岩渕香奈
【要旨】
本研究は、「楠」を用いた名づけの風習について、藤白神社(和歌山県海南市)、王子神社(和歌山県紀の川市)、楠御前八柱神社(三重県志摩市)をフィールドに実地調査等を行うことで、「楠」を用いた名づけの風習のはじまりや現状を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。
1.「楠」を用いた名づけという特殊な事例が和歌山県、三重県、高知県でみられる。和歌山県海南市の藤白神社、和歌山県紀の川市の王子神社、三重県志摩市の楠御前八柱神社を調査した。
2.「特定の樹木を神聖視して崇拝する樹木信仰が古来より存在しており、その一種としてクスノキも信仰の対象とされる事例が多い。
3.熊野信仰において重要な場所であった藤白神社には、クスノキがご神木とされている。
境内にある子守楠神社ではクスノキが祀られており、そこには熊野櫲樟日命という熊野の神様が籠るとされている。藤白神社から「楠」「熊」「藤」からいくつか文字を頂き、名づけることで子供は長命し、出世するといわれていた。現在、名づけは行われていない。
4.王子神社を中心とした宮講では、宮座の構成員の家に前年生まれた男の子の名前を室町時代から現在まで書き綴った名つけ帳が保管されている。瀬田勝哉氏が行った名づけ帳の研究により、中世の宮講において「楠」と「松」、そして「長寿・延命・永続的」を意味する「千」を主に用いて名づけが行われており、そうした名前をつけることで村や宮講の不変、永続、繁栄に繋がると考えられていたという。
5.楠御前八柱神社は楠の宮で親しまれており、久須姫命のためにクスノキが植えられ、楠大明神として祀られていたという伝説が残る。先代の神職である大西文松氏が楠の宮の信仰を志摩地方に広めると共に、「楠」を用いた名づけを始めた。現在は神社に祈願して生まれた子供に「楠」の一字をつけることで、楠の宮の加護をうけ、延命長寿・無病息災を祈る風習が志摩地方を中心に広く残っている。現在、「楠」を用いた名づけは公然と行われていないが、形を変えて引き継がれている。
6.「楠」の漢字を用いた名づけの風習は、名前に「楠」を用いることでクスノキに宿る神様から、主に子供の丈夫な成長や無病息災、延命長寿に関するご加護を授かることができるという信仰に基づいたものであった。「子供の丈夫な成長」「無病息災」「延命長寿」が願われるのは、樹齢が長く大きく育っていくというクスノキの特徴から発生したと考える。
7.人の名前には「どのように育ってほしい」という親やその人物に関わる人たちの願いが込められており、「名前」というものがその人物の性格や健康、またはその人物が所属する組織に影響を与えると考えられていたことが分かった。
【目次】
第1章 クスノキ信仰
第1節 樹木信仰
第2節 クスノキ信仰
第2章 藤白神社(海南市)の事例
第1節 藤白神社
第2節 名づけ
第3章 王子神社(紀の川市)の事例
第1節 王子神社
第2節 名づけ帳
第4章 楠御前八柱神社(志摩市)の事例
第1節 楠御前八柱神社
第2節 大西文松氏と名づけ
結語
文献一覧
【本文写真から】
【謝辞】
藤白神社 権禰宜の中井万里子様、楠御前八柱神社 祢宜の大西史晃様をはじめとする多くの方々に調査へご協力いただき、本論文を書き終えることができました。心より感謝申し上げます。これからの皆様のご繁栄を心から祈っております。