関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

「八幡浜ちゃんぽん」の発見―日常食から「ご当地グルメ」へ―

社会学部3年生

井本佳奈

【目次】

はじめに

1 ちゃんぽんの導入

1―1 丸山ちゃんぽん

1―2 ロンドン

1―3 イーグル

1―4 味楽食堂

2 「八幡浜ちゃんぽん」の発見

2―1 八幡浜商工会議所青年部

2―2 八幡浜ちゃんぽんの現在

むすび

謝辞

参考文献


はじめに

 愛媛県八幡浜市には「八幡浜ちゃんぽん」という市民に愛されるご当地グルメがある。市内にはちゃんぽんを提供するお店がいくつもあり、八幡浜を象徴する食べ物であることが感じられる。長崎のちゃんぽんは豚骨ベースで白濁した濃厚なスープであるのに対して、八幡浜ちゃんぽんは鶏ガラや和風だしベースの黄金色のスープが特徴となっている。
私は聞き取り調査をする中で、ご当地グルメと知られる以前からこの地域では日常食としてちゃんぽんを食べていたことや、ちゃんぽんのルーツについて「長崎から入ってきた」、「中国からきた」など諸説あることを知り、比較的中心街にある以下4つのちゃんぽん提供店で、お店を始め、ちゃんぽんが導入された経緯についてお話を伺った。本論文でいう日常食とは普段の家庭内の食事だけでなく日常的に食べていた外食も含めたものを指す。

1ちゃんぽんの導入

1―1 丸山ちゃんぽん

 創業昭和23年で現存するちゃんぽん提供店で最も古い丸山ちゃんぽん。2代目の山口清氏と奥さんのミヤ子氏にお話を伺った。お二人とも市が八幡浜ちゃんぽんを売りだして以降テレビや新聞など多くの取材がくることになるとは思っておられなかったようで、こんなことなら先代から色々ちゃんと聞いておけば良かったと微笑みながら話し始めてくださった。創業者である山口升雄氏は明治41年今治波止浜で生まれ、元々は姉のカツ氏が昭和4年八幡浜に創業した伊藤旅館(現センチュリーホテルイトー)を番頭として手伝っていた。その後、升雄氏はカツエ氏と結婚しカツエ氏も伊藤旅館で女中として料理を作るお手伝いをしていたが、カツ氏にも子供ができ、暖簾分けということで昭和10年宇和島へ行き屋号である丸山から名を取った丸山旅館を創業したという。しかし、昭和20年空襲で宇和島が焼けてしまい、再び姉を頼りに八幡浜へ戻ることになり、昭和23年姉カツ氏の営む伊藤旅館の一角で丸山食堂を始める。これが現在の丸山ちゃんぽんの始まりである。だが最初からちゃんぽんを売っていたわけではなく、元々はうどんやところてんなどの代用食などを提供していたそうだ。ちゃんぽんを始められたきっかけは、積極的に料理を生み出したりアレンジして商売を引っ張っていたカツエ氏が升雄氏の地元である今治に行った際、中国人が経営するお店に入ったことだという。そこでヒントをもらい旅館のうどんだしを生かしたちゃんぽんを始めたという。そしてホテルの片隅で6年営業したのち、昭和29年に現在の店舗へ移って、平成5年に「丸山ちゃんぽん」という店名を正式に登録し現在に至っている。今年でちょうど開業して70年だ。


写真1 丸山ちゃんぽん外観


写真2 丸山ちゃんぽん2代目 山口清氏
 
1―2 ロンドン

 創業昭和25年のロンドン。現在2代目菊池公佐氏の奥様ヒデ氏にお話を伺った。創業者であるヒデ氏の父・中広正明氏は大正3年八幡浜出身で昭和23年頃から夏期のみアイスキャンディーを作って売り、冬は喫茶をする店を開いていた。そのころから店名はロンドンで、アイスキャンディーというハイカラな横文字にちなんで付けられたらしい。夏には田舎の小売店やスーパーにもリアカーでアイスキャンディーを売りに行っていたという。その後徐々に定食屋になっていき、正明氏がアイスキャンディーの材料を仕入れに汽車で大阪に向かっている時、高松で満洲楼という中華料理店を営む中国人に出会う。その中国人に「八幡浜には中華料理がないね」と言われちゃんぽんを教えてもらったことをきっかけに、元々味の濃いちゃんぽんを試行錯誤して、あっさりした味のちゃんぽんを作り提供し始めたという。その後、ちゃんぽんをデパートやスーパーへ売る外商も開始した。最初は八幡浜に大型スーパーができるという話に商店街のお店はお客さんが減るのを懸念して皆反対していたが、スーパーなら何でも売ってくれるし結局は大手に頼らないとだめだということで、何かうちも売るものがないか考えてパック詰めしたちゃんぽんを30年ほど前からスーパーなどで売り始めたという。「反対していたが逆に助かった」と語るヒデ氏。現在は道の駅にも販売している。
ちなみに正明氏はロンドンを創業後、ロンドン別館という名前の日本料理店も開き、そこは現在、正明氏の息子でヒデ氏の弟さんが継ぎ八幡浜唯一の中華料理を提供する店となっている。というのも弟さんは高校卒業後、正明氏が出会った中国人が営む高松の中華料理店・満洲楼に修行に行っていたというのだ。ヒデ氏は「店の名前はロンドン、外観は日本庭園、料理は中華、面白いでしょ」と笑顔で教えて下さった。


