関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

民間宗教者と北海道岩木山神社 ―神霊感師 仁和美枝氏―

目次

 

はじめに

1.北海道岩木山神社について

2.神霊感師 仁和美枝氏

 2-1.生い立ちと能力の取得

 2-2.室蘭に至る

 2-3.北海道岩木山神社との出会い

 2-4.神社との繋がり

 簡易年表

3.巫儀の現場

結び

謝辞

参考文献

 

はじめに

 春学期に実施された北海道室蘭市での調査実習において、私は室蘭市内の神社について調べた。特にその中でも今回は、北海道岩木山神社及びそこの民間宗教者である仁和美枝氏についての調査を行った。

 

1.北海道岩木山神社について

 北海道岩木山神社は北海道室蘭市にある岩木山神社の摂末社の一つである。岩木山神社とは青森県弘前市にそびえ立つ岩木山の麓に位置する神社で、主に青森の人々による信仰が盛んである。

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写真1:弘前市(右下)と岩木山(左上)Google mapより

 室蘭市には現在二つの岩木山神社の摂末社が存在している。室蘭市は新日本製鐵室蘭製鉄所(新日鉄)のお膝元であり、鉄鋼業で発展した工業都市である。かつてそこには「津軽衆」と呼ばれる青森から室蘭市へ出稼ぎに来た労働者が数多くおり、一時期は室蘭市の人口の実に約三分の一を占めていた。しかし当時は出稼ぎで故郷を離れた寂しさ故か、津軽衆同士の間で喧嘩や争いごとが絶えなかったという。そこで津軽衆達の心の拠り所として、青森の人間にとって馴染み深い神社である岩木山神社を室蘭市内に建てたのが室蘭市の岩木山神社の始まりである。

 こうして津軽衆らの手によって、室蘭八幡宮の裏手にある室蘭岩木山神社、輪西地区にある北海道岩木山神社、本輪西八幡神社内にある岩木山神社の計三つの神社が建てられ、津軽衆らによる管理や祭祀が盛んに行われた。しかし戦後の不況で鉄鋼業が衰退するにつれ、津軽衆の中にも地元へ帰る人間が出始め、津軽衆自体の数が減り始めた。その結果津軽衆間の繋がりが弱くなり、津軽衆減少による岩木山神社自体への意識の低下などから祭祀や神社の管理自体も難しくなっていった。その結果2013年には室蘭岩木山神社が廃社となり、現在は二社が残存している状況にある。(金子,2016,258頁)

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写真2:室蘭市内にある岩木山神社三社の位置関係。Google mapより

 しかし室蘭市の岩木山神社が衰退している中、昭和26年に建てられた北海道岩木山神社(写真2:右側)は例外的で、現在でも比較的盛んに活動が行われている。これには昭和38年から神社と関わりを持っている民間宗教者である仁和美枝氏の存在が強く影響していると考えられる。

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写真3:北海道岩木山神社社殿

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写真4:鳥居の裏側 仁和美枝氏の名前が記されている

 

2.神霊感師 仁和美枝氏

 仁和美枝氏は北海道岩木山神社の婦人部長であると同時に特異な力を持つ民間宗教者で、周囲からは「カミサマ」と呼ばれている。「カミサマ」とは青森県の津軽地方における、「神仏と直接的に関わる能力によって祈祷や占いなどを行う人」(村上,2017,4頁)のことを指す。

 

2-1.生い立ちと能力の取得

 仁和氏は如何にしてカミサマとしての能力を持つに至ったのだろうか。彼女は1940(昭和15)年に青森県十和田市で生まれた。彼女は生まれつき目が見えなくなる病を患っており、この病を治すために彼女の母はまだ幼い彼女を連れて日本各地の病院や神社仏閣を訪ねて回っていた。この時点で既に彼女には神に呼ばれるような感覚があり、寝ている間に枕元に白い着物を着て髭を生やした老人が枕元に現れて金縛りに遭うようなこともあった。金縛りは父と一緒に寝ると起きなかったので、彼女は父とばかり寝ていた。彼女自身、自分の目が見えないのは神が仕組んだことで、神が自分を呼びに来ていたのではないかと感じているという。

