関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

小樽と仏壇

比良真実子

はじめに
 私たちの生活の中に何気なくある仏壇。日本全国では各地に仏壇の生産地があるが、北海道内で仏壇の生産地といえば小樽市である。その小樽仏壇についての調査をまとめる。

第一章 仏壇とは
(1) 仏壇とは
 仏壇には、漆塗りに金箔が装飾された金仏壇と、木目調の唐木(木地)仏壇がある。浄土真宗の盛んな北陸や近畿では豪華な金仏壇が多く、関東では唐木仏壇が収集とされている。また最近では家具調仏壇といって、一見家具のように見える仏壇も売られ人気となっている。
 仏壇の製作には、木地師塗師・彫刻師・蒔絵師・金具師という職人が関わっていて、作業が細分化されている。

(2) 小樽と仏壇
小樽仏壇の発祥は明治20年代に新潟県出身の塗師が小樽に移住し、次第に木地師などの職人が定住するようになったこととされている。それゆえ小樽仏壇は新潟系の金仏壇である。道内の仏壇生産の90パーセント以上を小樽市が占めていたこともあるほど、圧倒的なシェアを誇っていた。

第二章 寺山神佛具店
 はじめに、道内で最も古い寺山神佛具店でお話をうかがった。もともと新潟県で「大黒」というお店をやっていた初代が、明治22年に小樽へやってきて堺町で漆器の取りあつかいを始めた。それからしばらくして仏壇の専門店になった。昭和2年に堺町から現在の稲穂へと店を移した。新潟仏壇を簡素化させた小樽仏壇を作り、人気が出た。

写真1 寺山神佛具店

 小樽仏壇の特徴を詳しく聞いてみると、他の仏壇に比べサイズも小さく質素な点にあるという。北海道ではあまり高価な仏壇が売れないため、小樽仏壇の需要が高くなったそうだ。

写真2 小樽仏壇

写真3 金沢仏壇

 衝撃を受けたのは、「うちではもう仏壇を作っていない」という一言であった。秋田・新潟・金沢・京都といった優れた技術を持った産地がほかにもあること、安価な中国やインドネシアなどの外国製が売られるようになったこと、そもそも仏壇を祀る家庭が少なくなったことなどの理由から、昭和50年代ごろより小樽仏壇は売れなくなってしまった。そうして小樽仏壇を製作する職人さんの数が減り、現在は市内にある一店でだけ作製されているそうだ。実際今では寺山神仏具店での売り上げの7割が、唐木仏壇だという。

第三章 小樽仏壇の現在
 前章で述べたとおり、今では小樽仏壇の制作はほとんどされておらず、職人の方の数も減少してきている。職人の方々は現在小売のほかにどのようなお仕事をされているのか。市内の他の仏壇店でお話をうかがった。

(1) 修理―岡部仏壇店―
 ひとつめの仕事は、仏壇の修理である。職人坂にある岡部仏壇店で実際の作業の一部を見せていただいた。ちなみに職人坂というのは山田町にある坂の名称で、仏壇店や家具屋・建具屋が点在している。しかしなぜそこに密集しているのかは明らかではないそうだ。

写真4 岡部仏壇店

 まず①注文を受けた仏壇をばらばらに解体して、苛性ソーダを使ってロウを落とし、十分乾かした後、パテという塗料で傷を埋めていく。

写真5 ばらばらに解体された仏壇の一部

次に②一週間ほどかけて下地を塗って、ガソリンでとかした「カシュー」という塗料(漆の代用品として使われる)を塗り、乾かしていく。現在ではこの作業を手塗りで行える職人さんは少なく、吹き付けでの塗りが一般的だという。お話を伺った岡部さんはそんな数少ない職人さんの一人で、今でも手塗りの作業を続けているそうだ。

写真6 乾かす工程

写真7 塗りの作業に必要な道具の一部

写真8 塗料
 
そして③金箔・金具・蒔絵のそれぞれを修復する。現在では蒔絵はシール状になっているものが多いという。ちなみに岡部仏壇店では、金具の作業は新潟に持っていくそうだ。

写真9 箔押しの作業

写真10 箔押しの作業

最後に④仏壇を元通り組み立てをして完成である。

写真11 修理が完了した仏壇
 
作業の中で一番苦労するところを聞くと、塗りと箔だという。というのもほこりが入ってしまったり、金箔が飛び散ってしまったりするのを防ぐために、どちらも窓を閉め切って作業するため夏になると本当につらいそうだ。

(2) 体験学習―藤本仏壇製作所―
 稲穂にある藤本仏壇製作所の2代目店主・藤本𥶡さんは現在修理の他に体験学習の講師として、修学旅行の子どもたちなどにお箸の金箔貼りを教えている。

写真12 藤本仏壇製作所

 この体験学習は「北海道職人義塾大學校」というNPO法人が主催している。これは小樽の職人業を周知し、伝統的な業の継承を目的として平成13年に設立された。またこれは平成4年に小樽市内の職人が設立した「小樽職人の会」が母体となっている。
普段は築港にある、小樽港マリーナにて体験学習が行われているそうだ。私が調査に行った際も、5人ほどの他業種の職人さんが大勢の修学旅行生相手に教えていた。

写真13 完成したお箸

写真14 小樽港マリーナ

(3) 仏壇供養―小樽仏壇商工組合―
 もうひとつの例として、仏壇供養があげられる。
 仏壇がごみとしてぞんざいに扱われ捨てられていたことや、「仏壇を処分してくれ」という問い合わせが年々ふえてきたことなどをきっかけとして、平成に入ってから小樽の仏壇職人の組合である小樽仏壇商工組合が毎年8月末に仏壇供養祭をするようになった。
小樽仏壇商工組合の組合員は多い時で約40人加盟していたが年々減少し、昭和50年代で18人になり、現在では8人にまで数が減ったそうだ。また、この調査でお話を伺った職人さんのほとんどが、跡継ぎがいないとおっしゃっていた。

まとめ
 小樽仏壇は、明治20年代に新潟県から移住してきた職人によって作られた。その特徴は新潟系の仏壇を小さく質素にした点にある。最盛期は北海道内の仏壇生産の90パーセント以上を小樽市が占めていたが、安価な外国産仏壇の台頭、他の生産地との競争、仏壇を祀る家庭の減少などさまざまな理由から、昭和50年代ごろから需要が減り、現在では小樽仏壇はほとんど製作されていない。現在仏壇職人の方々の仕事は小売りの他、主に仏壇の修理・洗濯である。また近年増えた仏壇の処分の問い合わせに答えるべく、小樽仏壇商工組合では仏壇供養を始めた。仏壇職人の方の中には、修学旅行の子どもたちに仏壇職人の技術を、体験学習を通して教えている人もいる。お話を伺った職人さんのほとんどに跡継ぎがおらず、小樽仏壇は衰退の一途をたどっている状況といえる。

謝辞
 本調査にあたって、寺山神佛具店の寺山善明様、寺山徹様、岡部仏壇店の岡部信之様、藤本仏壇製作所の藤本𥶡様、小樽市総合博物館の石川直章先生、佐々木美香先生、その他市内の仏壇店の皆様にお話をうかがいました。お忙しいなかご協力いただき、心から感謝申し上げます。

参考
谷口幸璽 2002 『仏壇の話』法臧館。
小樽観光大学校 2006 『おたる案内人』

北海道職人義塾大學校 http://www.hk-crf.jp/index.html