関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

染色補正師の技と芸―シミ抜き・直しと抜染絵画―

染色補正師の技と芸―シミ抜き・直しと抜染絵画―
高原由衣
【要旨】本研究は染色補正師の抜染絵画について、京都・九州をフィールドに実地調査を行うことで、抜染絵画を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は以下の通りである。

1、染色補正師とは、所謂染み抜き屋と呼ばれ、汗や泥などの染みをはじめとし、着物を作る過程で生じてくる染みなど、主に和装の衣服の汚れの問題に関して、職人として培った知識・技術をもって問題を解決していくことを生業とした人々のことを指す。

2、江戸時代に京都の新宮家が天皇の献上品の御手入を司っていたことをきっかけに「御手入司」と呼ばれるようになり、それが畿久屋新宮家という流派、または職業としての染色補正業の始まりとなる。後に桔梗屋、明治時代にかけて梅鉢屋、萬屋、亀甲屋など様々な流派が誕生し、暖簾分けされることによって、染色補正業が全国へ広がっていく。

3、京都では京友禅西陣、三度黒など着物の文化が非常に発達したため、着物に関して職人たちの間で、悉皆人、染屋、染み抜き屋などそれぞれの分業が確立される。戦争を経て職人の数が激減し、畿久屋・桔梗屋以外の流派が姿を消す。染色補正師たちは、染色補正師の存続と発展を望み、畿久屋・桔梗屋の流派の垣根を越えて、京都染色補正工業協同組合を設立。さらに職人の訓練校の設立や技能検定を実施することで、今日まで職人たちの地位向上に努めいている。

4、九州では京都のような分業制とは異なり、染み抜き屋に様々なシミに関する依頼が寄せられることが多く、地方の染色補正師として生きてくためには、様々な問題に対応するべく、マルチスキルを身に着ける必要がある。それらを身に着けるべく地方職人たちが重視していることが、職人同士の繋がりである。西日本染色補正研究会は、職人たちが集まり、お互いの情報や技術を共有しあうことによって結びつきを強め、技術の向上・発展を目指している。

5、染色補正師たちが培ってきた技術のひとつは、シミを落とすことである。シミには大きく「油性」、「水溶性」、「蛋白性」といった種類があり、時にそれぞれが複合した汚れや、時間と共に物質を変化させた汚れとなって布地に付着する。職人たちはその汚れが一体どのような性質を持っているのかを見極め、汚れの性質に見合った技・用具を用いてシミ抜きを行っていく。

6、染色補正師たちが培ってきたもうひとつの技術が、「直し」である。職人たちはシミを抜いたことで白くなった布地の部分や、日やけによって色あせた布地を、染料を使用して色掛けを行っていく。この色掛けは、布地の色と染料の色を合せる「色合せ」の作業が非常に難しいとされており、業界の中でも直しが出来る職人の数は少数であると言われている。

7、染色補正作業を行う中で、職人たちが使用してきた用具も時代と共に変化してきた。鶯の糞から化学薬品へ、また水木から超音波洗浄機へと、科学の進歩に伴い作業の効率化・安全性や質の向上へと繋がった物もあれば、鏝のように職人たちの間で重宝されているにも関わらず、時代と流れの中で姿を消していく用具も存在する。

8、シミを含む、生地の色を落とす技術を、職人たちは「抜染法」と呼ぶ。そしてこの抜染法を用いることで描かれる絵画のことを抜染絵画という。抜染絵画は、京都染色補正工業協同組合が開催する染色補正技術競技会の競技種目として導入されたことをきっかけに、土本康弘氏によって創案され、絵画性を高めていくこととなる。

9、その技法は、職人によって様々である。絵画性を求めて一部を専門家に任せた抜染方法を行う職人もあれば、色の濃淡にこだわり、1から全てを描き上げていく職人もいた。また、現在では絵画や写真の模写を題材に、色の濃淡以外にも鮮やかな色合いを出す職人が多いと言われている。

10、総じて、抜染絵画は多くの染色補正師たちにとって、競技の1種目という認識が強くなされている。その中で自身の個性やこだわりを詰め込み、単なる「絵画」ではなく、彼らの社会の中で、一職人としてどれだけの技術を身に着けたか、そしてその技を発揮できるかということを証明する物として、かれらの社会の中で共有されているのである。
 

【目次】
序章 
第1章 染色補正師たち
 第1節 染色補正業とは何か
 第2節 京都染色補正工業協同組合
  (1)京都の染色補正師
  (2)京都染色補正工業協同組合
 第3節 染色補正師 吉井貞樹氏
 第4節 染色補正師 藤井太郎氏
 第5節 西日本染色補正研究会
 第6節 西研の職人たち
  (1)染色補正師 藤本吉則氏(福岡市)
  (2)染色補正師 山口巧氏(長崎市
  (3)染色補正師 廣川清治氏(大分市
  (4)染色補正師 黒木省三氏・典子氏(北九州市
  (5)染色補正師 斎藤誠史氏(長崎市
第2章 技と用具
 第1節 シミを抜く
  (1)汗ジミ
  (2)タンニンのシミ
  (3)蛋白性のシミ
  (4)泥ハネ
  (5)雨ジミ
 第2節 直し
  (1)地直し
  (2)柄足し
  (3)日やけ直し
  (4)スレ直し
 第3節 用具の変遷
  (1)鶯の糞から蛋白分解酵素
  (2)水木から超音波洗浄機へ
  (3)刷毛・絵筆からコンプレッサーへ
  (4)鏝からアイロンへ
  (5)ブラックライトの導入
第3章 抜染絵画
 第1節 抜染絵画の誕生
 第2節 抜染絵画の技法
  (1)山田幸造氏
  (2)土本康弘氏
 第3節 現在の抜染絵画
  (1)競技種目としての抜染絵画
  (2)職人たちにとっての抜染絵画
結語
文献一覧
謝辞

【本文写真から】

職人が所有する染料


染色補正の様子


抜染絵画の祖と言われる土本康弘氏の抜染絵画集


京都の染色補正師藤井太郎氏の抜染絵画


福岡の染色補正師藤本吉則氏の抜染絵画

【謝辞】
「本論文の執筆にあたり、沢山の温かいご協力に大変感謝いたします。
お忙しい中、何度も西研との連絡や資料提供をして下さった山口巧氏、西研の研究会にてお話を聞かせて下さった、吉井貞樹氏、藤本吉則氏、黒木省三氏、典子氏、斎藤誠史氏、廣川清治氏、また様々な写真や文献を提供して下さった山田明人氏、調査に協力して下さった西研の皆様。また、京都にて京都の職人に関してや、ご自身のお話をして下さった藤井太郎氏とその奥様。これらの方々のご協力なしには、本論文は完成に至りませんでした。調査にご協力いただいた全ての方々に、心よりお礼申し上げます。誠にありがとうございました。