関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

最後のガンガン部隊―小樽の行商人「吉田のおばあちゃん」の暮らしと思い―

大西佐和

はじめに

 ガンガン部隊とは昭和20年代末〜30年代に活躍した行商人である。ガンガン部隊が背負っていたブリキ缶の中には市場で仕入れた鮮魚や乾物が入っており、早朝から列車を使いそれらの商品を炭坑や地方に住む人々へ売りに行った。
目的地の駅に着くと、お得意先まわりが始まり、多くの魚介類をたくみにさばいてみせた。重いブリキ缶を背負い、前かがみに歩く姿には、母のたくましい姿があった。そのガンガン部隊は、昭和55年には姿を消したと考えられていた。
しかし今でも形を変えてガンガン部隊を受け継ぐ女性がいた。吉田月江さんである。
1人になった今でもガンガン部隊を続ける吉田さんと接触し、彼女の仕事に対する思いや彼女の夢を記述したいと思う。


写真1 ブリキ缶を背負うガンガン部隊

第1章 吉田さんとの出会い

(1)市場での情報
形を変えてガンガン部隊を今なお行っているという情報を入手し、接触するために市場へ行った。手宮市場へ頻繁に買い物に来るということで、手宮市場で待っていた。昭和のガンガン部隊は早朝から鮮魚を買っていた。吉田さんも新鮮な魚介類を買いに来るであろうと思い、朝から待っていたがなかなか現れない。市場の人に普段の吉田さんの様子を聞いてみた。頻度と時間帯に関しては、2日に1回、昼過ぎの15時から16時ぐらいに来ると教えてくれた。そして10分程度で素早く買い物を済ませ、毎回市場の近くの銭湯に行って帰るのだそうだ。どうやら手宮市場を拠点に動いているようである。

同じ小樽市に住むが、吉田さんの高島弁は聞き取りにくいと市場の人は言う。
来るたびに、商品を値切って店をまわるそうだ。市場の人はみな声をそろえて、吉田のおばあちゃんは元気でよくしゃべると言う。
しかし市場待っていても現れなかったので、吉田さんが住む高島へ行って家を訪問した。


写真2 手宮市場入口

(2)紹介
衰退したと考えられていたガンガン部隊であるが、形態を変えてガンガン部隊を一人で続ける人が存在した。
それが「吉田のおばあちゃん」である。吉田月江さん、75歳、高島に住みガンガン部隊を続けておられる方である。旦那さんと2人暮らしである。


写真3 吉田のおばあちゃん

玄関のチャイムを鳴らすと元気よくでて来られた吉田さん。急な訪問に笑顔で招き入れていただき、様々な話を聞かせていただいた。
「オレ忙しい。忙しい」とせわしく動かれながら、初対面の私に優しく対応してくださった。第一印象は「元気でよく話すおばあちゃん」であり、75歳とは思えない力強さを感じた。
昼前に訪問したのだが、今日は行商に行かないのか聞いたところ、「今日は忙しい」と答えられた。毎日市場に行くのではなく、必要があれば行くそうだ。
そして朝に行かない理由は、朝は家事で忙しいからであり、落ち着いた15時頃に行くそうだ。
次の章で吉田さんと接触したことを基に、形を変えてガンガン部隊を続ける吉田さんと、昭和を一世風靡したガンガン部隊を比較したいと思う。

第2章 吉田さんとガンガン部隊との比較

(1)持ち物
戦後のガンガン部隊はブリキ缶を持って歩いたが、吉田さんが持って歩いているのはブリキ缶ではなく「網のかご」である。

右の網かごは手持ち用のかごである。
左の網かは肩掛け用のかごで、肩から掛けられるように紐がついている。少し古くなっているように見えるが、紐自体は頑丈で重い物を入れても決してちぎれないそうだ。
白い段ボールに関しては、少ない荷物の時、大きなかごの中で商品を固定させるために入れている。