写真3 ロンドン外観


写真4 道の駅で販売されているロンドンの持ち帰り用ちゃんぽん
 
1―3 イーグル

 創業昭和37年。現在3代目の中広俊太氏、2代目の中広銀次郎氏にお話を伺った。イーグルの創業者である中広賢一氏はロンドンの創業者・中広正明氏の弟で、イーグルを創業する前はロンドンで料理人としてお手伝いをしていた。賢一氏はそれ以前元々賢一氏の叔父さんが東京の麻布十番で経営していた「イーグル」という洋食店でケーキの職人をしていた。この叔父さんは元々職を求めてアメリカへ移住しアメリカで食堂をしていたが、子供たちが朝鮮戦争で日本へ通訳として来ていたということもあり、日本へ戻ってきて日本でも洋食店を開いたという。賢一氏も戦争に行っていたので戦後八幡浜に帰ってきてもそんなに仕事がないから、叔父に東京へ来ないかと誘われたこともあり、東京に行きイーグルでケーキや料理の勉強をする。しかしその後、叔父さんは東京の店を辞めようと、賢一氏に継がないかと話を持ち掛けたが、その時丁度ロンドンが忙しいから帰ってきてほしいという話もあって、賢一氏は家族がいる八幡浜に帰ることとなり、叔父さんも結局東京の店は閉め、アメリカへ帰ったという。そしてロンドンを手伝った後、「イーグル」として独立。このイーグルという名前は東京で働いていた店からきている。イーグルのちゃんぽんは元々はロンドンからの流れで始まっているが、賢一氏は自分でするなら自分の味にと、ロンドンとは違う独自の味でちゃんぽんを提供している。鶏ガラベースの野菜たっぷりのちゃんぽんだ。八幡浜のちゃんぽんについて「八幡浜は魚とミカンの町で魚介がありすぎて、八幡浜の人はいつでも食べられるから、あえてなるべく魚介を加えない鶏ガラでつくるちゃんぽんが多いんじゃないか」と銀次郎氏は話してくださった。


写真5 イーグル3代目 中広俊太氏

1―4 味楽食堂

 創業昭和47年。蕗秀廣氏・美千代氏ご夫婦にお話を伺った。現在2代目の蕗秀廣氏によると、先代の秀廣氏の父・蕗治男氏は山口県の人で戦時中は海軍でコックをしていたという。そして戦後になって一時大阪の料亭で修行をしていたが八幡浜出身の奥さんに出会い八幡浜に来たそう。そこで最初からお店を開いていたのではなく、秀廣氏が生まれたときには、治男氏は商店街辺りの軒下で当時周りにはない屋台をしていたという。屋台では初めは焼き鳥を売っていた。戦後なので安いレバーなどで作った焼き鳥だ。コックの経験がある治男氏はのちに自分で作った麺で作ったラーメンも売り出し始める。その後、昭和47年現在の店舗の場所ではなく駅前で味楽食堂を創業。ちゃんぽんはお店になってから出し始めたというが、秀廣氏が生まれたころからちゃんぽんというものはあり、詳しいルーツというのは実際治男氏から聞いていないのでよく分からないそうだ。しかし味楽食堂のちゃんぽんは、治男氏が元々屋台でラーメンをしていたことから、とんこつと鶏ガラでとった中華系のスープでずっとやっていると秀廣氏は語る。現在は道の駅でも、道の駅社長の強い後押しによって始まった持ち帰り用ちゃんぽんが販売されている。そして駅前の店舗で47年営業していたが、天井が漏電し煙がでて水を掛けられたら終わりという状況になってしまう。その時は店をもう辞めようと思ったそうだが、商工会や道の駅の社長の「八幡浜の活性化につながるから」、「中心街の丸い円の中に4、5軒あった方が離れてあるよりいいじゃん」という言葉と、道の駅の持ち帰り用のちゃんぽんを売っていたスペースを営業が停止している2か月間、道の駅がずっと空けて待っていてくれたこともあって、思い切って現在の八幡浜商工会館の前の店舗で昨年から営業を再開し現在に至っている。
 治男氏はコックの経験で確かな腕と知識を持ちながら、その技術を人に教える人の良い方だったようで、八幡浜の元々かき氷の蜜を作っていた方に、麺を作りたいと言われて麺の作り方を教えたり、八幡浜の製菓店には蒸しパンを作る技術も教えたという。事実かどうかは分からないけど小さいころから父親にそんな話を聞いてきたという秀廣氏は、麺作りを教えた方は、その後製麺で出世し「愛麺」という権利を得て愛媛で麺を売り始め、今では一周回って味楽食堂の麺も「愛麺」から買っているというエピソードも笑いながら教えてくださった。



