関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

甘木の流れ灌頂 ―福岡県朝倉市の川施餓鬼行事―

鈴木志歩

 

【要旨】

本研究は、福岡県朝倉市甘木という土地をフィールドに、甘木に伝わる流れ灌頂の実地調査をおこなうことで、甘木の流れ灌頂の由来や変遷、そしてもともとは川施餓鬼としておこなわれていたのにも関わらず、なぜ流れ灌頂とよばれるようになったのか、ということを明らかにしたものである。

本研究で明らかになった点は次のとおりである。

 

  1. 流れ灌頂とは、産死者や水死者をはじめとした異常な死を遂げた者に対しておこなわれた特別な供養であった。特別な供養が必要な理由として、異常な死を遂げた者はこの世に未練を残しやすいと考えられていたために、彼らの霊を何か特別な方法で鎮魂しなければならないと考えられていたからだ。

 

  1. 流れ灌頂には大きく分けて3つのタイプがあり、1つ目は、卒塔婆などを川に流して供養する「卒塔婆流し型流れ灌頂」、2つ目は、縄を川の水に浸し、しごいて洗ったり水の中で縄を解いて供養する「縄ざらし型流れ灌頂」、3つ目は、死者が身につけていた衣類の一部、あるいは経文や梵字などを墨書した四角いさらし木綿の布片を川の水にさらして供養する「あらいざらし型の流れ灌頂」と分類されている。(佐々木孝正,『仏教民俗史の研究』,名著出版,1987)

 

  1. 流れ灌頂は、水死者の霊を弔うという目的のために川辺でおこなわれる供養方法の川施餓鬼に類似していることから、次第に流れ灌頂は川施餓鬼とよばれることが多くなった。

 

  1. 福岡県朝倉市甘木では流れ灌頂が現存しているが、現在その姿は打ち上げ花火や灯籠流し、立ち並ぶ屋台がメインとなった行事へと変わっており、その名称を「甘木川花火大会 流灌頂法要会」としている。

 

  1. 「甘木川花火大会 流灌頂法要会」では、打ち上げ花火と灯籠流しの間に、地元の三ヶ寺の住職らが流灌頂法要会として読経をおこなっており、そこでは戦死した方や水害で亡くなった方の霊をはじめ、この世の全ての霊を供養している。またそれとともに、悪疫退散・家内安全・五穀豊穣・諸縁吉祥などの祈願も併せておこなわれているという。

 

  1. 甘木の流れ灌頂は当初川施餓鬼としてはじまったという伝承がある。

 

  1. 流れ灌頂は時代とともに川施餓鬼化していったのにも関わらず、甘木では川施餓鬼が流れ灌頂化していた。その理由は、途中から悪魔退散という目的を追加したことにより、さらに特別な供養である必要性が高まったからだ。流れ灌頂は、異常な死を遂げ、この世に強い未練を残した死者の鎮魂のためにおこなわれていた供養方法であったことから、この要素を取り入れ、流れ灌頂と呼ぶようになった。

 

  1. 甘木の流れ灌頂は過去にサーカスなどの興行も併せておこなわれ、一時は全国祭典番付に掲載されるほどの盛り上がりをみせていた。

 

  1. 現在は、当時ほどの勢いは衰えてしまったものの、それでもなお地元の方々をはじめ、多くの人々に深く愛され続けている甘木の大切な行事なのである。

 

 

 

【目次】

序章 問題の所在

 

第1章 起源の伝承

 

第2章 変遷の過程

 

第3章 流れ灌頂の現在

 

第4章 流れ灌頂と川施餓鬼

 第1節 流れ灌頂の3類型

 第2節 流れ灌頂と川施餓鬼

 第3節 甘木における流れ灌頂と川施餓鬼

 

結語

 

参考文献

 

謝辞

 

 

【本文写真から】

写真1 千葉県市川市下貝塚で実際におこなわれていた流れ灌頂

*出典:坪井洋文『日本民俗文化体系10 家と女性 暮しの文化史』小学館,1985

 

 

写真2 第71回 甘木川花火大会 流灌頂法要会のチラシ

 

 

写真3 第71回 甘木川花火大会 流灌頂法要会の様子(1)

 

 

写真4 第71回 甘木川花火大会 流灌頂法要会の様子(2)

 

 

写真5 第71回 甘木川花火大会 流灌頂法要会の様子(3)

 

 

【謝辞】

本論文の作成にあたり、多くの方々のご協力をいただきました。

当日にも関わらず温かく受け入れてくださり、快くお話を聞かせてくださいました、朝倉商工会議所の太田利博様をはじめとする朝倉商工会議所の職員の皆様。そして、お忙しいなか文献・資料探しにご尽力いただきました、朝倉市中央図書館の司書の皆様。

これらの方々のご協力がなくては本論文は完成に至りませんでした。コロナ禍という状況にも関わらず今回の調査にご協力いただいた全ての方々に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。