関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

「無形文化財」の創出と伝承―筑前博多独楽の事例から―

無形文化財」の創出と伝承―筑前博多独楽の事例から―
川合真由美

【要旨】
本研究は、福岡市で河崎博行(初代筑紫珠楽)によって再興され、その後、3代に渡って伝承されている筑前博多独楽について、実地調査を行うことで、一度途絶えた芸能が「現在の古典芸能」としてどのように確立し伝承され、その価値を高めているのかを明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は以下の通りである。

1、博多独楽は日本で初めて心棒に鉄を使用した独楽であり、その安定した回転が独自の独楽芸を生み出した。1700年頃、幼い頃から独楽芸に長けた市太郎が、上京し天皇から御独楽宗匠の称号を受け、さらに江戸に上がった。京都、大阪そして江戸で一大ブームを巻き起こした博多独楽であったが、禁止令が数回出されたことで下火になってしまった。それから30年後、香具師、松井源水の登場により再び注目される。松井源水は、浅草寺の奥山で「曲独楽」を披露し、当時の賑わいは文献にも多く残っている。その後、松井源水は17代続き、その間将軍家の上覧を賜ったり、パリ万国博覧会に出演している。 一方、博多の独楽芸は下火になったままであったが、江戸や大坂では市太郎の流れを汲む独楽芸人たちが「博多○○」と名乗り活躍していた。

2、天神流曲独楽は、三谷柳水が幇間としてお座敷あがり披露していた独楽芸である。満州へ渡り、料亭を営んでいたが終戦後帰国し、引き揚げてきた博多に住み着く。その後、妻が博多券番の芸妓であったこと、満州で料亭を営んでいたこと、から博多でお座敷を経営しつつ自身もお座敷にあがり、独楽芸を披露していた。

3、初代筑紫珠楽(本名 河崎博行)は博多独楽の保持者として、1958年福岡県指定無形文化財に指定された。無形文化財に指定された背景には以下の事象がある。
一つ目が、民芸品の「博多独楽」と結びつけるため、芸の名を当時の天神流曲独楽から「博多独楽」に改める必要があった。そのため自身の独楽芸に、「筑前博多独楽」と名付けた。
二つ目が、歴史的重要性である。郷土史家で福岡県の文化財保護審議会委員を務めた筑紫豊が博多独楽の史実を調べ、その重要性を後押しした。芸名である「筑紫珠楽」の名付け親であり、「筑紫」は筑紫豊に由来する。
三つ目が、家元制度の確立である。家元は筑紫珠楽、次期家元は筑紫寿楽を襲名し、名取は「筑紫○楽」の名をもらうと取り決めた。

4、筑前博多独楽は、初代筑紫珠楽からその娘、二代目筑紫珠楽へ。そして、その息子三代目筑紫珠楽と襲名され、芸の伝承がなされている。
 二代目筑紫珠楽は、不利と言われる女独楽師ながら「先代もなしえなかった海外公演」を成し遂げ、その芸三代目筑紫珠楽へ伝承した。
 三代目筑紫珠楽は、博多独楽だけでなく、初代筑紫寿楽が考案した組太鼓と獅子舞から構成される金獅子太鼓を受け継ぎ、音楽の世界にも活躍の場を広げている。

5、現在、筑前博多独楽一門には、三代目筑紫寿楽氏や坂口みほろ氏など新しい世代が芸を積んでいる。また、小学校や地元博多内外での博多独楽の普及活動にも力を入れている。

【目次】
序章―――――――――――――――――――――――――――――1
 第1節 問題の所在---------------------------------------1
第2節 コマの広がり-------------------------------------1
 第3節 博多独楽の起こりと曲独楽の盛衰-------------------3

第1章 前史としての天神流曲独楽―――――――――――――――12

第2章 筑前博多独楽の誕生――――――――――――――――――16
 第1節 筑紫豊と無形文化財指定---------------------------16
 第2節 家元制度の確立-----------------------------------19

第3章 筑前博多独楽の展開――――――――――――――――――34
 第1節 二代目筑紫珠楽と海外進出--------------------------34
 第2節 三代目筑紫珠楽と金獅子太鼓------------------------38

第4章 筑前博多独楽の現在――――――――――――――――――48

結語―――――――――――――――――――――――――――――62
付録 家系図―――――――――――――――――――――――――65
謝辞―――――――――――――――――――――――――――――67
文献一覧―――――――――――――――――――――――――――69

【本文写真から】

写真1 独楽盆に並ぶ独楽(舞台上で使う独楽を備えておくもの)

写真2 ノミで独楽を削り出す様子

写真3 二代目筑紫珠楽襲名の際に作成された博多独楽年譜

写真4 「風車の立てもの」の練習の様子(春日市立春日南中学校にて)

写真5 博多大丸福岡天神店パサージュ広場で行われた金獅子太鼓のイベントの様子
【謝辞】
本論文の執筆にあたり、筑前博多独楽一門の皆様には快く協力していただき感謝申し上げます。お忙しいなか、時間を割いて貴重なお話を聞かせていただいたり、工房や練習風景を見させていただいたり、皆様のお力添えなしには本論文を執筆することはできませんでした。また、博多の街の色々なところに連れて行ってくださり、論文以外の興味深いお話も聞かせていただき、楽しい思い出をたくさんいただきました。博多での経験は様々な面で勉強になり、今後の糧となりました。この場を借りてお礼申しあげます。本当にありがとうございました。