 そんな旅の最中、仁和氏が4歳の頃のことである。彼女の母が電車の中に居合わせた老婆に病のことを話したところ、板柳にある高増神社と呼ばれる神社に行くといいと言われた。その老婆もまたカミサマであった。その高増神社でお参りを行うと、仁和氏は人を助けるために生まれてきた存在であるから修行をするようにということを告げられた。そうして彼女は八戸にある下沢という場所で修行をすることになった。

 修行を行ううちに一時的ではあるが目が見えるようになったが、まだ完全に見えるようになったという訳ではなく、見える時期と見えない時期とを繰り返すようになった。目が見えるようになって以降は学校にも通うようになったが、当時はいつまた目が見えなくなるのかと内心不安だった。その不安から自殺未遂もするようになり、線路の上に寝そべっていたところを駅員に見られ怒られ叩かれるようなこともあった。

 転機が訪れたのは仁和氏が17歳の夏休みのことであった。当時出会ったセンセイと呼ばれる老婆に岩木山の側にある赤倉山という場所で修行を行うと目が見えるようになると言われ、彼女はそこで修行をすることになった*1。行きは彼女の母とセンセイに連れられて修行場に向かったが、着いた先で21日経つまで帰ってくるな、帰りは一人で帰ってこいと言われ、彼女はそれからの21日間一人きりで赤倉での修行を行った。ひたすらご祈祷をし、辺りが暗くなる度に地面に笹を刺して日数を数え、朝に草木に付く朝露のみを口にする日々が続いた。そして来る21日目、朝日が昇ると目の前が急に明るくなり、遂に目が完全に見えるようになった。彼女は喜びのあまり急いで下山し、母に真っ先にその旨を伝えたという。以来彼女は神と繋がることのできるカミサマとしての能力を身につけた。

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写真5:岩木山の北側に位置する赤倉山(右上) Google mapより

 

2-2.室蘭に至る

 仁和氏は高校卒業後、民謡団の重役であった彼女の父親が取引していた劇団に入り、20歳の頃(昭和35年)に劇団の公演のため室蘭に渡ることになった。当時の彼女には劇団内に想いを寄せる人がいた。しかし劇団内での恋愛は固く禁じられており、恋愛関係が発覚した場合は男女ともに劇団を追い出されることになっていた。そのため彼女はその人に迷惑が掛からないよう、想いを伝えることなく単身で劇団を抜け出し、以降は室蘭で生活していくことになった。

 最初の五日間ほどは東室蘭の駅内の重油ストーブの焚いている側で寝泊まりをしつつ三味線を弾き歌い歩くことで生活していたが、スナックで三味線を演奏した際に親しくなったママに部屋を貸してもらい、それから10年間ほどそのスナックで働くようになった。それと同時期にトヨタの自動車工場にも入社して車の塗装作業もするようになった。自らの能力を用いた占いはこの頃から始めていたという。

  その当時まだ若く世の中のことをよく分かっていなかった彼女は、ある時ミシン会社の集金屋に印鑑と印鑑証明書を渡してしまった。その後数年の間に印鑑は悪用され、やがて東京から1000万円以上の借金を取り立てに人が来るようにまでなってしまった。あまりのことに気が動転した彼女は取り立てに来た人物の滞在する建物に火を点けようした。車を走らせ建物の前まで赴きガソリンを蒔いて、ライターで点火させようとした。しかしどういう訳か、煙草のために常に携帯しているはずのライターが一向に見つからなかった。彼女はその時、神にライターを盗られたのだと感じたという。結局放火を諦めた彼女はそのまま洞爺湖まで向かい、その先で老夫婦の営む旅館に泊めてもらった。老夫婦は憔悴しきった様子の彼女を気遣い、快く泊めてくれたという。借金は後に額を正確に計算し把握した上で、東京で事業をしていた母方の叔父にお金を貸してもらうことで無事に返済することができた。

 

2-3.北海道岩木山神社との出会い

 仁和氏が北海道岩木山神社と関わり始めたのは室蘭での生活を始めて3年経った昭和38年のことである。仁和氏が夜の室蘭を歩いていると、子供を背負った母親が自殺をしようとしている現場に遭遇した。仁和氏は女性を引き止めてその訳を聞こうとしたが、女性はただ助けてと力なく呟くばかりであった。仁和氏はそんな女性を叱咤激励し、警察に連れて行き保護させた。やがてこの事が新聞や口頭などの手段で知れ渡ると、そのことや以前から行っていた占いのことを知った津軽衆が仁和氏の元にやってきた。津軽衆は彼女が赤倉山で修行をしたカミサマであることを知ると、すぐさま彼女を北海道岩木山神社に連れて行き、その先で仁和氏にカミサマとして神社を守っていってもらえないかと頼みこんだ。津軽衆達は衰退しつつあった神社を仁和氏のカミサマとしての能力を用いて再興させようとしたのである。こういったわけで仁和氏はなし崩し的に北海道岩木山神社と関わっていくことになった。

