野見山三四郎
【要旨】
本研究は、岡山県真庭市湯原温泉街をフィールドに実地調査を行なうことで、はんざき祭りの創始、展開を明らかにするものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。
1.湯原温泉街ははんざきにゆかりを持つ土地である。温泉街に流れる旭川ははんざきの最多生息地域だ。また、日本で初めてオオサンショウウオの研究が開始された場所であり、農科大学教授である石川千代松が湯原を訪問している。著書である『はんざき(鯢)調査報告』には湯原地域の土地のことや、湯原のはんざき文化について触れられており、湯原がはんざきの里として認識されるようになった。現在でも「はんざきセンター」という生きているはんざきを見ることのできる施設があることや「日本オオサンショウウオの会」と呼ばれる研究発表会が湯原温泉街で開かれるなど湯原とはんざきとの結びつきの深さが見える。
2.はんざきの社は作陽誌に書かれている神社の若宮として建てられた。湯原温泉街には国司神社と呼ばれる神社が存在していた。神社の合併により、同じ真庭市にある八幡神宮に国司神社は吸収されてしまって現在は存在していない。はんざき大明神が湯原温泉街に残っているのはその際に吸収されなかったからである。その理由は、はんざき大明神の社地が私有物であったためであると言われている。石川千代松は、湯原に立ち寄った際にはんざき大明神を地域の人々が大切にしていることに感動したらしく、その当時、社地を買い取ったのだという。この行動により、神社が吸収されたのちも若宮のはんざき大明神は湯原温泉街に残っている。
3.はんざき祭りの始まりは1962年に岡山国体山岳競技の閉会式が湯原で開催され、その際地元の若者が選手の方々を喜ばせようと何か企画できないかということで考えられたものが、地元にあったはんざき伝説をもとにしたはんざき祭りだった
4.はんざき祭りの特徴として神仏習合の祭りであることが挙げられる。神事ははんざき大明神に、仏事は三井彦四郎に行われているという理由。元々夏祭りとして行われていた温泉祭りが、薬師寺の祭りであった名残であるという理由も挙げられる。
5.初期の造り物は毎年つくりかえており、毎年布を被せ、竹を組んでいる。造り物の上には三井彦四郎に扮した人物が乗り、お菓子をばらまく。
6.初期の造り物を毎年造ることが困難になってきたこと、新調したいとの声があがったことにより1994年に「太郎」が造られる。その1年後に「太郎」が好評だったため「花子」が造られる。
7.祭りの50周年を迎えた2011年に「はんざきねぶた」が岡山県高梁市川上町で「まんが絵ぶた」を参考に造られる。
【目次】
序章
第1節 問題の所在
第2節 研究史
第3節 調査方法
第1章湯原温泉とはんざき
第1節湯原とはんざき
第2節はんざき大明神
第3節 ヌシとしてのはんざき
第2章 はんざき祭りの創始
第1節 岡山国体と祭りの創始
第2節 造り物の登場
第3章 はんざき祭りの創始
第1節 祭りの観光化
第2節 造り物の変化
第3節 はんざきねぶたの誕生
第4節 祭りの現在
結語
文献一覧
【本文写真から】
【謝辞】
本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただいた。お忙しいなか、はんざき祭り、湯原温泉街についてお話を聞かせて下さった、小河原弘基氏、坂手修三氏、浜子尊行氏、早瀧俊海氏、伴野良子氏、ほか調査にご協力いただいた湯原温泉街の皆さん。これらの方々のご協力なしには、本論文は完成にいたらなかった。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。