関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

「型」でつながる寺社と和菓子屋

森澤 仁美

はじめに

 昨年度の小樽社会調査で先輩が行った和菓子屋調査のテーマは、何故小樽には和菓子屋・餅屋が多いのかについてであった。今回、そこからもう一歩踏み込んだ発見をするため、まずは和菓子屋の現在と過去についての聞き取り調査を行うことにした。すると、景星餅菓商という餅屋で、南小樽駅近辺の国道5号線沿いには餅屋が集まっており、それは周辺に寺が多いからだ、という話を伺った。参拝客がお土産として買っていくのはもちろん、寺社からも直接注文がくるという。現に、この餅屋も妙國寺の向かいに位置しており、寺から餅の注文を受けているそうだ。そこから、寺社と和菓子屋の間にはどういうつながりがあるのかに焦点を絞り、調査を進めていった。

1章 小樽と和菓子

 まず初めに、何故小樽には和菓子屋が多いのかについて述べることにする。その理由は二つある。一つは、かつて小樽が積荷の集積地であったから。もう一つは、和菓子を用いる習慣が根付いているからである。
 小樽は、本州から北海道へ船で運ばれる積荷の集積地であった。そのため、和菓子に必要な材料が手に入りやすかったのである。米や砂糖は本州から、また小豆は主に十勝・帯広から容易に調達できたそうだ。つまり、和菓子作りに不自由のない環境であったことが、和菓子屋発展の大きな要因となった。
 それとともに、住民の間に和菓子を用いる習慣が根付いていったことも、現在まで多くの和菓子屋が続いている理由と言える。和菓子屋つくし牧田の店員の方によると、小樽の町では寺の誕生祭に和菓子が使われるという。寺の住職が町内を練り歩き、町の人たちは家の前で待ち構えてお布施を渡す。そのお返しとして、落雁という和菓子が配られるそうだ。また、町の人の話では、農家や漁師の家で長男が生まれると、親戚やご近所に餅やまんじゅうを配る習慣が今なお残っているという。さらに、小樽市総合博物館の学芸員の方からは、北海道特有の和菓子についての話を伺った。北海道には、中花まんじゅうという、皮に餡を挟んだ半月の形をした和菓子がある。これは、葬式や法事の際に出されるそうだ。北海道は香典が安いので人がたくさん参列する。そのうえ、葬式や法事は急に予定が入るため、早く大量に作る必要があった。中花まんじゅうは、皮に餡を挟むだけで他の和菓子のように蒸す手間がいらない。つまり、北海道の文化に合わせて手早く作るために生み出されたものなのだ。
 このように、小樽は和菓子作りに適した環境にあり、生活にも深く浸透していったため、今日でも多くの和菓子屋が軒を連ねているのである。


















写真1 中花まんじゅう
店頭で販売されていた。値段は650円。


2章 寺社と和菓子屋

(1) 注文先の固定化
 
今回の調査テーマは、寺社と和菓子屋の関係である。先ほど述べたように、景星餅菓商では妙國寺から餅の注文を受けているという。そこで、他の和菓子屋でもそういった関係は存在しているのか調べてみた。すると、どの和菓子屋においても寺社から注文を受けており、その受注先の寺社は決まっているという話を聞くことができた。
 いくつか例を紹介する。錦町の開福屋という餅屋では、小樽稲荷神社を始め、正光寺、稲荷神社など近辺にあるいくつかの寺社から餅やまんじゅうの注文を受けている。また、稲穂にある高山菓子店は隣町の石山町にある薬師神社から、節分や七五三などの行事の際に薬師神社と名前の入った落雁を、天神にある天満宮からはともえの模様が入った落雁の注文を受けているそうだ。
 寺社からの注文には、餅、まんじゅう、落雁といったいくつかの種類があることが分かったが、ここではその中の落雁に注目して話を進めていく。

(2)「型」

 まずは、落雁という和菓子について説明しておきたい。落雁とは、米粉と砂糖を混ぜ合わせ、型に入れて抜き固めた水分の少ない乾燥した干菓子である。仏事などの供え物として用いられることが多い。スーパーで売られていたり、仏前に供えられている菊の形をした落雁を見たことがある人もいるはずだ。



























写真2 水天宮で御供物として配られていた落雁
吉乃屋という和菓子屋が作ったもの。


 この落雁を作る際に必要不可欠なもの、それが「型」である。寺社の紋やともえ、ふじの花など様々な模様が彫られており、これに米粉と砂糖を合わせたものを詰め込んで固めると落雁ができる。和菓子屋が所有している「型」を使う場合もあるが、それぞれの寺社でも代々受け継がれている「型」を持っており、それを使う場合の方が多いという。寺社は「型」が必要になると、どんな形や模様がいいかを決めて和菓子屋に伝える。そして、和菓子屋が木型職人に製作をお願いするそうだ。職人が一つ一つ手作業で彫るため、「型」の値段は高い。高価なものだと、一つで数十万円するものもあるらしい。昔は小樽にも木型職人がいたが、今はいなくなってしまったので東京の職人に作ってもらっているという話も伺った。



























写真3 くまうす神社のともえ模様の「型」。

(3)「型」の預託

 寺社に代々受け継がれているというこれらの「型」は、訪問した和菓子屋で見せて頂くことができた。小樽の和菓子屋では、寺社から最初に注文を受けた際に「型」を預かるのである。それは、落雁が葬式でも用いられるから、というのが理由に挙げられるそうだ。つまり、「型」を預かっておくことで、祭り、節分、七五三といった定期的な注文だけでなく、葬式のように急に入る注文にも迅速に対応できるのである。
 前に述べた高山菓子店では、やはり薬師神社の名前が彫られた「型」と、天満宮のともえの模様が入った「型」を預かっていた。



























