関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

死霊と遺品 ―伊勢・志摩における新亡祭祀をめぐって ―

死霊と遺品
―伊勢・志摩における新亡祭祀をめぐって ―

児玉裕佳

【要旨】
 以上、本論文では、三重県朝熊山金剛證寺松阪市・朝田寺、志摩地方をフィールドに、新亡祭祀で用いられている「遺品」に注目し、事例の採集、分析を行うことで、どのような遺品が供養に用いられるのか、また遺品をどのように供養に用いるのか、そして遺品が「新亡の個別性を表す」ことを明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

1.新しい死者を祀る方法の中に、遺品を用いるものが、三重県伊勢・志摩地方に存在する。これまで、伊勢・志摩における新亡祭祀については、同地方の盆についての調査報告などの中で取り上げられてきたが、「遺品を用いた祭祀」という観点から事例の集積、分析を行ったものはない。
2.伊勢市鳥羽市にまたがる朝熊山周辺には、古来より山中他界観という考えがあり、人が亡くなると「タケさんにあがった」などと朝熊山は信仰されてきた。朝熊山に登拝することを「タケマイリ」という。タケマイリの時期や方法は地域によってことなり、それらの事例はすでに報告されている。その頂上付近に位置する金剛證寺奥の院である呑海院では、塔婆を建立して新亡を供養するという慣行がある。塔婆は角塔婆が主で、大きいものは6メートルに及ぶ。昔から大きかったわけではなく、戦後人びとが自家用車でタケマイリすることが可能になり、タケマイリ慣行が広域に及び、盛んになる。その変遷の中で塔婆が巨大化したと見られる。
3.塔婆を建立する際、遺品や遺髪を一緒に供養することがある。これは強制されたものではないため、慣行に地域差がある。鳥羽では髪などを納めることが比較的多く、一方で何も納めない地域・家もある。
4.上記の遺品とは異なる遺品を、塔婆に掛けることがある。寺側は塔婆が傷ついたり汚れたりすることから、看板を設置し、遺品を掛けることを抑制している。また、寺はこの掛けられた遺品を塔婆の「目印」として捉える一方で、参拝者は「新亡者への思いが表れたもの」と捉える。
5.松阪市朝田町の朝田寺では、葬式の次の日、新亡者の遺品である衣服を本堂の天井に掛ける、掛衣という風習がある。これは道明供養を行うためにする。道明供養とは、亡くなって35日の裁判官である閻魔さんの裁きから救ってくれるお地蔵さん対して、亡くなった人を極楽へ導いてください、とお願いすることである。掛衣は亡くなった人の愛用したものを使用する。この掛衣は新亡の魂の依代と考えられている。この風習を行うのは主に、旧松阪市嬉野町三雲町明和町多気町である。
6.8月16〜23日は朝田地蔵祭りが行われる。故人の掛衣に手を合わせる。最終日の23日は花火や盆踊りが行われる。その後、地蔵の扉が閉められ、掛衣をお焚き上げする。
7.志摩の盆行事は大念仏が行われる。この大念仏には「カサブク」という、遺品を吊り下げた和傘が登場する。カサブクは「傘ぼこ」や「キリコ」など、ムラによって呼び名がある。この慣習が無くなったムラや、カサブクを簡略化して行っているムラなどがある。カサブクに必要な和傘は、現在手に入りにくくなり、組合が貸し出している地域もある。
8.タケマイリでは塔婆が新亡者の魂の依代であるが、その事実を明確にするために遺品を掛けるのではないか。またカサブクの例では、カサブクが魂の依代となるが、こちらも同じく新亡の個別性を表すために遺品を吊り下げる。一方、朝田寺では遺品である掛衣自体が魂の依代であるので、すでに個別性が表現されている。総じて、三重県伊勢・志摩地方で遺品を使って新亡供養するのは、新亡の個別性を表現するためであると考えられる。


【目次】
序章 ―――――――――――――――――――――――――――――1
 第1節 問題の所在-------------------------------2
 第2節 フィールド情報----------------------------2

第1章 朝熊山のタケマイリ――――――――――――――――――5
 第1節 朝熊山金剛證寺-------------------------------6
 第2節 タケマイリ------------------------------------11
  (1)研究史--------------------------------------13
  (2)塔婆--------------------------------------14
  (3)遺品--------------------------------------24

第2章 朝田寺の道明供養―――――――――――――――――――43
 第1節 朝田寺--------------------------------------44
 第2節 朝田まいり--------------------------------------48
  (1)掛衣と道明供養--------------------------------------48
  (2)朝田地蔵祭り--------------------------------------57

第3章 志摩のカサブク――――――――――――――――――――65
 第1節 盆とカサブク-----------------------------------66
  (1)志摩の盆--------------------------------------66
  (2)カサブク--------------------------------------67
 第2節 カサブクと遺品---------------------------------69


結語―――――――――――――――――――――――――――――85

文献一覧―――――――――――――――――――――――――――88

【本文写真から】


写真1 朝熊山金剛證寺の塔婆。


写真2 朝熊山金剛證寺の塔婆。遺品(帽子)がかかっているのが分かる。


写真3 松阪市・朝田寺の掛衣。


写真4 写真3−3 波切のカサブクが登場する大念仏
*『大王町史』(大王町史編さん委員会編、1994、1090頁)より転載。


写真3−6 越賀のカサブクと遺品
*『志摩町史』(志摩町編纂委員会編、1978年、558頁)より転載。


【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただいた。金剛證寺呑海院の方々、その他お話を伺った金剛證寺の方々、参拝者の方々。お忙しいお時間を割いて、貴重な話を教えていただいた。茶屋を営む竹内民子氏には古い習俗や、昔の貴重な朝熊山の広告などを見せていただいた。玉城町のO氏にもお世話になった。葬列についてなど、その土地の慣行を教えて頂いた。また、朝田寺のご住職。盆行事を細かく聞き取りさせていただき、ご住職の慣行についてのお気持ちも教えて頂いた。伊勢民俗学会の江崎満氏は浅間信仰の研究者であるが、本研究に関連のある、たくさんの資料を提供していただいた。また青ノ峰の正福寺にもご案内していただき、海上安全の信仰の理解を深めることが出来た。これらの方々はこの紙面に書ききれないほど、親切にして頂きました。皆様のご協力なしには本論文は完成にいたりませんでした。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。


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