関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

洗濯屋の民俗誌―阪神間における洗濯職人の事例から―

洗濯屋の民俗誌―阪神間における洗濯職人の事例から―

弘津 遊


【要旨】

 本論は兵庫県から大阪府にかけての阪神間という地域を対象に、「洗濯屋」という民俗集団及び職業集団について調査を行い、職人として洗濯屋で働く人々とその家族が行う生活実践や語りを明らかにしたものである。今回の調査で明らかになった点は次のとおりである。

1.洗濯屋はクリーニング業という業態の中でも比較的小規模経営を取り、「自家処理」呼ばれる、店舗での洗濯と品物の受け渡しを同時に行う形態をとる。日本の近代化とともに誕生し、戦時中に低迷するも、戦後の集団就職で都市部において再び発展した。この小規模経営下を支えたものが洗濯職人の存在である。

2.洗濯屋は職人が発展させた職業であったため、基本的に「腕がもの言う」技術力ありきの業界であった。したがって、店を出すためには職人として客を掴むことのできる技術を持てる水準まで修業をすることが一般的であった。こうした洗濯屋を目指して店に入る若者を阪神間では「ボンさん」と呼び、修業は「ボンさん修業」と呼ばれていた。
 修業の時に行われていた生活の一つが「住込み」である。洗濯屋は仕事量が多くそれに比例し労働時間も長かったため、家族以外でも働く人間は店で生活するという手段をとっていた。

3.戦後、都市部である阪神間の洗濯屋では労働力が不足しており、その一方で地方では進学は中学校までであり、その後の就職先が不足していたため、双方の利害一致から、多数の若者が集団就職で洗濯屋に勤めることになる。
 また、集団就職は基本的に中卒者を対象としたが、比較的高校進学率の高かった阪神間でも、家庭や経済的事情から進学を諦めなくてはならない者がいた。そうした者も中卒でも仕事に就くことのできる洗濯屋を目指した。
 前者、後者どちらからしても、寝食を確保できる「住込み」は望ましく洗濯屋に彼らが集中するのは自然であった。

4.職人体質の強い洗濯屋での仕事はとにかく技術次第である。そのため、仕事を学ぶということは2.でも説明したように「修業」であった。こうした厳しい修業にもかかわらず人々が選んだ理由は、その技術さえあればどこでも仕事ができる、いわゆる「手に職をつける」という目的があったからである。そしてその最高の形が自身の店を構える「独立」であった。ただし、「独立」に必要な技術レベルは高く、ある程度の腕を持ち、職人となってからも「武者修業」を続ける者もいた。

5.独立していない職人には「住込み」で修業を続ける「ハマリ」と、独立はしないが、自分の腕を頼りにその日その日の仕事を行う「スケ」の2種類がいた。彼らは縁故で知り合い同士の下を回ることもあれば、公的な紹介所を通して仕事を行うこともあった。

6.洗濯屋の大きな特徴としてまた、家業的側面が強いということが挙げられる。大抵の洗濯屋では家族の誰もが仕事を手伝うことになる。特にその中でも最も大きな仕事の功労者は主人の妻であると言える。職人に影響され、多くの妻の仕事にかける精神はとても強く、職人に負けないような仕事振りで彼らと競ったり、仕事を覚え、結果として職人化することもある。
 こうした家庭と職人体質の入り混じる洗濯屋では、家業として跡継ぎをする者が現れても一切手加減されることなく修業した上で、店を継ぐことができるようになる。

7.彼らの技術は「手洗い」「手仕上げ」という言葉に代表されるように、機械ではなく、文字通り職人の手によって行うことができるものである。こうした技術をいかんなく発揮した上で、機械や道具の価値が見出されてきた。

8.かつてはろくな仕事をしなかったり、「やくざ」と呼ばれるような存在とつきあう業者もおり、それをそのまま放置していたため、洗濯屋に対する周囲の視線は良いものとは言えなかった。しかしながら、戦後になって洗濯屋で独立を目指そうとした者は、出身や境遇の貧弱さから、自分以降の世代の地位が高まることを望むものが多かった。特に、学校に満足に行けなかった者は、自分の子どもを積極的に学業に専念させるなどの動きが見られる。また、組合の活動を通じて、自らの地位向上にも精力的であった。
 こうした洗濯屋の動きには、洗濯屋での独立が、社会階層において低層から移動する手段でもあったことを見受けることができる。そして組合はこのような姿勢をより進めていった。 

9.洗濯屋自身の地位向上は、洗濯屋と言う存在からの脱却となっていった。それが洗濯業がクリーニング業へと変化していった所以なのである。クリーニング業はそうした洗濯屋たちによる、かつての洗濯業ありきの業界なのである。

