関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

商家と文化―堺・大澤徳平商店と湊焼・堺能楽会館―

社会学部 北口ゆりな

【要旨】

本研究は、唯一の個人経営である堺能楽会館で実施調査を行い、オーナーの大澤徳平氏にお話を伺うことで、堺の商家として大澤家が所有していた文化が湊焼や能楽堂の創出にどのように関わっていたのか、また堺能楽会館が創設されてから現在までの変化を記述したものである。本研究で明らかになった点は、以下のとおりである。

1、明治から昭和期にかけて、酒造家の活躍により堺の製造業のトップは醸造産業であった。しかし、より酒造りの条件が良い灘への進出、井戸水の不足、地方からのライバルの出現、そして堺大空襲による酒蔵の焼失のために衰退した。大澤家も家業が醸造で、大澤徳平商店という大きな酒造会社であったが、同理由のために廃業せざるを得なくなった。

2、大澤徳平商店が廃業してから第2の家業となったのが、堺の伝統工芸品である湊焼の製作であった。茶道を「趣味」としていた父鯛六氏が、茶会の時に消滅していた湊焼に出会ったのがきっかけで、その素晴らしさから「趣味」として復興させた。母美代氏が跡を継いだが、昭和36年の第二室戸台風で窯が被害を受け、廃業せざるを得なくなった。

3、次の転機は昭和42年。堺市長からの提案で、大澤家が所有していた土地にビルを建てることが決まり、その中で美代氏が中庭に能楽堂を建てることを決断した。堺の商家は謡を稽古するのが習わしで、最初は体の弱い姉のために稽古場を造る予定だったが、話が膨らんでいき、本式の能楽堂を建てることになった。湊焼と同じく「趣味」から堺能楽会館が創設されたのである。

4、美代氏は能楽堂を能狂言でしか使わないという強い信念を持っていたが、現在は時代の変化と共に能楽堂を活かせるものであったら良いという大澤氏の考えのもと経営を行っている。そのため、コンサートや現代劇といったさまざまなジャンルで使用されている。

5、地域への伝承として、昭和64年から近辺の小中学校の国語の授業として、狂言鑑賞と体験が行われている。

6、海外への発信として、1999年にスペインの女王が主催するポレンサ音楽祭で能狂言の上演を行った。また、現在も海外留学生のために堺能楽会館で体験ツアーを行っている。

7、5年前からおやじのギャラリー六平を始める。鯛六氏がお酒の販売で出張した時に「趣味」として集めていた郷土玩具や湊焼が展示されている。これらが展示され、現在も能楽堂で鑑賞されることで「生きられた」ものとなっている。

8、現在堺能楽会館で能の稽古を行っている人の共通点は、堺の商家であることだ。その中でも茶道、フラワーアレンジメントを「趣味」としている人がいることから、堺の商家は「趣味」で教養として、茶道、お花、謡を身に着けることが習わしであったということが現在も残っていることがわかる。

【目次】


序章 問題の所在―――――――――――――――――――――――――4
第1章 大澤家----------------------------------------------------6
  第1節 堺と醸造------------------------------------------------7
  第2節 大澤徳平商店---------------------------------------------10
第2章 湊焼の復興――――――――――――――――――――――――14
  第1節 湊焼----------------------------------------------------15
  第2節 大澤製陶所----------------------------------------------17
第3章  堺能楽会館―――――――――――――――――――――――22
  第1節 堺と能------------------------------------------------23
  第2節 堺能楽会館の創設--------------------------------------24
  (1)母美代氏の決断------------------------------------------24
  (2)本式の能楽堂--------------------------------------------29
  (3)流派-----------------------------------------------------29
  第3節 堺能楽会館の現在------------------------------------------32
  (1)使用方法の変化------------------------------------------32
  (2)地域への伝承--------------------------------------------37
  (3)海外への発信--------------------------------------------40
  (4)おやじのギャラリー六平----------------------------------43
  (5)個人の稽古----------------------------------------------46
結語―――――――――――――――――――――――――――――――48
謝辞―――――――――――――――――――――――――――――――51
文献一覧―――――――――――――――――――――――――――――52

【本文写真から】


写真1 堺能楽会館が入っているダイトクビルの外観



写真2 大澤徳平商店の銘酒「千代鶴」の広告



写真3 堺能楽会館 能舞台



写真4 大澤氏の父鯛六氏が堺商工会議所から注文を受け、製作した湊焼



写真5 ポレンサ国際音楽祭での公演のために創設した仮能舞台
    大澤氏が現地の大工に指示をし、造った。


【謝辞】

本論文の執筆にあたり、快くご協力してくださった大澤徳平様に心より御礼を申し上げます。堺能楽会館でのさまざまなイベントを見学、そして参加させていただき、大変貴重な経験となりました。お忙しいのにも関わらず、ファミリーヒストリーから能狂言の基礎まで教えてくださったことで、堺の文化への関心が深まり、その奥深さを認識しました。地元である堺にこのような素晴らしい能楽会館があることを誇りに思います。
 大澤様のご協力なしでは、本論文を完成することはできませんでした。今後も堺能楽会館での鑑賞を楽しみにしております。誠にありがとうございました。