初め仁和氏は毎月一日にのみ神社に赴いて、そこで占いを行った。この頃の仁和氏は17時まで車の工場で働き、そこから20時までカミサマとしての占いを自宅で行い、23時までスナックで働き、2時までは家で日本人形を作るといったように、カミサマの仕事のみならず複数の職業を平行して行っていた。後に彼女は神社の婦人部長になり、それによって神社との結びつきはより強いものになっていった。昭和42年には神社を現在の社名に改名をし、同時に神社は独自の宗教法人として登録された。

神社で行っていた占いによって神社の信仰者は徐々に増えていった。そのため昭和47年には、窮屈になりつつあったそれまでの旧社殿から現在の新社殿へと神社の場所を移動させた。昭和63年には弘前の岩木山神社本山からのキャラバン隊を招き、逆にこちらも15~6人でキャラバン隊を作り本山へ向かうというような活動を始めた。また岩木山信仰に則った津軽太鼓や登山囃子を祭祀で披露するなど精力的に活動を続け、現在に至っている。

また神社の運営に必要となる資金は仁和氏自身が賄っている。そのため現在でも着物の着付けや舞踊などの様々な職業に就いている。

 

2-4.神社との繋がり

現在の神社には津軽衆がいたという名残はほとんど残っていない。現在いる50名程度の氏子達は津軽ではない他府県の出身の人がほとんどである。仁和氏の人柄や占いをしてもらったことによって信仰者となった方ばかりであり、偶然飛行機で仁和氏の隣の席だったことがきっかけでこの神社に参拝している方もいる。かつては津軽衆たちの心の拠り所として建てられた北海道岩木山神社だが、津軽衆達の繋がりはもう存在しておらず、代わりに今はカミサマである仁和氏を中心とした繋がりが形成され、その集団のもとで行われる宗教的な実践によって神社は維持されているといえる。

  

 *1 赤倉山は厳密に言えば山ではなく、岩木山の北麓の赤倉沢を中心とした台地のことを指す。(村上,2017,143頁)

 

【簡易年表】

・昭和15年:仁和氏、青森県十和田市に生まれる。

・昭和17年:2歳の頃から既に神に呼ばれるような感覚あり。

・昭和19年:4歳の頃、各地の病院を巡っていた最中カミサマと出会い高松神社へ。八戸の下沢で修行を行ったところ、一時的ではあるが目がみえるようになる。これを期に学校にも通い始める。以降様々な場所で修行を行う。

・昭和26年:北海道岩木山神社旧社殿が青森県人会によって建てられる。

・昭和32年:17歳の夏休みに赤倉山にて21日間に及ぶ修行を行い、目が完全に見えるようになる。同時にカミサマの能力を習得。

・高校卒業後、父親が取引していた劇団に所属。

・昭和35年:20歳の頃、所属していた劇団の公演で室蘭へ向かうが後に単身で劇団を抜け、以降室蘭での生活を始める。

五日間程度東室蘭駅で寝泊まりした後、スナックやトヨタの自動車工場で働き始める。この頃から既に占いを行っていた。またこの頃に印鑑をミシン会社に貸してしまう。

・印鑑を貸してから数年後に1000万の借金を請求される。

・昭和38年:23歳の頃、自殺しようとしていた女性を介抱したことを知った津軽衆に連れられ北海道岩木山神社と関わり始める。後に神社の婦人会会長になり神社との関わりが深くなる。

・昭和42年:北海道岩木山神社に社名を改名。

・昭和47年:信仰者の増加から神社を現在の場所に移動、新社殿設立。

・昭和63年:岩木山神社本山からキャラバン隊を招くようになる。

 

3.巫儀の現場

 6月8日に聞き取りを行った際、実際に仁和氏に占いをしていただいた。映像の録画や音声の録音をすると託宣の効果が無くなってしまい良いことが全くないということで、占いの儀式の間の撮影録音は一切禁止であった。占いの形式は仁和氏の身体に岩木山の神が降臨し、彼女の身体を介しての託宣を行うというものである。