10.戦後は様々な洗濯屋が大きく発展を遂げたが、現在は取次店の主流化と法律改正による開業条件が難化、さらには後継者不足という問題を抱えている。そうした中で起きた阪神大震災阪神間の洗濯屋に大きな打撃を与えた。さらにそれ以降は、ファッションも洗って何度も使うという形から着ては捨てるという形にかわりつつある。こうした状況下で衣服を扱う仕事全体に資格化の波が到来している。資格化体質に徐々に変わりきった後は、職人は消えていくと予想される。そして職人の消滅が同時に洗濯屋の消滅も意味する。


【目次】

序章 問題の所在――――――――――――――――――――――――――4
 第1節 洗濯屋とは…………………………………………5
 第2節 洗濯屋の歴史………………………………………9
  (1)日本における洗濯業の発祥………………………9
  (2)「洗濯屋」の誕生……………………………………10
  (3)第一次洗濯屋発展期………………………………13
  (4)停滞期から第二次発展期へ………………………16
 第3節 問題設定……………………………………………20
  (1)研究対象……………………………………………20
  (2)洗濯屋研究の視点における阪神間について……21

第1章 入門と修業―――――――――――――――――――――――――29
 第1節 洗濯屋への道………………………………………30
  (1)仕事を探しに故郷を出る…………………………30
  (2)生きるために、食うために………………………35
 第2節 「ボンさん修業」…………………………………39
  (1)親方の店での「住込み」…………………………39
  (2)手加減しない職人…………………………………46
 第3節 修業明け……………………………………………48
  (1)「ハマリ」と「スケ」−武者修業と渡り歩き−…48
  (2)「部屋」………………………………………………52

第2章 店を構える―――――――――――――――――――――――――55
 第1節 独立…………………………………………………56
 第2節 「家族商売」の洗濯屋……………………………61
  (1)洗濯屋の妻の働き…………………………………61
  (2)店を継ぐ……………………………………………68

第3章 技術と道具―――――――――――――――――――――――――70
 第1節 水洗い………………………………………………71
  (1)揉み洗い……………………………………………71
  (2)しみ抜き……………………………………………72
  (3)ゆすぎ………………………………………………75
 第2節 仕上げ………………………………………………79
  (1)プレス………………………………………………79
  (2)アイロンがけ………………………………………80
 第3節 目利き………………………………………………82
 第4節 受け付け……………………………………………84
 第5節 外交…………………………………………………88
 第6節 「しごとづくり」…………………………………92

第4章 組合――――――――――――――――――――――――――――96
 第1節 洗濯屋にとっての組合……………………………97
 第2節 洗濯屋の地位向上を目指して……………………100

第5章 「職人時代」の終焉−これからの洗濯屋−―――――――――――103
 第1節 取次店の時代………………………………………104
 第2節 規制の強化…………………………………………106
 第3節 後継者問題…………………………………………107
 第4節 阪神淡路大震災……………………………………109
 第5節 ファッションの変化と資格体質化………………115

結語―――――――――――――――――――――――――――――118

文献一覧―――――――――――――――――――――――――――122


【本文写真から】


写真1 洗濯屋(西宮市、三好屋クリーニング)

写真2 大正時代の職人(クリーニング綜合研究所『クリーニング技術の歴史』より)

写真3 職人の紹介所、通称「部屋」の広告

写真4 昭和10年の洗濯屋(全ク連『明日への礎』より)

写真5 職人の技術「水洗い」(芦屋市、マツミヤの松本勝治氏)

写真6 職人の技術「仕上げ」(芦屋市、ツボサカクリーニングの職人)

写真7 洗濯屋の地位向上運動「白ブレザーキャンペーン」


【謝辞】

 本論文の執筆に当たり、多くの方々から大変あたたかいご協力をいただきました。
兵庫県クリーニング生活衛生同業組合理事長を務められ、調査の最前線での協力をしてくださった山田昭治氏、山田玲子氏。山田氏やたくさんの職人を紹介してくださったツボサカクリーニング代表取締役壷坂佳照氏。お仕事中にも関わらず、自身やお店について詳しくお話を聞かせて頂いた松本勝治氏ご夫婦、上野壽一氏ご夫婦、田渕サキコ氏、尾崎忠雄氏、青木秀雄氏、宮崎清氏、島崎徳子氏、津田博子氏、朝野洋子氏、平田貞子氏、早川清明氏ご夫婦。
 職人としての話をお聞かせいただき、仕事を見せてくださったツボサカクリーニングの職人の皆さん、大竹雅夫氏。職人の紹介所についての話をお聞かせくださった増井愛子氏。また、お話を聞かせてくださった多くの洗濯屋の方々。
 本論文が完成に至ったのはみなさまのご協力のお陰です。今回の調査にお力を貸していただいたみなさまに、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。