写真4 高山菓子店が預かっている薬師神社の「型」。



























写真5 天満宮のともえ模様の「型」。

 また、つくし牧田も妙國寺ざくろ模様の「型」、潜龍寺のふじの花の模様をした「型」、本願寺別院の四角形の「型」を預かっていた。



























写真6 妙國寺ざくろ模様の「型」。



























写真7 潜龍寺のふじの花模様の「型」。



























写真8 本願寺別院の四角形の「型」。



























写真9 「型」の全体像。一つの「型」で4〜5個の落雁を作ることができる。

 このように、訪問したほとんどの和菓子屋で注文を受けている寺社の「型」を預かっているという話を伺うことができたのである。

3章 関係の持続

(1) 寺社、和菓子屋の移転

 明治末から昭和の初め、にしん漁で栄えた小樽の町は発展し、拡大していくことになる。すると、それに合わせて郊外へと移動する寺社が出てきた。その中の一つに、天上寺がある。もともとは、入船町の今ある場所よりも南小樽駅に近い、入船十字街という交差点の角に位置していた。移動したのは大正3年。これから寺を発展させていくには敷地が手狭だったため、5倍の土地を確保できる今の場所に移すことになったそうだ。
 また、和菓子屋でも商業上の理由から移転する場合があった。例えば、つくし牧田はもともと入船町で商売をしていたが、店舗を拡大するために、昭和56年現在の花園町へと移転した。
 
(2) 注文の持続

 このように、小樽では寺社や和菓子屋が場所を変えることがあった。しかし、今まで述べてきた受注の関係が途切れることはなかったのである。どちらかが移動しても注文は継続されてきた。その理由は、「型」が高価なものだから。一度「型」を作るとそれを使い続けたいという気持ちがあるそうだ。そして、「型」は最初に注文する和菓子屋に預けられるため、場所が変わったからといって注文先を変えることはないのである。
 先ほど例に挙げたつくし牧田では、花園町へと移転した後も、妙國寺、潜龍寺、本願寺別院の注文を継続して受けているそうだ。そして、天上寺でも移動後、吉乃屋への注文を変えることはなかった。
 まさに、寺社と和菓子屋は「型」でつながっているのである。それを象徴するような話を耳にした。宝泉寺では、ある餅屋に「型」を預けて落雁を作ってもらっていた。しかし、その「型」が使えない状態になってしまったため、別の店に頼んで新しく「型」を作ってもらい、そこに注文をお願いするようになったという。

まとめ
 
今回の調査で分かったことは、寺社が行事などの際に用いる和菓子の注文先はそれぞれの寺社で決まっていること。和菓子の落雁を作るのに必要な「型」を寺社は代々受け継いで持っており、それを注文先の和菓子屋に預けていること。小樽では、寺社あるいは和菓子屋が場所を変えることもあったが、注文の相手は変わらなかった。それは、「型」が高価なもので、一度作ったらそれを使い続けたい気持ちが大きく、最初にお願いする和菓子屋に「型」を預けてしまうため、注文先を変えることはないということだった。
 しかし、中にはその関係が途切れてしまったケースもある。これまで何回か名前を挙げている天上寺だが、10年ほど前からお布施のお返しに落雁ではなく、ペットボトルのお茶を配るようになったそうだ。寺側は、それまでずっと作ってもらっていた吉乃屋の落雁に思い入れがあったのだが、檀家はそれほど落雁に執着心は持っていなかった。そのため、やむを得ずペットボトル飲料に切り替えたそうだ。
 また、天上寺もかつて注文していたという吉乃屋は、その落雁作りの技術の高さから、数多くの寺社から注文を受けていた。しかし、店主が病気で亡くなり、7年ほど前に廃業することとなった。その影響は大きく、別の和菓子屋に注文を移したり、それをきっかけに落雁を用いるのを止めてしまった寺社もあるという。
 今回の調査では、小樽における寺社と和菓子の関係を発見することができた。この結果を次は全国に広げて考え、小樽以外の地域でも同じような関係は存在しているのか、さらに調査を進めていこうと思う。

謝辞
 
本調査は、小樽市総合博物館の石川直章先生、佐々木美香先生を始め、テーマ発見のきっかけを与えて下さった景星餅菓商さん、「型」を見せていただいたり話をして下さったつくし牧田さん、高山菓子店さん、花月堂さん、開福屋さん、わざわざ出向いて話をして下さった吉乃屋の刀祢紀子さん、平山裕人さん、電話にも関わらずお話をして下さった天上寺さん、宝泉寺さん、他にも数多くの和菓子屋・餅屋さんのご協力の下、成し遂げることが出来ました。この調査のためにお時間を割いて頂き、ご親切に対応して下さって本当にありがとうございました。

参考文献

石川寛子・芳賀登(1996)『全集日本の食文化』6、雄山閣出版
中山圭子(2006)『事典和菓子の世界』岩波書店
青木直己(2000)『図説和菓子の今昔』淡交社

参考資料

嶺野侑編集(1967)『小樽と菓子』北海タイムス小樽支社。

参考URL

菓子工業組合(各県組合だより)
http://www.zenkaren.net/gyokai/kumiai/kakuken-4.html