占いの流れとしては、まず仁和氏が神社の本殿の前に座り祈祷を行う。その際に岩木山の神以外にも天照大神や秋田三吉神社の神など様々な神格の名前が登場する。祈祷を始めてからしばらくすると、彼女が身体を左右に小刻みに揺らし始める。この状態になると神の託宣が始まる。声を放っているのは仁和氏の身体であるが、話をしているのは岩木山の神である。託宣が終わってからは神への御礼などを再び行い、儀式は終了する。

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写真6:正面から見た本殿の様子。

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写真7:社殿内の様子。祭事に用いる津軽太鼓などが置かれている。

 儀式の後で仁和氏に伺ったところによると、託宣を行っている最中は記憶や意識などは一切無く、自身が何を言っているかも直接には分からない。ただ言っている内容が映画の映像のように頭の中を駆け巡るような感覚があり、それと後で客の述べた託宣の内容を踏まえることで、自身の身体が述べた内容を知ることができるということである。また祈祷の間には身体を龍神が締めつけるような感覚があり、やがてその龍神が彼女の頭に噛みついた時に意識が無くなって託宣が始まるのだという。

 占いの時以外にも神からのお告げが来ることはよくあるという。例えば夜寝ている間に夢の中に神が現れて、近々彼女の元を訪れる人の身なりや性格などが告げられ、そしてお告げの後はその特徴と一致した人が必ず訪れるそうだ。また修行で石神山に訪れた際は髭を生やした老人に、カミサマに男は要らない、結婚をしても相手がすぐに早死にするので結婚はしない方がいいと言われ、事実その通りになったということもあった。他にも10年間働いたスナックを辞めた際に神社でお参りをしたところ、神が「よく来た」と言って点いていた蝋燭を龍のような形に変化させたということもあるなど、仁和氏の持つカミサマの能力は非常に興味深いものである。

f:id:shimamukwansei:20190915132449j:plain写真8:神が仁和氏に見せた不思議な現象。蝋燭が昇龍のような形に変化している。

 

結び

 室蘭市にある北海道岩木山神社は、かつて新日鉄に出稼ぎに来た津軽衆達の心の寂しさを紛らわす心の拠り所として建てられた神社であるが、今現在津軽衆たちのつながりはすでに存在していない。代わりにカミサマである仁和美枝氏と彼女の持つ特異な力によって彼女を中心とした新たなつながりが生まれ、その集団のもとで宗教的な実践が行われていることがわかった。

 

謝辞

 今回の調査を行うにあたり、多くの方々にご協力を賜りました。突然の訪問にも関わらず快く応じてくださった仁和美枝様、お忙しい中お集まりいただき、手厚くもてなしてくださった北海道岩木山神社の皆様には大変お世話になりました。このレポートを無事書き終えることができましたのも、ひとえに皆様のお力添えによるものと、深く感謝しております。この場を借りてお礼申し上げます。誠にありがとうございました。

 

参考文献       

・村上晶,2017,『巫者のいる日常―津軽のカミサマからスピリチュアルセラピストまで』,春風社

・金子直樹,2016,『岩木山信仰の伝播についてー主に信仰圏の背景と北海道への展開を中心にしてー』,E-journal GEO Vol.11

 

 

2019 民俗学 サマー・セミナー

関西学院大学世界民俗学研究センターでは、「2019 民俗学 サマー・セミナー」を開催しました。

2019 民俗学 サマー・セミナー

2019年9月2日(月)10:30 ~19 : 00
関西学院大学大阪梅田キャンパス

全体テーマ:「民俗学をいかにつくるか」

開設記念講演

 講演1 島村恭則(関西学院大学教授) 「民俗学をいかにつくるか」

 講演2 山 泰幸(関西学院大学教授) 「哲学カフェと民俗学」

若手シンポジウム「民俗学をいかにつくるか」

第1部 基調報告「民俗学をいかにつくるか」
 三隅貴史(関西学院大学大学院) 「批評とはどのような行為か」
 孫 嘉寧(関西学院大学大学院) 「理論とのつきあい方」
 宮澤早紀(佛教大学大学院) 「現在と向き合う」

