関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

長浜の「蛇の舞」—雨乞い儀礼から芸能へ—

佐久間祐希
【要旨】
本研究は、滋賀県長浜市永久寺町をフィールドに、「蛇の舞」を継承する「蛇組」を主な調査対象として実地調査を行うことで、その起源、そして一つの雨乞いが芸能へと昇華されていくまでの過程を明らかにしたものである。本研究において明らかになった点は、次の通りである。

 蛇の舞は元をたどれば、雨乞いを背景として持つ永久寺町で生まれた民間習俗である。その起源としては2つあり、正確な起源を特定することはできない。しかし、かつて永久寺町民が深刻な水不足に苦しんでいたことは事実であり、蛇の舞を行うことによって本当に雨を降らそうと考えて行っていたのである。しかし、その当時から、蛇の舞は蛇組だけが行っている行事であり、その他の永久寺町民は、自分たちには関係のないことという意識があった。
 1948(昭和23)年に、永久寺町内にある八坂神社境内の弁天池から演ずる場所を移し、長浜八幡宮境内の放生池において蛇の舞を行うようになったことを契機として、その意味合いに大きく変化が生まれた。つまり。蛇の舞にもはや雨乞いという意味合いがなくなり、一つの伝統芸能としての意味合いが付与されたのである。それまでは、自分たちの運命を神に頼る非科学的な意味合いが蛇の舞にはあり、蛇組を含む多くの永久寺町民が蛇の舞を雨乞い行事として認識していた。しかし、時代を経るにつれて生活水準が向上し、人々の中に、ある程度以上の科学的な知識が身についたのと同時に、求める生活水準も大きく変化していった。また、南部用水が完成したことを受けて、以前に比べて水資源に困らなくなったことも、人々の意識に変化を起こした一因となるであろう。これらの影響を受けて、雨乞いという確証がない、非科学的な方法に自分たちの生活を任せるのは、あまりにもリスクがあり、非現実的であるという思いが生まれていった。これに代わって、自分たちの目的を果たすためだけに行っていた状態から、自分たちの舞を人々の前で披露するようになったことで、これは一つの芸能であるという意識が演者である蛇組の中で生まれるようになった。
 芸能として人々の前で行うからには、それなりの価値があるものを披露しなければならない。そういった意識が蛇組の中でも生まれていった。それが形として現れたのが、柿木花火工業が蛇の舞に参加するようになって成立した、本格的な花火を用いた視覚的な演出である。また、高木電気店の参加や謡曲の活用といった音響効果を用いた聴覚的な演出もこれに当たる。このように、雨乞いとして行っていた時代には、自分たちだけで行っていたものが、演ずる場を変え、大勢の人々の前で行うことにようになったことを受け、多くの外的要因の力を借りることで、一つの芸能を完成させるという形に変化していったのである。永久寺町内で行っていた時代は、小規模でのことであったが、長浜八幡宮で行うようになった現在では、毎年約200人の観客を集めるまでの芸能に成長していった。
 しかし、後継者問題が深刻な課題として取り上げられるのは、どの芸能の世界でも言えることであり、すでになくなってしまった伝統文化も存在するのが現実である。それは、蛇の舞においても例外ではなく、後継者問題といった課題が直面しているのである。実際に、様々な家庭の事情が重なった結果、蛇組として蛇の舞に参加するのを困難に感じている家があるのも事実である。長浜八幡宮という演ずる場所がなかったら、蛇の舞はなくなってもおかしくない行事であると言う者もいる。それらの事情を踏まえた上で、蛇組として大切にしていきたいと考えている考え方がある。それは、蛇の舞という一つの伝統行事を通して、様々な世代の人々との間における仲間作りや人間関係作りを行っていきたいというものだ。


【目次】
序章ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3
 第1節  問題の所在・・・・・・・・・・・・4
 第2節  長浜の概説・・・・・・・・・・・・4
 第3節  蛇の舞・・・・・・・・・・・・・・9


第1章 八坂神社における蛇の舞ーーーーーーー11
 第1節 2つの起源・・・・・・・・・・・・12
 第2節 蛇組の始まり・・・・・・・・・・・13
 第3節 雨乞いとしての舞・・・・・・・・・16


第2章 長浜八幡宮における蛇の舞ーーーーーー19
 第1節 八坂神社から長浜八幡宮へ・・・・・20
 第2節 宿の役割・・・・・・・・・・・・・25
 第3節 演者の役割・・・・・・・・・・・・26
 第4節 2体の蛇・・・・・・・・・・・・・27
 第5節 2度だけ行われた蛇の舞・・・・・・29


第3章 芸能としての蛇の舞ーーーーーーーーー35
 第1節 意識の変化・・・・・・・・・・・・36
 第2節 花火の導入・・・・・・・・・・・・37
  (1)蛇組による花火の製造・・・・・・・37
  (2)柿木花火工業の参加・・・・・・・・39
 第3節 音響効果の導入・・・・・・・・・・43


結語ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー51


文献一覧ーーーーーーーーーーーーーーーーーー54


【本文写真から】

八坂神社 社殿


放生池にある都久夫須磨麻神社 社殿


蛇の舞当日の様子


昭和40年代の蛇の舞


現在使用されている蛇


【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、多くの方々にご協力していただき、深く感謝しております。お忙しい中お話を聞かせてくださった、蛇組の皆様、株式会社柿木花火工業代表取締役 柿木博幸様、曳山博物館館長 中島誠一様、その他本論文では触れていませんが、調査に関してご協力していただいた全ての方々、皆様のご協力なしには、本論文を完成することは出来ませんでした。心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。