吉野 有紀
【要旨】
本研究は、武雄古唐津の陶工たちについて、佐賀県武雄市をフィールドに実地調査を行うことで、陶工たちが行う古唐津の伝統と創造を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。
1.原料における創造として土と釉薬があげられる。
(1)土は現地、武雄のものを使い、その良さを引き出すことで武雄古唐津の独自性が成り立つ。東馬窯・馬場宏彰氏は鉄分を多く含んだ赤土を使用することで独自の「梅花皮模様」を生み出すことに成功した。
(2)釉薬の原料も地元から自分で採取し、それらは窯元ごとに調合比率が異なる点に創造がある。
(3)松保窯には久保鉄郎氏の30年にもわたる釉薬の分析のノートが存在する。
(4)松保窯・久保正敏氏は風化長石を使用した釉薬の窯変による独特な作品を生み出した。
(5)原料の良さを引き出すためには道具の創造も必要となる。凌山窯・松尾潤氏は塩釉専用の窯を作ることで焼成時に生じる問題を解決した。
2.陶工たちにとって「伝統」とは「見様見真似」のものである。それは技術を代々継承していく窯元でも同様であり、見て触って作るという経験を積み重ねることで伝統技法を自分の物としていくのである。
3.武雄古唐津の伝統技法は多種多様である。故にその伝統技法をそれぞれの窯元が取り入れ、他の技法と組み合わせることで個人の創造を行っている。
(1)松保窯の「松の絵」は、鉄絵緑彩という武雄古唐津の伝統的技法を独自のダイナミックな絵柄で表現している点、使用する釉薬と窯の焚き方を工夫している点の二点によって独自の創造が成り立っている。
(2)金子窯は、本来土を硬く締めるための技法である「叩き」を、その時にできる文様をあえてはっきりとつけておくことでデザインとして成立させている。
(3)東馬窯・馬場氏は、他の窯との差異化を図るためにあえて困難な技法である「蛇蝎手」を使用した。使用する二種の釉薬同士があえてうまく混ざり合わないようにすることで、伝統技法でありながら独自の模様の創造に成功した。
(4)東馬窯・馬場氏は、松保窯とは異なる「松の絵」の器を作り出すために、あえてクリーム色の化粧土と織部焼の深い緑を使用し、全体的に渋みを出すことで差異を出した。
4.武雄古唐津の窯元の多くが自分たちの作品を「芸術品」としてではなく、「日用雑器」として作っている傾向にあることが分かった。
(1)「芸術品」として「叩き」の技法で作られるような比較的大きな作品は、近年の生活様式の変化によって需要が減ってきている。そのため、需要のある日用雑器を作らざるをえなくなってきている。
(2)亀翁窯・古賀氏は「芸術品としての古唐津」よりも「使ってもらえる武雄古唐津」を目指している。アジアの職人を目の当たりにし、本来の職人の姿を理解したうえで、「陶芸家」ではなく、「職人」でありたいという姿勢で作陶に励んでいる。
【目次】
序章 武雄古唐津―――――――――――――――――――――――――――――3
第1節 佐賀県武雄市-----------------------------------------------4
第2節 武雄古唐津-------------------------------------------------4
第3節 武雄市の陶工たち-------------------------------------------8
第1章 原料と道具――――――――――――――――――――――――――――13
第1節 土の創造--------------------------------------------------14
第2節 釉薬の創造------------------------------------------------19
(1)「焼き物のお医者さん」----------------------------------19
(2)研究ノート----------------------------------------------20
(3)「面白い釉薬」を求めて----------------------------------24
第3節 道具の独自性----------------------------------------------27
第2章 技法――――――――――――――――――――――――――――――33
第1節 陶工たちにとっての「伝統」--------------------------------34
(1)見様見真似の「伝統」------------------------------------34
(2)継承される「伝統」--------------------------------------36
第2節 創造の追求------------------------------------------------43
(1)「伝統」の組み合わせによる新しい「創造」----------------43
(2)「松の絵」の創造----------------------------------------47
(3)「叩き」の変容------------------------------------------51
(4)他者との差異化------------------------------------------54
第3章 「芸術品」から「日用雑器」へ―――――――――――――――――――61
第1節 需要の変化------------------------------------------------62
第2節 「使ってもらえる」武雄古唐津を目指して--------------------63
結語―――――――――――――――――――――――――――――――――69
文献一覧―――――――――――――――――――――――――――――――71
【本文写真から】
写真1 武雄の鉄分を多く含んだ赤土をうまく利用することで、東馬窯・馬場宏彰氏が考案した「梅花皮釉」のビアカップ。
写真3 伝統的武雄古唐津に見られる松の絵とは全く異なる、松保窯・久保正敏氏の「松の絵」。
写真4 金子窯・金子認氏の伝統的「叩き」の技法を文様としてあしらった作品。
写真5 亀翁窯・古賀氏が「使ってもらう」ことを重視し、インドの使い捨てコップをモデルに作成したコップ。
【謝辞】
本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただきました。
お忙しい中、独自の創造についてたくさんお話をしてくださった、東馬窯・馬場宏彰氏、家庭の事情で大変な中暖かく迎え入れてくださった松保窯・久保正敏氏、お客さんが来られていてもその後で丁寧に対応してくださった凌山窯・松尾潤氏、わざわざ貴重な資料を郵送して頂いた金子窯・金子認氏、金子晃久氏、文献を貸して頂いた上に巧みな轆轤成形まで見学させてくださった亀翁窯・古賀末廣氏、飛龍窯をはじめ、古唐津に所縁のあるさまざまなところに案内してくださった古賀浩子氏、金子製陶所時代のお話を聞かせていただいた上古唐津のコップまでくださったくろかみ窯・小野竹春氏、小野元紹氏、武雄古唐津の歴史についてのお話及び資料を提供してくださった江口勝美氏、ほか調査にご協力くださった武雄市の方々。 皆様のご協力なしでは、本論文を完成させることはできませんでした。この場をかりてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。