第2部 研究実践報告「研究の現場から」
 倉田健太(総合研究大学院大学) 「行為から意識へ―新居浜太鼓祭りにおける喧嘩の変遷―」
 雷 婷(東京大学大学院)   「ローカル芸術としての中国・金山農民画」
 李 軒羽(関西学院大学大学院) 「中国の現代伝説―研究史を中心に―」
 坂元美咲(関西学院大学大学院) 「災害の記憶継承をめぐる民俗学的検討―福井地震(1948)を経験した永平寺町を事例に―」
 市東真一(神奈川大学大学院)  「フィールドとの対話と発見―松本市街地での体験を通して―」
 渡 勇輝(佛教大学大学院)   「日本における民俗学知の形成―大正期の「国民道徳」研究との関連から―」
 山﨑 遼(立命館大学大学院)  「欧米現代民俗学の一例―スコットランドの少数民族トラベラーの研究―」

講評・総括  桑山敬己(関西学院大学教授)

第3部 若手交流会(懇親会)

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招待講演「ディオニュソスとヴァナキュラー: 民俗学的視角とは何か」

2019年7月6~7日に韓国・翰林大学校で開催された国際シンポジウム「ポスト帝国の文化権力とヴァナキュラー:民俗学から日常を問う」で招待講演「ディオニュソスとヴァナキュラー: 民俗学的視角とは何か」を行ないました。

このシンポジウムは、翰林大学校、実践民俗学会、日常と文化研究会の共催、韓国政府教育部、韓国研究財団等の後援により、ドイツ・アメリカ・中国・韓国・日本の研究者が、ポスト・コロニアル状況における文化権力をめぐって、ヴァナキュラーの視点から議論することを目的に開催されたものです。

日本からは、岩本通弥東京大学教授、周星愛知大学教授、山泰幸関西学院大学教授、田村和彦福岡大学教授、門田岳久立教大学准教授、東京大学大学院博士後期課程の川松あかりさんが参加しました。f:id:shimamukwansei:20190708170657j:imagef:id:shimamukwansei:20190708170703j:imagef:id:shimamukwansei:20190708170728j:imagef:id:shimamukwansei:20190708170802j:imagef:id:shimamukwansei:20190708170842j:imagef:id:shimamukwansei:20190708170912j:image

地元紙で調査実習の様子が紹介されました。

『室蘭民報』2019年6月11日付朝刊より

 関西学院大学(兵庫県西宮市)社会学部の学生たちが、社会調査実習のため7日から10日まで室蘭市内に滞在し、労働者文化や信仰、風習などについて調査した。市民の協力を得ながら声を聞き取り、飛び込みの取材を重ねて「室蘭像」を浮かび上がらせた。
 現代民俗学が専門の島村恭則教授のゼミに所属する3年生の男女11人。室蘭は鉄鋼や製鋼、造船などの現場で働く労働者が形成した文化が息づき、伝統的な信仰が受け継がれ、戦後は新たな宗教が生まれた地。研究対象となるテーマが揃ったまちとして、地方都市研究の舞台に初めて選んだ。学生らは1人または2人で聞き取り調査し、労働者の生きざまや、地域の歴史を記録した。
 B級グルメとして定着した「室蘭やきとり」が労働者にどう受け入れられ、食べられていたかをテーマに、市内の焼き鳥店をはしごして調査した岩渕香奈さん(20)は「同じ室蘭の焼き鳥店でも地域によって客層や営業形態が違う点が面白い」と感じた。
 8日の夕方、輪西町の八条通りにある老舗焼き鳥店「鳥よし」。すべての焼き鳥を1品ずつ頼み、ソフトドリンクとともに味わいながら店主の小笠原光好さん(81)に質問を繰り返す岩渕さんの姿があった。約1時間の取材で、工場の交代勤務に合わせて営業していたことや、仕事で失敗しても上司が「ここでおしまい」と翌日に持ち越さない場になっていたことなどを丁寧に聞き取った。
 職場でも住居でもない「第3の場所(サードプレイス)」として独自の発展を遂げた焼き鳥店は室蘭を象徴する場所のひとつ。島村教授は「近代の社会は非合理なものをできる限り排除してきたが、サードプレイスやお化けといった非合理なものを人間はなくすことはしなかった。非合理なものをモザイク状に重ね合わせると、まちが立体的に見えてくる」と話す。
 その上で「実習は過去の記憶の蓄積を発掘する術(すべ)を身に付ける練習になる。学生の多くは西日本の地方都市出身。古里に戻ったとき、視野が変わる」と狙いを話した。
 実習の成果は、ストーリー性を持たせたレポートにまとめ、協力者に事実確認をした上で、ゼミのホームページ上に公開する。(野村英史)

http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2019/06/11/20190611m_03.html

