関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

伸線の水車と薬種の水車―生駒山西麓の事例―

松本瑚夏

 

【要旨】

 本論文では、生駒山西麓で発展していた水車業について、豊浦谷の伸線水車、辻子谷の薬種水車2つの事例を中心に取り上げ、文献調査・聞き取り調査を行い両者の差について明らかにしたものである。本論文で明らかになったのは以下の点である。

 

  1. かつて生駒山西麓では、善根寺谷、日下谷、辻子谷、額田谷、豊浦谷、客坊谷、鳴川谷が「河内七谷」とよばれ、谷筋で水車業が盛んに行われていた。それぞれの谷によって行われた水車業が違い、それぞれに特色がある。
  1. そのうちの一つ、豊浦谷では伸線業(針金加工)が盛んになった。当初は人力で行われていたが、水車を利用することで大量生産が可能になり、豊浦谷のある枚岡地域は「線屋のメッカ」と呼ばれるほどであった。戦争需要や昭和の不況の中で、伸線業は発達・変化を繰り返し、大正初期の電力供給をきっかけに、水車から電力への切り替えが急速に行われた。水車は次第に使用されなくなり、昭和初期にいち早くその姿を消した。
  1. また、辻子谷ではかつてより胡粉製造が栄えていた。やがて胡粉製造から薬種粉末加工に転換し、最盛期には43両の水車が架けられていた。「薬の町」で知られる大阪道修町の製粉過程を一手に引き受けていた。電力化の波にはあらがえず昭和57年に最後の水車が停止したが、現在もその製法は伝統産業として大切にされている。
  1. 豊浦谷と辻子谷の水車は、全体的な停止時期に大きな差がある。この差は水車業の差、ひいては水車をどういう用途で使用したかの差である。これについては、立地環境や時代・需要の変化など様々な要因が複合している。

 

【目次】

序章 

 第1節 問題の所在

 第2節 東大阪の地場産業

  (1)河内木綿

  (2)河内木綿の衰退がもたらしたもの

第1章 水車

 第1節 水車

  (1)水車の型式

  (2)全国の水車

 第2節 河内七谷

  (1)善根寺谷(車谷)

  (2)日下谷

  (3)辻子谷

  (4)額田谷

  (5)豊浦谷

  (6)客坊谷

  (7)鳴川谷

  (8)河内七谷のまとめ

第2章 豊浦谷の水車

 第1節 伸線業

  (1)伸線業の起こり

  (2)枚岡にもたらされた伸線

  (3)人力から水車へ

  (4)伸線業の発展

  (5)伸線職人の回顧録

  (6)水車の馬力

 第2節 電動機の普及

  (1)電力供給の始まり

  (2)第一次世界大戦による好景気と反動恐慌

第3章 辻子谷の水車 

 第1節 薬種粉末加工

  (1)漢方の発展

  (2)粉末加工

 第2節 小西製薬株式会社

  (1)辻子谷での水車稼ぎ

  (2)水車の思い出

  (3)水車と薬種加工の相性

  (4)辻子谷水車の衰退

第4章 2つの谷と水車

 第1節 立地環境

  (1)水車業の変遷

  (2)立地環境

 第2節 水車に何を見出すか

 

結語

謝辞

参考文献  

  

【本文写真から】

 

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写真1 現在の音川



写真1 現在の音川

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現在の音川

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写真2 辻子谷水車郷 看板

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写真3 辻子谷水車郷 復元水車



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写真4 辻子谷水車郷 復元水車横の水路

 

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写真5 辻子谷 坂の上から

【謝辞】

 本論文を執筆するにあたって、突然のアポイントメントにも関わらず、快くお話していただいた小西秀和様、小西秀治様、ならびに小西製薬株式会社の皆様に、心より御礼申し上げます。ご多忙にもかかわらず、私のために時間を割いて下さり、わかりやすく説明していただいたおかげで、東大阪の伝統産業について深い知識を得ることができました。また、非常に貴重な資料やお土産までいただくなど、たくさんのご厚意に深く感謝いたします。皆様のご協力なしにこの論文を完成させることはできませんでした。

 

 今回の調査にご協力いただいたすべての方に、改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。