【要旨】
本研究は、能勢の浄瑠璃における「おやじ制度」という継承制度について、能勢の浄瑠璃4派の1つである井筒太夫派を例として挙げ、井筒太夫派の地域(能勢町山辺地区、宿野地区、片山地区)をフィールドに実地調査を行うことで、地域に根ざす「おやじ制度」の実態とその中で浄瑠璃を行う人々の経験や習慣、展望について明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。
1.能勢では1793年から浄瑠璃の会が行われており、本格的に能勢で浄瑠璃を広めたのは、能勢の裕福な村人であった。その村人は杉村量輔と言い、大阪市内で竹本弥太夫に弟子入りし、能勢に義太夫節を持ち帰ってきた。それ以降派を増やしながら、各派が「おやじ制度」という独自の制度の下、浄瑠璃を伝承してきた。
2.能勢の素浄瑠璃には、「娯楽(マツリとは関わらない)」、「素浄瑠璃(人形が無い)」、「おやじ制度(能勢における人と人との繋がりで成立している制度)」という、大阪の文楽とは異なる特徴がある。また、これらの特徴は全て繋がっている。例えば、人形が無いのは、観客に人形を使って魅せる事よりも、自分が義太夫節という浄瑠璃の節回しを習得する事自体を目的とした娯楽的側面が大きい浄瑠璃だからである。
3.浄瑠璃の後継者育成のため、保存会活動や浄瑠璃シアターのワークショップ等、浄瑠璃に関する様々な教室や行事を開催し、町民と行政が切磋琢磨してきた。また、文楽座から技芸の指導もあった。その結果、能勢独自の素浄瑠璃に人形と囃子を加えた「鹿角座」の発足や活躍、素浄瑠璃における門人の成長に繋がった。つまり、地域の住民と行政の両方が積極的に浄瑠璃に関わることで、保存・継承が行われているのである。
4.能勢の素浄瑠璃には4派あり、地域によって分けられている。敵対心を燃やすというよりも、協力して能勢の浄瑠璃を継承していこうという動きがある。それは、合同で行われる浄瑠璃の会や、保存会活動、また2001(平成13)年に能勢町東地区の浄瑠璃をみんなで盛り上げようと、竹本東寿太夫派という新しい派をつくった事例に見られる。
5.能勢の素浄瑠璃にみられるおやじ制度の下では、年齢に関係なく早く入門した人が先輩となる。能勢ではこの先輩後輩という関係や、太夫や三味線と門人の弟子関係を大切にする。例えば、浄瑠璃の発表の場での出演順だけでなく、舞台の準備や舞台裏からの補助、飲み会での接待、挨拶等において、弟子関係や先輩後輩の関係が明瞭である。また、浄瑠璃の稽古や発表以外の日常生活でもこの関係が保たれる。入門する事によって人脈が広がったと答える門人が多かったのも、こういった繋がりの強さがあるからである。特に能勢では昔から、地域の人間関係により門人の勧誘を行ってきた歴史もある。
6.入門後に初めて行われる稽古が「100日稽古」である。これは農業の繁忙期を避けて、6月頃から次代太夫の家で行われる。稽古においては、三味線弾きがマンツーマンで語りを指導する。おやじ制度では、門人は太夫をおやじと呼び、稽古をつけてくれる三味線弾きを師匠と呼ぶ。能勢の素浄瑠璃では、床本を暗記して上手く語る事よりも、人形が無い分、語りだけでどのように観客の心を動かせるか、感動を届けられるかという表現力を重視する。それ故、声の出し方や感情の入れ方について重点的に指導を受ける。稽古中は、指導を受けている様子をボイスレコーダーに録音したり、床本にしるしを付ける事で、家に帰ってからそれらを参考にして1人で練習できるようにする。
7.100日稽古が終わると、稽古上げ、引継ぎ式、新浄瑠璃大会、初会の順に浄瑠璃の発表の場がある。稽古上げでは、見習いであった門人が井筒太夫派の一員として認められ、俳名という芸名を授かり数々の浄瑠璃の会に参加できるようになる。引継ぎ式では次代太夫が太夫の座を授かる。この場で秘伝書や掛け軸の伝授が行われる。新浄瑠璃大会は、派が合同で行われ、その代に稽古上げを終えた門人が身内以外の友人や親戚に語りを披露する初めての舞台である。初会は、毎年1月に行われる通年行事である。稽古上げ、引継ぎ式、初会にはそれぞれ「浄瑠璃大会」という浄瑠璃を披露する時間がある。この発表順には、おやじ制度下での地位が反映される。また、「直会」という浄瑠璃大会の後に振る舞われる会食の時間がある。稽古上げと引継ぎ式では、鶏のすき焼きが出されると決まっている。
8.稽古後の雑談が大切である。谷尾氏の取材からも分かるように、雑談の中で、門人はこの道の先人の偉業、失敗談、習慣等を知る。そして、こうした稽古や舞台を積むうちに、経済面でも人柄の面でも特に「おやじの偉大さ」を実感するようになる。おやじは門人を育てるため、約3年間で200万や300万という経済的負担を担う。費用を弟子から集めて弟子を育てる家元制度(多くの芸能に見られる)とは異なる点である。それ故、門人はおやじへの恩を常に持っており、「おやじの顔に泥を塗る訳にいかない」と技芸の向上に努める。公演の最後には、おやじへの感謝を込めた一節を全員で語る。
9.浄瑠璃で使われる道具は高価なものや貴重なものが多い。例えば「床本」は1冊ずつ筆で書いていき、約1か月かけて完成させる。また、三味線の撥は象牙か鯨の骨でできており、輸入が禁止されているため、100年、200年前の物を再加工して修理して使っている。これらも含めた浄瑠璃の道具は、修理をしたり、整備を頻繁に行う事で、各個人が長持ちさせるように工夫して使っている。
10.能勢の素浄瑠璃の世界に入るには、家族(特に妻)の協力が必要である。浄瑠璃の会での準備や接待等、妻も浄瑠璃の世界に一緒に参加する事になるからである。ただ、家族の理解を得るのは、実際大変難しい事である。勧誘の際に、外ではなく候補者の家まで行って勧誘する方法を主流として行っていたのは、家族の了解を得やすいからである。
