関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

半僧坊信仰の消長 ―遠州・方広寺における鎮守のゆくえ―

 飯島大夢

 

 

【要旨】

 

本研究は、静岡県浜松市の方広寺における鎮守である半僧坊の信仰について、方広寺をフィールドに実地調査等を行うことで、半僧坊信仰の辿った歴史とその実情を明らかにしたものである。本研究で明らかになったことは次のとおりである。

 

1.半僧坊信仰は明治初期、経営面で窮地に立たされた方広寺がその脱却を目指し、それまで低調だった鎮守の半僧坊に着目したことで流行が始まった。

 

2.1881(明治14)年に発生した火災で本堂を含めほとんどの建築が焼失する中、再建したばかりの半僧坊真殿がこの大火を免れたことから半僧坊には「火伏」の霊験があるとして宣伝を行い、半僧坊信仰は爆発的に流行していった。

 

3.半僧坊信仰が広がっていくにあたって、それを支えた要素として軽便鉄道の開通があった。アクセスが良くなったことで参拝者の増加を促し、特に遠方からの参拝客に大きく影響した。

 

4.半僧坊信仰の拡大に伴って方広寺周辺が盛り上がり、門前町には土産屋や旅館が立ち並び、娯楽施設も生まれた。中でも、旅館は講や遠方からの参拝客に向けたものであり、1885(明治18)年には日本各地からの参拝客が訪れていた。

 

5.こうした信仰の広がりに寄与したのが外務員と呼ばれる僧だった。その役割は時代と共に信仰を広めることから講との連絡など、講と方広寺・半僧坊を繋ぐ役割へと変わっていった。

 

6.鎌倉や京都、北陸にも半僧坊を祀る場所がある。半僧坊は元来火伏や海上安全祈願の対象として広がっていったが、祈願対象が変わっていった事例もあった。

 

7.方広寺には明治初期以前は講がなく、再建・復興に伴って講が初めて組織された。静岡県や三重県、愛知県を中心とした東海地方の講が多かったが、関東でも講が組織されていた。

 

8.現在は軽便鉄道も廃線して主要な交通手段はバスに変わり、門前町でも現在営業が続いているのは数店のみとなっている。講に関しても、組織していた人々の高齢化によって、現在は講としての参拝はほぼ無く、個人として訪れるといったケースが圧倒的に多くなっている。

 

【目次】

 

序章

 

第1章 半僧坊と方広寺

 第1節 開山・無文元選

 第2節 半僧坊

 第3節 方広寺と半僧坊真殿

 

第2章 拡大する半僧坊

 第1節 方広寺の衰退と半僧坊への着目

 第2節 『火伏』信仰の発生

 第3節 半僧坊信仰の拡大

 第4節 現代の半僧坊と方広寺

 

第3章 半僧坊と講

 第1節 講と外務員

 第2節 講の記録と体験談

  (1)東京都港区麻布誠信講(正真講)

  (2)愛知県刈谷市半栄講

  (3)静岡県榛原郡吉田町松栄講(住吉半僧講)

  (4)静岡県焼津市の講

  (5)三重県四日市市の講

 

結語

 

文献一覧

 

謝辞

 

【本文写真から】

写真1 方広寺本堂 *出典:方広寺公式ウェブサイト(http://www.houkouji.or.jp/ 2023年1月9日閲覧)

写真2 半僧坊 *出典:方広寺公式ウェブサイト(http://www.houkouji.or.jp/about.html 2023年1月9日閲覧)

写真3 半僧坊真殿・拝殿

写真4 門前町

写真5 新居・浜名の講寄進の神輿

 

【謝辞】

 本論文を執筆するにあたり、多くの方にご協力をいただきました。お忙しい中お話を聞かせくださり、大祭の見学・撮影をお許しいただき様々な資料を提供してくださった方広寺教学部長巨島善道氏、半僧坊や奥山周辺についてお話を聞かせてくださった信徒代表・自治会代表や門前町の皆様のご協力がなければ、本論文は完成に至りませんでした。今回の調査にご協力いただいたすべての方に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。