関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

かむろ大師信仰の消長 ―和歌山県橋本市における祈祷系寺院の事例―

かむろ大師信仰の消長 ―和歌山県橋本市における祈祷系寺院の事例―


上野陽南

 

【要旨】本研究は、和歌山県橋本市に存在する祈祷系寺院「かむろ大師」を事例とし、実地調査を行うことで、新宗教における信仰組織構築の変遷を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。


1. かむろ大師は、1910年(明治43年)に開創した真言宗系単立宗教寺院であり、独自の「水加持」と呼ばれる祈祷法を行っている。この祈祷法は、開祖である尊海によって編み出された祈祷法が元になっており、参拝者の頭上に霧状の水をかけて祈祷を行う。


2.開祖の尊海は、1892年(明治25年)3月26日に農家の長男として誕生する。幼いころから信仰が篤いことで知られており、18歳の時に同じ村に住む村人から祈祷の依頼をされ、祈祷が成功したことがきっかけとなり、祈祷師として「かむろ大師」を開創する。独自の祈祷による利益と、親しみやすい説法、教義に基づいて尊海自身によって詠まれた「道歌」という歌によって全国各地に多くの信者を獲得し、1981年(昭和56年)7月7日に90歳で亡くなった。

 

3. かむろ大師には「救いを求める人がいれば、その人の手助けをする」という考えが根底にある。その一方で、尊海は「自らが努力しなければ救いは得られない」ということも常に信者に伝えていた。


4. 尊海の没後、かむろ大師では宗教法人化が行われた。また、尊海の晩年期から没後約20年の間に、「奥の院」と「新本堂」の建立がされており、聖地の整備が進んだ。


5.かむろ大師は、関西全域に在住の信者が多いことが特徴的である。これは、かむろ大師の信者により構成された「支部」と呼ばれる団体が全国に存在し、講のような役割を果たしていたことが関係している。支部は霊能力者や超自然的な力を持つ人々が先達のようになり、支部長として支部を管理し、団体参拝の際に引率を行ったり、各地での祈祷を行うなどの役割を果たしていた。現在、支部長や構成員の高齢化により、支部はほとんど機能していない。

 

6. 現在の信者は高齢化が進んでおり、50代~70代の信者が最も多い。また、学文路が学問の聖地として有名なことから、学業祈願に訪れる若い世代の参拝客もいるという。かむろ大師の信者の多くは信徒のため、代々かむろ大師を信仰する信者の家もあれば、個人の信仰にとどまる場合もある。道歌は現堂主の説法でも引用され、尊海没後の現在も信者に親しまれている。

 

【目次】

序章 
 第1節 問題の所在 
 第2節 「学文路」という場所 
 第3節 かむろ大師 
 第4節 水加持 
    
第1章 尊海上人 
 第1節 少年時代 
 第2節 宗教者としての出発 
 第3節 かむろ大師開創 
 第4節 救いの構造 
 第5節 道歌と説法 
 第6節 弟子 
    
第2章 尊海没後のかむろ大師 
 第1節 後継者の登場 
 第2節 法人化と聖地の整備 

第3章 信仰組織 
 第1節 教団の構造 
 第2節 支部と信者 
 第3節 合格祈願 
    
第4章 信仰体験 
 第1節 K氏の場合 
 第2節 M氏の場合 
 第3節 I氏の場合 

結語 
文献一覧 
謝辞 

【本文写真から】

写真1 尊海上人御廟 

写真2 奥の院休憩所 祭壇

写真3 尊海上人直筆の道歌

写真4 加持水場

写真5 御神水置き場

 

【謝辞】

本論文の執筆にあたり、多くの方々にご協力いただきました。突然ご連絡を差し上げたにも関わらずご対応くださいました、かむろ大師関係者の皆様。お忙しい中、お話を聞かせてくださり、資料のご提供やメールでのやりとりにご対応いただきました、かむろ大師副堂主河野様。記録がほとんど残っていないお上人様のお話をしていただきました、かむろ大師堂主左官様。お時間を空けてインタビューを受けてくださいました、かむろ大師奉賛会会員の皆様。皆様のご協力が無ければ、本論文の完成には至りませんでした。今回の調査にご協力いただきましたすべての方々に、心より御礼申し上げます。