安田涼夏
【要旨】本論文では星田妙見宮、機物神社、交野市主催の七夕祭りに焦点を当て、七夕伝承がこの交野という地域においてどのように受け入れられ展開しているかについて記述した。本研究で明らかになったことは次の通りである。
⒈ 古くは交野ヶ原と呼ばれた地には渡来人が移り住み養蚕や機織り、道教に由来する北辰信仰が持ち込まれた。
⒉ 渡来系の血を引く母を持つ桓武天皇が交野の地を何度も訪れたことで交野は広く知られるようになり、遊猟や七夕の和歌が多く詠まれた歴史を持つ。
⒊ 七夕伝承は中国が発祥とされ大陸を経て日本へと伝播したが、その過程において他のいくつかの物語との融合を見せてきた。
⒋ 降星伝説のある星田妙見宮は時代の影響を受け一時は衰退したが宮司や地域住民の努力と協力により妙見宮はもとより祭りを復活させることに成功した。
⒌ 機物神社は「秦者」の人たちを祀る社ということで「ハタモノの社」と呼ばれたが、後に七夕伝承と結び付けられ「秦」を機織りの「機」に換えて現在の機物神社となった。
⒍ 神社に保管されていた古文書を見ると七夕祭りとあったため、当時例祭であった秋祭りから七夕祭りを例祭に変更された。
⒎ 近年では数万人が楽しむ機物神社の七夕祭りは氏子や総代に方々の働きによって成り立っている。
⒏ 交野市主催の「天の川七夕まつり」は交野が七夕とゆかりのある場所であることを市の移住政策等に活かすため観光振興として発信を始めたことが祭りの契機となった。
⒐ 祭りのイベント化に対して歴史ある七夕の本質が損なわれるのではないかと当時は住民との間に溝があったが、現在は約2万人弱の人々が訪れるほどの大きな規模の祭りとなった。
⒑ 交野をPRしていく上で星田妙見宮や機物神社の七夕祭りを広報する場合もあるが、市は政教分離の考え方から神社等との相互支援は特段行わないという立場にある。
【目次】
序章 問題と方法
第1節 問題の所在
第2節 交野と七夕伝承
(1) 交野ヶ原
(2) 七夕伝承と羽衣伝承
第1章 星田妙見宮と七夕伝承
第1節 星田妙見宮
(1) 妙見信仰
(2) 降星伝説
(3) 星田妙見宮の変遷
第2節 星田妙見宮の復活
第2章 機物神社と七夕伝承
第1節 機物神社
第2節 七夕祭り
第3章 天の川七夕まつり
第1節 交野市の創出
第2節 祭りの現在
結語
文献一覧
謝辞
【本文写真から】
【謝辞】
本論文の執筆にあたり星田妙見宮の佐々木宮司、機物神社の中村宮司にはお忙しい中お時間を頂戴しお話しを聞かせていただき、また貴重な資料を数多く提供していただきました。お二人のご協力がなければ本論文の完成には至りませんでした。筆者に至らぬ点が多々ありご迷惑をおかけしたことと存じますが、御親切に対応いただきまして本当にありがとうございました。新型コロナウイルスの影響により七夕祭りに参加できなかったことは心残りですが、インタビューを通して多くを学ぶことができたことに感謝しております。本当にありがとうございました。