写真4 吉田さんが使用する網かご

しかし、今は左の肩掛け用のかごを使っていない。
肩掛け用のかごの代わりに吉田さんは「オレンジ色のリュック」を背負い、手持ちのかごを持って買い出しに行く。
写真5は市場でリュックを背負って買い物をしている写真である。このとき手持ちのかごは、市場のベンチに置き身軽に買い物をしている。
どうしてリュックを使うのか聞いた。
吉田さんは登山が好きだそうで、オレンジのリュックは登山用のもので使いやすいから使っていると言われた。使いやすさを重視しているそうだ。

それに対し、写真6が昔のガンガン部隊の格好である。ブリキ缶を2つとかごを持ち、軍手、長靴、頭巾、エプロンをつけ商売を行っていた。それに比べ吉田さんは、半そで、半ズボン、スニーカー、リュック、かごという現代に合わせた格好で商売を行っている。


写真5 オレンジのリュックを背負い買い物をする吉田さん


写真6 昭和時代のガンガン部隊の格好

(2)かごの中身
それでは次に中身についてであるが、吉田さんが入れているものは、基本的に新鮮な魚や乾物である。私が調査した日に手宮市場で買っていたのが、イカ、さば、めんどうふ、乾物、タコ、かまぼこ、鮭、卵、その他の魚などである。

それに対しガンガン部隊が運んでいたものは鮮魚、乾物、かまぼこ、豆腐、菓子、生活用品である。
吉田さんは生活用品を運んでいないが、当時のガンガン部隊が運んでいた鮮魚などは今も同じように運んでいる。
商品を運ぶ際の吉田さんの工夫について、暑い日はどうするのか?と聞いたところ、鮮魚を運ぶ際は氷をいっぱい入れて鮮度を保つと言われた。また食中毒などの危険を防ぐため、刺身などの生ものは、できるだけ冷凍のものを買うようにしていると言われた。
ガンガン部隊も、吉田さんと同じように商品の鮮度を保つため暑い日は氷をいっぱいにいれていた。鮮度の良い商品を保つ工夫は変わらない点である。

3)市場での様子
①まず市場に着くと荷物を置く
②歩きながら気になった商品を手に取り、すぐにお店の人に取り置きしてもらう
③それを各店で行いながら端から端まで歩く
④そして往復してくる際にお金を払い、商品をもらう
これを3〜4回繰り返していた。
歩いているときも、商品をみているときも、常にしゃべっている。この魚は新鮮かどうか。値段はいくらかなどを店主と話しているのだ。


写真7 店主と話しながら買い物をする様子

驚いたのは、買うスピードの速さと見極める目である。素早く鮮度の良い商品を選んでいた。
買い物をしている姿が写真7と8である。商品を選ぶ目は真剣である。
写真7は店の人と話をしながら商品を買っている最中である。
写真8は市場の端の店で商品を買い終えたところである。


写真8 市場の端まで来て買い物を終えた様子

(3)行動範囲・役割・手段
<吉田さん>
行動範囲
今は手宮市場で商品を買っているが、昔は手宮市場だけではなく他の市場にも商品を買いに行っていたが。しかし足の手術をしてから長い距離を歩けなくなったそうだ。昔は多くの家へ鮮魚を届けることができたが今は高島地区の家だけに販売している。
役割
近所(高島)に住む高齢者で、自由に買い物を行けない人から頼まれたものだけを買っている。その数は15件程度である。そこに住むお年寄りは、どこか不自由な部分を抱えている。商品を大量に買って、売りさばくというよりは、頼まれたものだけを買いに行く。
車を運転できず、足が不自由な高齢者にとって吉田さんの役割は非常に大きいと言える。
手段
高島から手宮市場までは徒歩とバスを利用している。

<ガンガン部隊>
行動範囲
小樽市内を含め岩内、余市、札幌といった場所まで行き商売をしていた。
役割
市場で買った新鮮な魚を地方の得意先へ届ける役目を担っていた。
手段
今は使われていないが手宮線を使っていた。日本国有鉄道が運営した線路で南小樽から手宮駅をつないでいた。

