現したのは江戸時代のことであった。当時は蒸風呂式の“風呂屋”と、湯船に浸かる方式の“湯屋”の二種類の銭湯が存在し…

樺太(海馬島)引揚げと小樽

樺太(海馬島)引揚げと小樽 大木 言葉1.日本と樺太 1−1.樺太の歴史 樺太は北海道のさらに北に位置する島で、面積は北海道よりも少し小さい。北緯50度を境界とし、南側を南樺太、北側を北樺太と呼ぶ。現在樺太にはロシア連邦がサハリン州を置いている。北樺…