関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

五右衛門風呂のまち−広島県可部町の鋳物をめぐる民俗誌−

五右衛門風呂のまち−広島県可部町の鋳物をめぐる民俗誌−

横村成美


【要旨】

 本論文は、「鋳物」について、広島県広島市可部をフィールドに実地調査を行なうことで、名産品として知られた五右衛門風呂を全国に広めたそのルーツ、そして現在に至るまでの鋳物産業の変遷、鋳物職人たちの鋳物への関わり方を解明したものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。


1.日本人は、古くから「鉄」を活かした生活を営んできた。鋳物の原料である鋳鉄には、曲がりやすく、どんな形のものでもつくることができるという特徴がある。その点を活かし、人びとは生活に必要なものを次々につくってきた。その過程で、埼玉県川口市三重県桑名市などをはじめとして、全国各地に「鋳物のまち」が誕生した。広島県可部も、江戸時代より鋳物産業が続く全国を代表する鋳物のまちのひとつである。

2.中国山地は、古くから国内一の鉄の生産地であった。そのことを受けて、中国山地界隈では、製鉄がさかんにおこなわれた。とりわけ、島根県出雲の「たたら製鉄」は、高い製鉄技術を持っていた。山陽と山陰を結ぶ宿場町でもあった可部には、たたら製鉄の製鉄技術が流入した。また、可部を流れる太田川の上流に位置する広島県の北部は豊富な砂鉄の産地であり、可部流域においても、多くの砂鉄が採取できた。これらのことが、可部で鋳物産業が発展した理由である。

3.明治時代から、可部をはじめ広島県の鋳物屋では、さかんに五右衛門風呂がつくられるようになった。当初、可部の鋳物屋がこれを「広島風呂」もしくは「芸州風呂」として売り出したが、佐幕派の「広島」という名はあまりイメージがよくなかったため、隣県の「長州」の名を借り「長州風呂」として売り出したところ、大ヒット商品となり、全国的に流通していった。

4.昭和時代に入り、五右衛門風呂の需要は、増大した。全国の五右衛門風呂のうち最大8割が広島県で生産されており、可部では、そのうちの6割が生産された。当時、可部の鋳物屋では五右衛門風呂そのものや、それに関連するものを中心につくっていた。しかし、生活様式の変化に伴い、鋳物の強みを活かしたそれら以外の商品もつくり始めた。そしてオイルショックを機に、五右衛門風呂から別の商品へ生産シフトをする鋳物屋が増えた。

5.現在、国内の五右衛門風呂の生産は、可部の鋳物屋「大和重工」のみがおこなっている。大和重工では、江戸時代より受け継がれる「廻し型」という手法も用いながら五右衛門風呂生産を続けているほか、五右衛門風呂にホーローを吹き付けることから始まったホーロー浴槽の生産もおこなわれている。ホーロー浴槽は、ホテルや米軍基地など様々な場所で活用されている。

6.現在、可部における各鋳物屋の商品は、大和重工の産業機械部品、友鉄グループのマンホールと自動車金型、豊田実業の工作機械など、時代にあわせて柔軟に形を変えている。しかし、どの鋳物屋も鋳物業という形態は変えずに事業をおこなっており、技術を受け継いでいるだけでなく、無事に操業できることを願って、「鉄」や「鋳物」に関する様々な慣習を受け継いでいる。

7.可部の鋳物職人たちは、彼らの仕事に誇りを持ち、伝統と経験を活かしながら新たな知恵や技術へと繋げている。鋳物そのものの質の向上や技術向上のため、ここ数十年は、日本各地、海外を含めた交流も生まれているが、各メーカーごとの技術の色は消えつつあるのもたしかである。


【目次】

序章 ―――――――――――――――――――――――――――――1

 第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2

 第2節 可部と五右衛門風呂‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2

(1)広島市安佐北区可部‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2

(2)五右衛門風呂‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5

第1章 大和重工―――――――――――――――――――17

 第1節 五右衛門風呂‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥19

(1)五右衛門風呂と大和重工‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥19

(2)五右衛門風呂のつくり方‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥21

(3)五右衛門風呂の行方‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥23

 第2節 五右衛門風呂からホーロー浴槽へ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥25

(1)ホーロー浴槽‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥25

(2)「ホーロー浴槽見学会」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥26

 第3節 職人たちのライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31

(1)木村一登氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31

(2)田中淳氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥32

(3)真野誠之氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥34

第2章 友鉄グループ―――――――――――――――――─49

 第1節 友廣大造氏と友鉄グループの変遷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥50

(1)友廣大造氏と友廣和有氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥50

(2)五右衛門風呂の時代‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥51

(3)マンホールと機械鋳物‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥53

 第2節 友鉄グループと「たたらの魂」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥55

第3章 豊田実業―――――――――――――――――─67

 第1節 野地洵氏と豊田実業の変遷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥68

(1)野地洵氏と豊田実業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥68

(2)五右衛門風呂と豊田実業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥68

 第2節 鍛冶稲荷と「ふいご祭り」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥70

結語――――――――――――――――――――――――――――――77

文献一覧――――――――――――――――――――――――――――80


【本文写真から】



写真1 大和重工の吉田工場内に据えられた「遊牧民」シリーズの五右衛門風呂

写真2 鋳物工場内の様子

写真3 現在の鋳物製品のひとつ


【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、多くの方々に調査へのご協力をいただきました。
 お忙しいなか勤務時間を割いて、詳しいお話をしていただき、また快く工場内の貴重な現場を見せてくださった大和重工の木村一登氏、田中淳氏、大前弘幸氏、真野誠之氏、友鉄マシンの友廣大造氏、豊田実業の野地洵氏をはじめ、可部の鋳物メーカーの皆さん。可部の歴史についてお話を聞かせてくださった可笑屋の三島満里子氏、安佐北区役所の皆さん。以上の皆さんには、たくさんの貴重な資料も見せていただきました。
 以上の皆さんの協力なしには、本論文を完成させることはできませんでした。お力添えいただいたすべての方々に、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。