11.能勢の素浄瑠璃への勧誘の方法は様々である。だが、勧誘されたほとんどの人に共通している事は、勧誘された時にあまり乗り気では無い事だ。実際、自分から入った人は少ない。それでも、稽古を続け、舞台を踏んでいくうちに、浄瑠璃の面白さや深さを知るようになる。熱心になり、浄瑠璃に向き合い、浄瑠璃に対して想いや考えが膨らんでくる。
12.浄瑠璃に対して抱く想いは様々だが、取材の結果、歴の長い人は特に、浄瑠璃の洗練された技術や型にきっちりはまった美しい見本を追及するよりも、この地域独特の文化を「継承」していくためにどうするかを重点としてとらえている傾向があった。
13.能勢の浄瑠璃は常に変化している。仕事で大阪市内に出たり残業が多くなったりという生活様式の変化により、参加率の低下等を理由に100日稽古の日数が減ってきている事も1つの例である。また、かつて浄瑠璃をする事は、若者が立派な大人に育つ上で必要な礼儀や頭の回転の速さ等を鍛えられるものとされてきた。それ故、例えば結婚等、普段の生活や人生に深く関わってくるものだったため、浄瑠璃の世界に入門する人も多かった。しかし町人の生活様式の変化と共に志向も変化し、現在は後継者不足になってきている。こうした現在の状況の中で継承を続けるため、浄瑠璃の会での妻の負担軽減や、稽古日程の調整等、「時代に合わせた変化」が望まれている。
【目次】
第1章 能勢と浄瑠璃――――――――――――――――――――――――――― 1
第1節 豊能郡能勢町------------------------------------------------- 2
第2節 能勢の浄瑠璃------------------------------------------------ 2
(1)成立---------------------------------------------------- 2
[1]伝播と継承---------------------------------------------- 2
[2]派------------------------------------------------------ 3
[3]無形民俗文化財への指定---------------------------------- 6
[4]浄瑠璃継承の舞台と組織---------------------------------- 6
[5]舞台公演------------------------------------------------ 10
(2)特徴---------------------------------------------------- 16
[1]娯楽---------------------------------------------------- 16
[2]素浄瑠璃------------------------------------------------ 16
[3]おやじ制度---------------------------------------------- 17
第2章 ムラ入りと浄瑠璃―――――――――――――――――――――――― 28
第1節 ムラ入り------------------------------------------------ 29
第2節 勧誘---------------------------------------------------- 30
第3節 入門---------------------------------------------------- 32
第3章 浄瑠璃の継承―――――――――――――――――――――――――― 37
第1節 入門以前------------------------------------------------ 38
第2節 入門---------------------------------------------------- 39
第3節 師匠への道---------------------------------------------- 39
第4節 語りと三味線-------------------------------------------- 40
第4章 「能勢の素語り」を語る――――――――――――――――――――― 42
第1節 心境の変化---------------------------------------------- 43
第2節 「太夫」を語る------------------------------------------ 43
第3節 「能勢の素語り」を語る---------------------------------- 44
結語――――――――――――――――――――――――――――――――――― 46
謝辞――――――――――――――――――――――――――――――――――― 49
文献一覧――――――――――――――――――――――――――――――――― 49
【本文写真から】
写真1 「床本」師匠から指導を受けたところに付箋が貼られている。
写真5「初会の舞台」下手に井筒太夫派の掛け軸が掛けられている。(2011年1月22日 撮影)
【謝辞】
本論文を執筆するにあたり、谷尾剛様はじめ井筒太夫派の方々、稽古場や舞台裏でお世話になった方々、並びにそのご家族の方々、地域の方々にご協力を頂き、誠に感謝しております。能勢町やおやじ制度について取材を申込み、突然現れた見ず知らずの私を快く受け入れて頂き、お時間を割いて頂いた事、私は大変嬉しく思っておりました。また、舞台裏や秘伝の書といった、内部の方しか知らない貴重な経験や資料をご提供頂いた事、心より感謝しております。
取材をさせて頂くまで、能勢の地域と全く関わりの無かった私でしたが、取材を進める中で、能勢という土地にある「温かさ」を知る事ができました。再度、皆様のご厚意に感謝申し上げます。