昔のガンガン部隊と比べ吉田さんの行動範囲は高島地区に狭まり、頼まれたものを代わりに買いにいく役割であるが、待っている得意先に新鮮な商品を届けたいという気持ちはガンガン部隊と同じである。

第3章 高島と吉田さん
(1)吉田さんの夢
過去はほとんど語られないが今の思いを答えてくださった。
吉田さんを継ぐ人がいないことに関してどう思うか聞いた。
それに対し、継ぐ人がいないのは寂しいが待っている人のために一人でも続けてきた。と答えられた。
今の若い人は車を持ち大型スーパーまですぐに行けるが、足の不自由なお年寄りはそうはいかない。その人たちが待っているから頑張っていると言われた。

そして夢があるか聞いてみた。
吉田さんは「マザーテレサ」になりたいと言われながら、マザーテレサの載った雑誌を大事そうに持って来られた。困っている人を助けるために世界を歩きたいと言われた。今まで数多くの苦労や困難は「希望」「気迫」「工夫」「感謝」の言葉を胸に秘め、信じ生きてきたという。マザーテレサのようになりたくて、行商で稼いだお金は貧しい子ども達に寄付していると言われ、今まで寄付した領収書を見せてくださった。それもかなりの数であった。
今後もマザーテレサのようになりたいという思いを胸に秘めながら、行商を行い、寄付も続けていくそうである。

(2)周りから見た吉田さん
小林ハツさん 大正9年生まれの90歳である。この方は吉田さんの家のすぐ近くに住んでおられ、吉田さんと親しくされている。吉田さんが小林さんの家を訪れた時、いきなり玄関から部屋まで入って行った。チャイムなど押さず入って行かれた。それぐらい普段から親しいそうだ。
小林さんに吉田さんのことを聞いた。吉田さんは働き者で、冬も半そでで歩くぐらい元気だと教えてくださった。
小林さんは、高島地域についてこう言われた。「高島はみんな家族だから、私はホームに行く必要がないの。毎日吉田さんや高島の人が見に来てくれるから、寂しくないし、世間でよくある孤独死は高島ではないの」と言われた。


写真9 小林ハツさん

高島は隣人同士のつながりが強く、外部の人を見かけたらすぐに外部の人だと分かるほどである。そのような地区で、吉田さんの行う仕事は、単に商品を売るだけではなく、買う人が元気かどうかを見る重要な役割を担っていると感じた。高島地区には独特で深いつながりがあると感じた。

最後に
今も一人で歩き行商を行っている吉田さん。昔のガンガン部隊と比べると行動範囲も狭まり形を変えているが、人から必要とされていることは間違いない。体が不自由なお年寄りのために歩く吉田さんの自分の仕事にかける思いが伝わってきた。
今日もまた手宮市場に出向き、必要なものを入手し、銭湯へよって高島へ帰る。このようにして、人の役に立っているのであると感じた。ガンガン部隊の女性が重い荷物で腰が曲がっていたように、吉田さんの腰も曲がり前かがみである。
しかし、75歳と思えない力強い足取りから、昭和に一世風靡したガンガン部隊を浮かべることができた。
力強い一歩一歩は、大切な人のために動いているように思う。


写真10 買い物を済ませ強い足取りで歩く様子

謝辞

調査にあたって吉田月江さん、小林ハツさんのお宅に訪問させていただき、お忙しい中お話を聞かせていただきました。またお忙しい中、手宮市場で働く方々、小樽市総合博物館の石川直章先生が協力してくださいました。初対面でありながら時間をかけて温かく応対してくださったことに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

<参考文献>
荒巻 孚 1984『北の港町小樽 都市の診断と小樽運河古今書院

「小樽―まちなみの記憶―」北海道映像記憶制作DVD