関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

嬉野花柳界の民俗誌―佐賀県嬉野温泉における芸妓のしごとと暮らし―

嬉野花柳界の民俗誌―佐賀県嬉野温泉における芸妓のしごとと暮らし―
松尾朱莉
【要旨】
本研究は、佐賀県嬉野温泉をフィールドに実地調査を行うことで、嬉野花柳界の仕組みや変遷、お座敷の在り方と変化、芸妓や花柳界に関わる様々な人々のしごとと暮らしについて明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、以下のとおりである。

1.嬉野花柳界は昭和42年の嬉野温泉芸能組合発足と同時に発展を続けていたが、昭和62年頃をピークに置屋や芸妓の数の減少が始まり、現在では9つの置屋と22人の芸妓のみ存在している。

2.京都をはじめ全国各地の花柳界に存在し、花柳界を一つにまとめる役割を担う検番は嬉野には存在しないが、その代わりに、嬉野温泉芸能組合が嬉野花柳界の柱として機能している。嬉野温泉芸能組合は、嬉野花柳界を取りまとめる存在ではあるものの、各芸妓のスケジュールを把握していないし、旅館から芸妓を派遣してくれと電話がかかってくることも無い。さらに各置屋の中立の立場であるため、客から人気の置屋や芸妓などを問い合わせられても絶対に答えてはならない。こういった点が、検番との相違点である。

3.組合発足以降から平成初期頃までは多くの地方がいたが、現在、嬉野の芸妓22人のうち地方は1人のみになってしまった。さらに、唯一の地方である小新さんは高齢でありほぼ座敷には上がらないため、多くの座敷でレコードが使われている。

4.昔は、長唄や小唄が踊りの定番だった。しかし、平成の初め頃から長唄や小唄が分からない人が多くなってきたため、歌謡曲などの皆が知っている歌をお座敷で踊るようになった。お座付きの時間も、昔は長唄を含め約30分かけて行われていたが、最近は5〜6分くらいに簡略化され、長唄は踊らず小唄・端唄・歌謡曲から1〜2曲踊って済まされることが多い。

5.昭和40〜50年代の嬉野は温泉地なので宴会が多く、客は芸妓に踊りの上手さを求めていなかった。さらに嬉野花柳界の芸妓には仕込み期間がないため、すぐにお座敷にあがることが出来る。そのため、芸のレベルが低い多くの芸妓が生まれてはすぐに消えていくという事態が起きていた。このような芸妓のことを「温泉芸妓」「ホステス芸妓」と呼び、現在でもこのような芸妓は多い。また「温泉芸妓」「ホステス芸妓」の中には、踊りが上手でないためお座敷で踊りを披露しない者や、白塗りをせずかつらを被らない者も多くいた。このような事態を受け、月に5回の稽古参加を義務化したり、「かつら日」の設定が行われた。

6.嬉野花柳界の内部は長期に渡って、嬉野以外の場所からやってきた多くの人々で作られている。現在、嬉野にいる芸妓のほとんどは嬉野出身では無く他地域から移動してきた人々である。そのきっかけは、知り合いのもとをたまたま訪ねたことや、仕事の紹介をしてもらうためなど様々である。嬉野は、「友が友を呼ぶ」という形で芸妓が増えた場所である。その結果が、全盛期の280人もの芸妓衆を生み出したと考えられている。

7.嬉野にはかつて遊郭が存在し、いくつかの女郎屋が存在した。それらは旅館や置屋に形を変えて、今もなおその名残を残している。嬉野の遊郭は、「新湯」と「中川町」の2つの地区に存在した。新湯には高砂、松亭という女郎屋があり、中川町には一力、松鶴楼、喜楽という女郎屋があった。

8.お座敷ではその場にある物を使い、その場その場で遊びを作っていた。お姉さんがやっている遊びを真似したり盗んだりすることも多い。またお座敷に地方がいない場合、三味線の音色で盛り上げることができないため、ビール瓶や箸、扇子などを使って音を出し、その場を盛り上げている。


【目次】
序章 ――――――――――――――――――――――――――――――――3
 第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4
 第2節 嬉野温泉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4
第1章 嬉野の花柳界―――――――――――――――――――─8
 第1節 嬉野花柳界の概要‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥9
 第2節 置屋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥14
 第3節 嬉野温泉芸能組合‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥23
 第4節 旅館‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29
第2章 芸妓たち―――――――――――――――――――――――─34
 第1節 芸妓のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥35
  (1)恋路さん‥‥‥‥‥‥‥35
  (2)さくらさん・ひかりさん‥‥‥‥‥39
  (3)小新さん‥‥‥‥‥‥41
 第2節 稽古と行事‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥43
  (1)稽古‥‥‥‥43
  (2)お習い会‥‥‥‥‥‥‥‥50
  (3)藤生会‥‥‥52
第3章 お座敷の世界―――――――――――――――――――――――56
 第1節 お座敷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥57
第2節 お座付き‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥59
 第3節 お座敷遊び‥‥‥‥‥‥‥‥60
結語―――――――――――――――――――――――─――――――――――65
文献一覧―――――――――――――――――――─――――――――――――68



【本文写真から】


写真1 1985年の秋祭りにおける芸妓たち


写真2 稽古中の芸妓たち


写真3 お習い会で三味線を披露する地方





























写真4 かつて嬉野のお座敷でよく使われた、箸・とっくり・盃で作ったマイク


【謝辞】
本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただいた。
調査中は毎日のように昔の話を聞かせて下さり、嬉野温泉芸能組合のことのみならず、嬉野の街のことや芸妓さんたちのことまでも多くのことを教えて下さった、嬉野温泉芸能組合の小田昭子氏。芸妓のしごとと生活、置屋についてのことをお話しいただいた、花の家席の恋路さん、さくらさん、ひかりさん。お会いするたびに「がんばってね」と激励の言葉をかけていただき、置屋や稽古の様子も見せていただいた。お話している時やご飯をいただいている時にいつもさりげない気配りや心遣いをしてくださり、芸妓として大切にされているものを、身を持って感じることができた。またお忙しい中、長時間の調査に快く応じて下さった、藤間幸豊氏、喜久席の茶々さん、川内席の小新さん、長席の蘭子さん、竹の家席の竹千代さん、森永べに子氏、満上喜代子氏、嬉野温泉旅館組合、嬉野温泉芸能組合、嬉野花柳界の全ての芸妓さん。
これらの方々のご協力なしでは、本論文の完成にはいたらなかった。ご協力いただいた全ての方に、心より深くお礼申しあげます。