関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

小樽の市場景観

小樽の市場景観
木村 隆之

 はじめに

 今回の調査実習では小樽の市場について調査した。本論の第1章では、今回調査した市場について概況を紹介する。続いて第2章では、市場の道路について、三角市場の事例を用いて報告する。そして第3章では、下駄履き市場と呼ばれている建物についてまとめる。

第1章 小樽の市場

(1)三角市場

 最初に小樽駅と国道5号線との間に位置する三角市場を紹介する。三角市場は昭和23年頃、小樽駅に7〜8軒の露天商により店を出したのが始まりで、そこから出店者が相次ぎ、近隣にある石狩、後志だけでなく川上、日高方面などの遠方から買出しに来る人も相手に発展していった。当時は行商人たちの交換市として賑わっていた。そして、昭和32年に露天商約30軒で任意組合を設立し現市場ができた。ちなみに三角の名前の由来は、土地、屋根ともに三角の形をしているからである。
 三角市場では鮮魚や海産物を中心に塩干物や青果物、さらには衣料品等が売られている。鮮魚や海産物の品質の高さは全国的に有名である。また、後ほど詳しく紹介するが三角市場内の通路は公道であり敷地は別になっている。








(2)妙見市場

 次に紹介するのが妙見市場である。妙見市場は戦後、樺太満州からの引揚者が於古発川の川沿いに露天を開いたのが始まりである。この妙見市場の特徴は川の上に建物が建てられていることである昭和37年に洪水で流されてしまったが、小樽市営市場として再建され今に至っている。海産物だけでなくスポーツショップや床屋等の店も出店している。しかし、現在はスーパーマーケット等の影響で市場内の店数が年々減ってきている。












(3)鱗友市場

 鱗友市場は小樽で唯一の朝市で午前3時から営業を行っている。近くにある小樽市漁業協同組合地方卸売市場では競りが行われていて、そこで競り落とされてすぐの商品が鱗友市場に並べられている。鱗友市場が朝市を行なっているのは、この卸売市場と隣接しているからだと思われる。



(4)新南樽市場

 新南樽市場は平成11年9月にオープンした小樽では一番新しい市場になる。海産物などは他の市場と同様に売られているが、建物内には大手電気屋が入っていたり、広い駐車場が完備されていたりと、スーパーマーケットに近い要素を多く含んでいる。










(5)中央市

 最後に紹介するのが中央市場である。中央市場は昭和21年に外地からの引揚者がはじめたバラックの借り店舗がはじまりで、昭和31年に火災問題の関係でコンクリートの3階建てに変わり、現在は下駄履き市場として一部の若者からも注目を浴びている。





第2章 市場と道路 −三角市場の事例からー

(1)三角市場の通路

 第1章でも取り上げたように、三角市場の通路は市場の敷地ではなく一般の道路、つまり、すぐ横にある国道5号線と同じ公道なのである。 一見他の市場の通路と大きな違いは見当たらない。しかし、市場の人に聞く話によると、通路は公道であるがために入り口の扉は常に開けっ放しで、自由に開け閉めできないそうだ。「通行の妨げにならない」が理由である。また、狭い道に不自然に自動販売機が置いてあるのも、市場と通路が別の敷地であることを物語っているように感じられる。
 現在、三角市場で一番昔から店を営んでいる駄菓子屋のおばあちゃんに話を聞いた結果、どのようにして現在の三角市場の通路が成り立ったのかが分かった。三角市場は手宮の朝市や直接漁場から仕入れてきた行商の人達が小樽駅の三角市場地点に集まったのが始まりだそうだ。元々何も無い場所に行商の人達が勝手に店を出し始め、露店が集まり自然と賑わったということになる。そして、その結果、店と店の間は市場とは関係のない一般の敷地になってしまったのだ。
 三角市場とその他の市場の外観はほとんど変わらないのは、少しずつ三角市場が変化してきたからだそうである。現在は普通に大きな屋根があるが、その屋根がつくまでは各々の店にしか屋根が無く、店と店の間は屋外となっていた。そのため、天候に大きく影響され、台風などで並べてある商品が被害にあうことも多々あったそうだ。屋根がはじめから無かったのには、昔は店と店の間隔が現在と違い広かったことが背景にある。しかし、それぞれの店が徐々に店を大きくしていったため、現在の店と店の間隔になってしまったそうだ。なお、三角市場は各々の店の敷地の大家も別だそうだ。

(2)三角市場以外の市場の通路

 中央市場や妙見市場、鱗友市場など、スーパーマーケットに近い新南樽市場を除けば、三角市場の通路と特に違いはない。しかし、市場内の通路が公道なのは小樽の中では三角市場だけである。これは自然と露店が集まり賑わった三角市場に対し、他の市場は元から「市場」として建設されているためである。他の市場の人の話を聞いても、三角市場が特別らしい。

第3章 下駄履き市場

(1)中央市

 ここでは中央市場を例にあげ、下駄履き市場
(一階が市場で、その上はアパート)についてまとめていきたい。中央市場は小樽を代表する下駄履き市場のひとつである。下駄履き市場というのは、中央市場の様にアパート等の一階部分がお店になっている建物のことである。中央市場では一階部分が市場になっていて、上の階では人が暮らしている。ちなみに中央市場の場合は一階と二階の間に中二階があり、市場の人はそこを物置として利用しているそうだ。
 なぜ中央市場がこのような下駄履き住宅のつくりをしているのかというと、法律の関係上、防火のためにコンクリートで三階建ての建物にする必要があったからである。つまり、仕方なくこの形になってしまったのである。
 ちなみに、中央市場の場合は市場自体が組合の所有物であるため、家賃は組合費に利用されている。間取りは一般のアパートと特に変わりはなく、トイレも水洗である。ただ中央市場が建てられた当時は、銭湯が栄えていて銭湯に行くことが普通だったため、お風呂はついていない。
 また、建てられた当時は一階部分で市場を営むひとのみが入居できたが、現在は借り手が減り、一般の人でも契約して入居することができる。
 

結びにかえて
 
 前章で、下駄履き市場について触れたが、中央市場で聞いたところでは、「元々、下駄履き市場は関西が発祥の地であり、小樽の下駄履き市場は関西から伝わった」とのことである。
 現在、関西では下駄履き住宅をあまり目にすることができないが、たしかに関西にもかつては多くの下駄履き市場が見られたようである。現在見られないのは、建て替えが進んでしまったからだが、その中には、阪神淡路大震災によって当時存在していた下駄履き市場が壊滅してしまったというものもあるだろう。
 ただし、調査を進めれば現在でも、下駄履き市場の残存は関西でもいくらかは認められると思う。今後、調査を進めていきたい。
 最後に、今回、小樽の市場を調査してみて、あらためて市場の世界の持つ深さについて考えさせられた。市場自体が川の上に建てられていたり、あるいは市場内の通路が公道だったりと、驚きの連続であった。

 謝辞
 調査にあたり、小樽市漁業協同組合手島・高島地区区長の成田正夫氏、小樽中央市場協同組合総務の佃多哉志氏、小樽中央市鮮魚店店主の渡部哲衛氏、小樽妙見市場商業協同組合事務長の保坂道彦氏、小樽市総合博物館の石川直章先生、その他、市場で働く多くの方々ご協力いただきました。深くお礼申し上げます。