関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

加賀鳶梯子登りの芸能民俗誌−秘伝・マニュアル・個別性−

【要旨】
「加賀鳶はしご登り」とは、江戸時代に火消が火災現場で高いはしごを立て、頂上から火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことに始まり、さらには高所での作業を行うための訓練、度胸勇気をつけるためにも行われたと言われている。現在は27種の演技を6メートルのはしごの上で行っており「金沢百万石まつり」などでその妙技が披露されている。本論文は、消防団員でありながら伝統芸能「加賀鳶はしご登り」のパフォーマーでもある金沢市消防団を調査対象とした。本論文執筆にあたりその「加賀鳶はしご登り」が現在の演技に至るまでに時代の中で様々な変化があったことが明らかになった。金沢市消防団の歴史、2つの分団の日常、「加賀鳶はしご登り」の来歴、道具立て、演技内容などを明らかにした上で、本論文の論点である分団ごとに秘伝とされていた演技がマニュアル化されその後演技者ごとの個別性が発生する時代の流れを明らかにすることを目的とする。
本研究で明らかになった点は次の通りである。



1.金沢市消防団の活動が他地域と比べて非常に活発な理由は、常備消防である消防署と義勇消防である消防団の間に強い信頼関係があることと、金沢方式と呼ばれる地域のことは地域で責任をもって成り立たせるという意識のもと装備が充実しており、地域との結びつきも強いことが上げられる。



2.2つの消防団において聞き取り調査を行う中で、あまり良いイメージのない消防団という組織を変えるために強い意志とリーダーシップをもってその変化を引っ張ってゆく人物のいる分団は、時代が変わっていく中でも存在意義をもって活動を続けていく事ができる。



3.金沢における消防は、江戸と比べても早い時期から相当な策がとられており、火災の多かった金沢だからこそなし得たことで、その名残は現在の活発な消防団活動に繋がっている。
 また、「加賀鳶はしご登り」の加賀鳶とは江戸で生まれたもので、藩の防火体制強化の為にとびの者を雇ったことに始まる。大名火消と言えば加賀鳶と呼ばれるようになったのには、金沢らしい華麗な装飾や勇猛果敢な行動があったからである。そんな加賀鳶が版籍奉還の際一時金沢に来沢したことで、「加賀鳶はしご登り」が伝わり、元々金沢で行われていたはしご登りと融合して現在の形になったと考えられている。しかし、金沢においても、江戸においてもはしご登り自体の起因は不明である。



4.「加賀鳶はしご登り」にはそれを構成する道具として、はしご、まとい、役割に応じた衣装などがあり、随所にはしご登りの演技の為の工夫が見られる。またこれら道具立てには扱い方に決まりごとが存在する。特に演技の中心的役割を担うはしごは、地べたに置かない、新調したら神社で詣でるといったような決まりごとがあり、昔のはしご登りは、失敗すれば命を落とす危険性があったことから万が一の可能性を考慮して神聖なものとして扱っていた。現在その安全性の変化などから神聖なものという扱い方ではないが、大切な演技の一部であるという認識のもと先に述べたような決まりごとが受け継がれている。



5.「加賀鳶はしご登り」の演技は時代の中で変化してきている。そんな中でも「加賀鳶はしご登り」が行われるようになってから、1970年の大阪万博までは、分団ごとに演技の内容が異なる多様性の世界があった。それら秘伝の技は、門外不出で先輩から後輩に口伝と身体を使うことで伝えられてきた。また、当時は現在のように演技を通しで行うという常識がなく、得意な技を数人で交代して演じたという。その当時の演技を記録したものはほとんどないが、統一の1年前1969年に、馬場分団が写真にてその演技を保存している。そこには、現在全く見ることができない2、3人で行う合わせ技などが記録されていた。



6.秘伝と多様性に満ちた「加賀鳶はしご登り」の世界は、大阪万国博覧会で演技を行うことが決まった際、演技の統一が計られ現在とほぼ同じ形が形成された。しかし、万博後出初式百万石まつりなどの公式な場では統一されたはしご登りが演じられたが、それ以外の場面では、元々分団内で秘伝として受け継がれた演技などが組み合わされながら演じられ、完全な統一は出来ていなかった。その後、1993年自治体消防45周年記念大会において東京ドームで演技を披露することが決まり再度演技の統一が計られその演技は現在まで伝承されている。



7.現在の演技は1993年に再統一されたものとほとんど変わりはないが、新しい形での変化が生まれている。それは27種の演技を基本に置きつつも、演技者の個別性を加えるというものだ。多くの人が同じ演技をする中で、より自分が目立つためには、より多くの拍手を得るためにはどうすれば良いかを演技者が考え、その答えを自らの演技に付加することで生まれる演技者の色である。



 この様に、「加賀鳶はしご登り」は様々な形を経て現在の演技に至り、まだその変化を続けようとしている。どの時代においてもその変化を下支えしているのは、演技者の観客を思う気持ちでありそこだけはどれだけ時間を経ても変わらない加賀鳶の心意気と言えよう。




【目 次】

序章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 

 第1節 問題の所在・・・・・・・・・・・・・10

 第2節 フィールドの概要・・・・・・・・・・10

 第3節 金沢市消防団・・・・・・・・・・・11

  (1)消防団という組織・・・・・・・・・・11

  (2)石引分団・・・・・・・・・・・・・・13

  (3)菊川分団・・・・・・・・・・・・・・14


第1章 加賀鳶はしご登りの来歴と構成・・・・・17

 第1節 来歴・・・・・・・・・・・・・・・・18

  (1)江戸の消防・・・・・・・・・・・・・18

  (2)金沢の消防・・・・・・・・・・・・・18

  (3)加賀鳶の由来・・・・・・・・・・・・19

  (4)はしご登りのはじまり・・・・・・・・21

 第2節 道具立て・・・・・・・・・・・・・・23

  (1)はしご・・・・・・・・・・・・・・・23

  (2)まとい・・・・・・・・・・・・・・・27

  (3)衣装・・・・・・・・・・・・・・・・31

 第3節 演技の構成・・・・・・・・・・・・・36


第2章 秘伝と多様性・・・・・・・・・・・・・71

 第1節 マニュアルのない世界・・・・・・・・72

 第2節 馬場分団の演技・・・・・・・・・・・73


第3章 大阪万博とマニュアル化・・・・・・・・89

 第1節 大阪万博・・・・・・・・・・・・・・90

 第2節 再強化・・・・・・・・・・・・・・・91

第4章 マニュアル化と個別性・・・・・・・・・95

 第1節 演技の成熟・・・・・・・・・・・・・96

 第2節 中川貴裕氏の演技・・・・・・・・・・97


結語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103


文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105




【本文写真から】

現在の演技 火の見 遠見(二) 









    

1969年当時の馬場分団の演技 二人横大(現在は存在しない)







 1969年当時の馬場分団の演技 三階松(現在は存在しない)




自治体消防45周年記念大会 東京ドーム




現在の個別性が現れている演技 石引分団中川氏




【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、多くの方のご協力をいただいた。
 様々な消防団の日常を語ってくださった石引分団・菊川分団・材木分団の皆さん。貴重な資料やお話を聞かせて下さった団本部の皆さん。また、ほぼすべての調査先に同行して下さり、様々な形で調査をサポートしていただいた石引分団の中川さん。これらの方々の協力なしには、本論文の完成にはいたらなかった。今回の調査にご協力いただいたすべての方々に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。