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鉄のまち室蘭の都市民俗調査

 世界民俗学研究センターの研究・教育活動の一環として、2019年6月6日から10日まで、北海道室蘭市において都市民俗調査を実施しました。調査員は、関西学院大学社会学部島村恭則ゼミの3年生11名で、「社会調査実習」の授業として行なったものです。

 調査テーマは、「民間宗教者と北海道岩木山神社」「清滝寺の霊泉と不動明王信仰」「天照教―戦後室蘭で生まれた新宗教―」「室蘭の座敷わらし」「労働者文化としての室蘭やきとり」「社宅街のくらしと記憶」「鉄鋼マンの生活誌」「現代の番屋―漁船乗組員の集団生活―」「イタンキ漁港と漁民のくらし」です。

 かつて、アメリカの民俗学者、リチャード・ドーソン(Richard M. Dorson)は、都市民俗学黎明期の作品として、 Land of the Millrats (1981)を刊行しましたが、これはインディアナ州の製鉄都市をフィールドとした研究です。今回、室蘭をフィールドに選んだ背景には、本書の存在があります。

 調査成果は、本年秋に世界民俗学研究センター、および島村研究室のホームページ上で公開の予定です。

 現地調査でご協力いただきました室蘭の皆様に深く感謝申し上げます。

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世界民俗学研究センターが設置されました。

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 2019年4月1日、関西学院大学世界民俗学研究センターが設置されました。本センターは、次の5点を目的として、関西学院大学特定プロジェクト研究センターの一つとして設置されたものです。

 

1.世界民俗学に関する国際的情報収集

2 世界民俗学の理論構築

3 世界民俗学に関する国際的情報発信

4 世界民俗学に関する研究者養成

5 世界民俗学に関する対社会的知識公開

 

 センターの研究員は、関西学院大学の民俗学・文化人類学担当教員を専任研究員とし、アメリカ、ドイツ、ブルガリア、中国、韓国、日本の民俗学において第一線で活躍する研究者を客員研究員として組織しています。

 センターでは、具体的事業として、理論民俗学研究会の開催、関西学院大学民俗学・文化人類学リブレットシリーズの刊行、若手研究者養成セミナーの実施、大学院教育、民俗学に関する学術情報の公開と普及活動などを行なっています。

 センターについての詳細は、世界民俗学研究センターのホームページ​をご参照ください。

         https://www.kg-folklore.com/

 

 

 関西学院大学世界民俗学研究センター長・教授 島村 恭則

新刊『文化人類学と現代民俗学』風響社、2019年4月8日

『文化人類学と現代民俗学』(関西学院大学現代民俗学・文化人類学リブレット)

桑山敬己・島村恭則・鈴木慎一郎 著

風響社、2019年4月8日刊行、定価(本体900円+税)

 

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シンポジウム「物質文化・文化遺産・生活様式」

「物、文化遺產與生活方式」工作坊

2019年3月23-25日,南方科技大學,中國 深圳

Objects, Cultural Heritage and Lifestyle

Workshop to be held on 23-25 March 2019

Southern University of Science and Technology, Shenzhen, China

 

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Chengwei LIN 林承伟教授

Taipei National University of The Arts 国立台北艺术大学


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Xiaochun LIU 刘晓春教授

Sun Yat-sen University 中山大学


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Yongyi YUE 岳永逸教授

Beijing Normal University 北京师范大学


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2018年度卒業式

2019年3月18日 2018年度 関西学院大学卒業式が行なわれました。

また、同日、島村ゼミの川路瑞紀さんが、社会学部優秀論文賞 最優秀論文賞を受賞し、社会学部チャペルにて授賞式が行なわれました。

受賞論文は、「廃仏毀釈のゆくえ―鹿児島県日置市「妙円寺詣り」の事例―」です。

同論文は、2019年秋刊行の『関西学院大学社会学部紀要』第132号に全文掲載の予定です。

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京都民俗学会卒業論文発表会

京都民俗学会卒業論文発表会

2019年3月16日、立命館大学

 

赤井詩織(関西学院大学社会学部)

