関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

堀とバラック―戦後新潟市の事例―

堀とバラック―戦後新潟市の事例―
北村 美季

【要旨】
 本研究は、戦後の堀端に並んだバラックについて、昭和30年後半まで堀が張り巡らされていた新潟市古町をフィールドに実地調査を行うことで、堀とバラックの関係や、バラックの移り変わりについて明らかにしたものである。
 本研究で明らかになった点はつぎのとおりである。


1. 戦前から堀沿いには、すし屋や飲み屋など飲食店の屋台が何軒か存在していた。
2. 戦後、西堀、東堀、蔵所堀の堀端には、一杯飲み屋など、バラック小屋の飲食店が増え、密集してハーモニカ横丁のように並んでいた。
3. バラック飲食店を経営する人には引揚者や未亡人が多くいた。
4. 昭和30年新潟大火によりその数はさらに急増するものの、昭和39年新潟国体の開催を機に堀の埋め立てが進み、バラック飲食店も立ち退きを命じられる。
5. 立ち退きにより単独移転した飲食店もあったが、堀ごとにまとまって組合を作り、「西堀飲食店街」、「八柳会」など飲み屋が集合した建物ができた。
6. また、戦後の西堀端には闇市が起源である朝市「白山マーケット」が誕生した。そこにもバラック小屋が並び、その中では洋服や日用品が売られたが、野菜などは露店で売られた。
7. 朝市で野菜を売る人は、電鉄に乗って白根の農村から来る人が多かった。
8. 交通量の増加により旧県庁脇の「県庁市場」へ移動、そして現在は白山浦2丁目に私有地を買い、「白山朝市場」が存続している。


【目次】
序章―――――――――――――――――――――――――――1
 第1節 新潟の街の成り立ち・・・・・・・・・・2
 第2節 古町の堀・・・・・・・・・・・・・・・2
第1章 堀端とバラック飲食店―――――――――――――――5
 第1節 戦前の堀端・・・・・・・・・・・・・・・6
 第2節 敗戦とバラック飲食店の急増・・・・・・・9
 第3節 バラック飲食店の立ち退きと代替地・・・・16
第2章 バラック飲食店の消長―――――――――――――――37
 第1節 西堀のバラック飲食店・・・・・・・・・・38
 (1) 西堀から「八柳会」へ・・・・・・・・38
 (2) 単独移転・・・・・・・・・・・・・・38
 第2節 東堀のバラック飲食店・・・・・・・・・・40
第3章 白山朝市場――――――――――――――――――――47
 第1節 闇市の発生・・・・・・・・・・・・・・・48
 第2節 旧県庁脇への移転・・・・・・・・・・・・49
 第3節 白山浦への移転・・・・・・・・・・・・・51
結語―――――――――――――――――――――――――――67
補章―――――――――――――――――――――――――――69
文献一覧―――――――――――――――――――――――――73


【本文写真から】

写真1 バラック飲食店が並んでいた西堀通



写真2 西堀のバラック飲食店が移った「八柳会」



写真3 東堀のバラック飲食店が移った「西堀飲食店街」



写真4 「西堀飲食店街」の長屋と奥は「八柳会」の建物



写真5 白山市場商業協同組合



写真6 平日、白山朝市場の様子



【謝辞】
 本論文は、多くの新潟市民の方々のご協力により完成に至りました。特に、川上伸一氏には堀の歴史を教えていただいたり、話者の紹介をしてくださったりと大変お世話になりました。また、屋台やバラック飲食店について港すし、とんかつ太郎、いさみ、三吉屋、ブルーバードの方々に、市場については白山市場商業共同組合の中川新一郎理事長をはじめ、事務員さん、組合員のみなさんに、貴重な話や資料を提供していただきました。そして住民の視点から伊佐テフ氏、志賀恒夫氏、長谷川守英氏、深井俊輔氏、岡クリーニング店主、笹川餅屋店主、そのほか近隣住民の方にもお話をしていただきました。とても親切に接してくださり、心から感謝しています。
 ご協力していただいた全ての方に、厚くお礼申し上げます。