写真6 味楽食堂 外観


写真7 蕗氏ご夫婦


写真8 道の駅で販売されている味楽食堂の持ち帰り用ちゃんぽん

 
2 「八幡浜ちゃんぽん」の発見

2―1 八幡浜商工会議所青年部

 人口が減少し、地場産業が衰退する中、何とか八幡浜に活力を取り戻そうと立ち上がったのが八幡浜商工会議所青年部であった。多くは地元の企業や商店の後継者で、八幡浜で馴染み深いちゃんぽんに着目し、八幡浜ちゃんぽんを通して町を元気にしたい、八幡浜ちゃんぽんを多くの人に知ってもらいたいという思いを込めて平成18年「八幡浜ちゃんぽんプロジェクト」を発足し、八幡浜商工会議所青年部において「町おこし委員会」が設立された。

2―2 八幡浜ちゃんぽんの現在

 プロジェクト発足以降の主な取り組みは以下の通りである。

・平成18年 前年の平成17年3月28日に旧八幡浜市保内町が合併して現在の八幡浜市が設置されたことから、3月28日を八幡浜ちゃんぽん記念日と制定。
・平成19年 お店や町の情報を詰め込んだ「八幡浜ちゃんぽんバイブル」の発売。
八幡浜ちゃんぽん大集会」開催。
・平成22年 「八幡浜ちゃんぽんバイブル」に掲載された「八幡浜ちゃんぽんMAP」を単体として改訂配布。八幡浜商工会議所青年部の方が取り組んできたプロジェクトをさら発展させるため、行政がより携わって、「みかん」と「魚」のまち八幡浜市に「ちゃんぽん」を加え、町をもっと元気にすることを目的に八幡浜市商工観光課内に「商工観光係長・ちゃんぽん担当」を設置。また、「八幡浜ちゃんぽん」をさらに盛り上げるため、全国からPRキャラクターのイラストを募集し、選考を経て、八幡浜ちゃんぽんと“チャンピオン”をキーワードに王様をイメージしたキャラクターに決定し「はまぽん」と名付けられる。
平成23年 「八幡浜ちゃんぽん物語」というキャンペーンソングを発売。
平成26年 「八幡浜市は、八幡浜ちゃんぽんを地域資源として最大限に活用し地域振興に努める」などといった内容が盛り込まれた「八幡浜ちゃんぽん振興条例」を施行。

むすび

 今回の調査では4軒のちゃんぽん提供店でお話を伺った。この調査を通して分かったことは以下の4点である。
八幡浜ちゃんぽんというものは市がプロジェクトとして売り出す前から、日常食としてずっと食べられていた。

・ちゃんぽんもお店によってそれぞれのルーツがある。

八幡浜より前に今治や高松ではすでにちゃんぽんがあった。

八幡浜ちゃんぽんと一括りにされていてもその味はお店によってさまざまで、スープから独自に工夫されて違う。

しかし現在どのお店も2代目、3代目で、詳しいルーツを正確には聞いていないという声もあって、八幡浜ちゃんぽんとして有名になって、取材を受けるようになるとは思ってなかったから、先代の方にもっと正確に聞いておけば良かったという声が印象的だった。

謝辞

 本論文の作成にあたり、多くの八幡浜の方にお話を伺いました。お話を伺った全ての皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。
突然の訪問にも関わらず、お忙しい中、拙い私の質問にも丁寧に答えて下さった丸山ちゃんぽんの山口様ご夫婦、ロンドンの菊池様、味楽食堂の蕗様ご夫婦、イーグルの中広様、皆様の温かい協力なしでは本論文を作成することはできませんでした。本当にたくさんのお話を聞かせていただいたことに感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

参考文献

商工観光課, 2017, 「八幡浜ちゃんぽん」八幡浜市公式ホームページ
(2018年8月20日取得, http://www.city.yawatahama.ehime.jp/docs/2014091600085/)
アサヒグループ, 2018, 「八幡浜ちゃんぽん」八幡浜ちゃんぽんの魅力&観光巡りMap
(2018年8月20日取得,
https://www.asahibeer.co.jp/area/09/38/yawatahama/appeal/index.html#a01)