「パフォーマンス化するススキ提灯―奈良県御所市鴨都波神社の事例―」

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川路瑞紀(関西学院大学社会学部)

「廃仏毀釈のゆくえ―鹿児島県日置市「妙円寺詣り」の事例―」

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京都民俗学会
kyoto-minzoku.jp

 

大学院集中講義 武田俊輔准教授(滋賀県立大学人間文化学部)

大学院集中講義 武田俊輔 滋賀県立大学人間文化学部准教授

社会学特殊講義Ⅰ・社会学特殊研究Ⅰ

2019年2月13-15日

【授業目的】

 この講義では現代日本の地域社会における文化資源と、それにともなう社会関係・社会構造について論じる。そうした文化資源の分析においては、農村社会学における地域資源、コモンズ論における自然資源とその管理の仕方をめぐる研究等について参照しつつも、それとは異なる視点から研究を行う必要がある。
 まずは担当者自身による、都市祭礼や農山漁村の民謡・民俗芸能、ローカルな放送メディアといった対象に関する社会学的研究を手がかりとして具体的に論じていく。その上でこの講義のテーマや対象と関連する研究テーマ(例えば地域社会・メディア・歴史的環境・民俗文化・文化遺産等)を持つ受講者による報告・討議をできるだけ取り入れたい。

【到達目標】

 地域社会や文化資源に関する研究のアプローチについて理解し、またそれを自身の研究に活かせるようになること。

【キーワード】

文化資源 都市祭礼 民俗芸能 放送メディア 民俗文化 文化遺産 地域社会 歴史的環境

研究者詳細 - 武田 俊輔

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宝くじの民俗学-布施ポッポアベニューチャンスセンターの事例-

山田 馨

【要旨】

本研究は、宝くじについて、大阪府東大阪市・布施をフィールドとして現地調査を行うことで、宝くじの現状と売り場から見た将来について明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

1, 宝くじは、地方自治体の財政資金を調達し、収益金を公共事業などの資金に充てることを目的として売り出されており、販売総額のうち、約 47%が当選金として当選者に支払われる。約 14%は印刷経費や売りさばく際の手数料、1.5%ほどが社会貢献広報費、約40%が収益金として利用されている。

2, 布施は現東大阪市の旧地名で、近鉄布施駅周辺のことを指す。布施戎神社があることから「えべっさんの町」として親しまれている。

3,布施ポッポアベニューチャンスセンターは、縁起のいい名字の販売員が多くいることでメディアに取り上げられたこと、近くに布施戎神社があることから、幸運の売り場として有名店となった。

4,宝くじの売り上げは減少傾向にあり、売り上げ回復には若年層を取り込むことが重要とされている。売り上げ低迷の理由として考えられることは、還元率が低すぎることと、主な購入層であった中高年層が年金受給者となっていることである。

5,2018年、宝くじのネット販売が開始された。売り場の販売員にとって、お客さんとコミュニケーションをとりながら販売することが仕事の楽しみややりがいのひとつである。しかし、ネット上ですべて完結することが新しい層に宝くじを購入してもらうためには重要な政策である。

【目次】

序章 問題と方法

第1章 宝くじ

第1節 宝くじとは

第2節 収益金の使途

第3節 歴史

第2章 「えべっさんの街」布施

第1節 東大阪 布施

第2節 商店街の形成

第3節 布施戎神社

第3章 布施ポッポアベニューチャンスセンター

第1節 布施ポッポアベニューチャンスセンター 

第2節 従業員 恵美須屋理代子氏の語り

第3節 来店客 N氏の語り

第4章 現場から見た宝くじの現状と将来

第1節 宝くじの現状

第2節 ネット販売

結び

謝辞

文献一覧

【本文写真から】

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写真1 布施ポッポアベニューチャンスセンター看板

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写真2 布施ポッポアベニューチャンスセンター

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写真3 布施戎神社 戎像

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写真4 布施戎神社

【謝辞】

本論文執筆にあたり、お忙しい中お話を聞かせてくださった布施の商店街の皆さま、お忙しい中お時間をいただきお話をしてくださった布施ポッポアベニューチャンスセンターの恵美須屋様、客として来店しているにもかかわらずお時間をとってお話をしてくださった方、ご協力いただきありがとうございました。

皆様のご協力なしには本論文を完成させることはできませんでした。心よりお礼申し上げます。