関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

伝承の語り換え-『真清探當證』と尾張一宮をめぐって- 

西尾佳奈子

 

 

 

【要旨】本研究は、『真清探當證』の伝承について、尾張一宮を中心としたフィールドに現地調査を行うことで、その影響を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

1.記紀では、兄・億計王(のちの仁賢天皇)と弟・弘計王(のちの顕宗天皇)は、父が殺害されたのち、播磨国へ向かいその地で過ごしたとされる。仕えていた家の新築の祝いの宴にて、二皇子は身分を明かす。『古事記』では、清寧天皇崩御後に、『日本書紀』では清寧天皇が生きている時に二皇子は発見された。『播磨国風土記』にも二皇子の伝承がみられる。億計・弘計王二皇子に関する伝承は兵庫県を中心に語られている。

2.記紀では、継体天皇は近江国の彦主人王と越前国の振媛との子供である。『古事記』では近江国から、『日本書紀』では越前国から迎えられ、即位したとされる。『日本書紀』には、近江国で誕生したのち父が亡くなったため、母の故郷の越前国で育ったといわれている。継体天皇に関する伝承は福井県を中心に語られている。

3.『真清探當證』とは、億計・弘計王二皇子と継体天皇に関する記紀とは異なった内容が語られている古文書である。『真清探當證』で語られている歴史的事実の真偽は分からず、謎が多い。

4.『真清探當證』は、昭和の初め頃に愛知県一宮市の土川健次郎氏によって根尾村(岐阜県本巣市根尾)に伝わった。昭和11年には、正徳暁照氏によって書き写された製本が完成した。平成11年には田中豊氏よって復刻版が出版された。

5.古文書『真清探當證』の発見は、記紀とは異なった内容が語られているにも関わらず、伝承を語り換える影響力があると思われる。

6.『真清探當證』が語る伝承は、現在その地に伝わる伝承と類同するものもあれば、相違するものもある。類同するものは、籠守勝手神社(愛知県一宮市木曽川)の御駕籠祭、八ッ白社「卯つ木塚」(愛知県一宮市泉)、根尾谷淡墨ザクラ(岐阜県本巣市根尾)、浅間社(愛知県一宮市牛野通)である。一方、相違するものでは、大石社(愛知県一宮市桜)、大神社(同市天王)、油田遺跡(同市多加木)、黒姫神社(同市緑)である。

 

【目次】

序章

 第1節 問題の所在                 

 第2節 古事記・日本書記における伝承

    (1)億計王・弘計王

    (2)継体天皇

第1章 『真清探當證』とは何か

 第1節 『真清探當證』

 第2節 尾張一宮

 第3節 世の中に出るまで

第2章 『真清探當證』との類同

 第1節 御駕籠祭

 第2節 八ッ白社「卯つ木塚」

 第3節 根尾谷淡墨ザクラ

 第4節 浅間社

第3章 『真清探當證』との相違

 第1節 大石社

 第2節 大神社

 第3節 油田遺跡

 第4節 黒姫神社

結語

文献一覧

謝辞

 

【本文写真から】

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写真1 真清田神社(11月24日)

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写真2 籠守勝手神社(11月24日)

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写真3 根尾谷淡墨ザクラ(本巣市ホームページから引用,https://wwwcity.motosu.lg.jp/0000000302.html

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写真4 真清田大神伝承地(11月25日)

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写真5 黒姫神社(11月25日)

【謝辞】

本論文の執筆にあたり、多くの方々にご協力いただき、心より御礼申し上げます。突然の訪問でしたが、お話をお聞かせくださいました、真清田神社様のご協力がなければ、本論文の完成には至りませんでした。親切にご対応頂き、本当にありがとうございました。