関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

鏝絵の現在−島根県益田市・大田市の事例−

鏝絵の現在−島根県益田市大田市の事例−
初谷ひとみ

【要旨】
 本論文は、建築装飾の一種である「鏝絵」について、島根県益田市横田町・下本郷町、島根県大田市長久町・温泉津町・仁摩町馬路をフィールドに実地調査を行うことで、かつて人々の間で人気を博した「鏝絵」がどのような変遷を経て今に至っているのか、そして現在の人々の生活の中でどのような状況にあるのか、その実態を明らかにしようとしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎの通りである。

1.「鏝絵」とは鏝によって描かれる漆喰絵のことである。もともと古代から壁に何かしらの絵を描くことはあったが、それを左官の技から生み出される「鏝絵」芸術として確立したのが、伊豆の左官 入江長八である。全国で3000箇所近く存在すると言われており、中でも大分県に多い。これは長八に影響を受けた左官 青柳鯉市が広めたためとされている。

2.益田市大田市の町のいたるところで確認することができる鏝絵は、そのほとんどが縁起かつぎや厄除けなど「メッセージ性」の強いものであった。中でも蔵の妻壁に描かれたものが多く、他にも母屋の壁や、あるいは寺院でも見かけることができる。絵柄は商売繁盛の「恵比寿」、不老長寿の「鶴」「亀」、子孫繁栄の「兎」などさまざまあるが、特に「龍」が多い。これは龍が水をつかさどることから、火除けの意味を込められたのだろうと推測することができる。加えて、島根県には水田が多いこと、左官が「水の仕事」であることなどからも、人々に親しまれた図柄であったのだろうと考えられる。

3.今回調査した中で、鏝絵がつくられる理由は大きく以下に分けられた。①家が栄えるための「願掛け」、②左官から施主へのお礼、③左官の技術自慢、この3点である。明治から昭和にかけて流行したとされる鏝絵が、左官と施主の間でどのように制作されていったのか、そのやりとりを今では確認することができない。しかし現在、鏝絵のある家に住む人々、そして左官職人たちはこのような経緯で鏝絵がつくられるに至ったのではないかと考えているのである。

4.鏝絵が施されることの多い「土蔵」だが、これは本来その手間と費用の問題から、地主のような規模の大きい農家しか建てられないものであった。江戸時代などには漆喰塗りの家に住む地主がいる一方で、小作人たちはわら屋に住んでいたのである。それが明治時代以降、生活が豊かになってからは一般的なものになり、その風通しの良さ、そして断熱の良さから米や家宝の保存に使用されるようになった。こうした中で、鏝絵もまた人々に普及して行ったのである。

5.島根県は河川が多く流れていることから、水害が多い。町、ひいては市全体の建物が壊滅的な被害を受けることも多く、そうした中で蔵や、その蔵に描かれていた鏝絵が失われてしまうこともあった。また、鏝絵を「昔のもの」として捨ててしまったり、あるいは骨董ブームの中で外地の人々に持っていかれるなど、さまざまな要因から鏝絵はその数を徐々に減らしている。

6.島根県益田市横田町は、匹見川と高津川が合流するちょうど中間地点にあることから栄えた土地である。ここでは伊藤末治を筆頭とした左官たちがその腕を振るい、数々の鏝絵を制作した。

7.島根県大田市温泉津町、仁摩町馬路は「出稼ぎの町」であった。どちらも山と海に挟まれた場所であることから平坦で肥沃な土地がなく、畑作を行うことが難しい。それゆえ人々は食い扶持を稼ぐため左官や大工となり、関西や関東、遠くは朝鮮や満州にまで出稼ぎに行ったのである。また、温泉津町や仁摩町に限った話ではないが、この地方(石州)で生まれた左官は特に「石州左官」と呼ばれ、その技術力の高さから都市部の有名建築物をその手に任されることも少なくなかった。

8.その数を徐々に減らしている「鏝絵」を、現在でもつくり続けている左官職人が存在する。彼らはその制作手順がほとんど伝えられていない中で、左官の技術から独自の技法を産み出している。現存する鏝絵職人 松浦満幸氏の鏝絵の制作方法は簡略的に以下の通りである。まず下絵を土台に写し、それに沿って小舞縄で骨組みを制作する。その上から漆喰を塗り、小舞縄を絡ませつつ肉付けを行っていく。最後に着色を行って、完成である。こうした技術を他の左官や一般の方々にも広めようというイベントや講習会も開かれており、消えゆくだけであった鏝絵を再興させる動きも起きてきている。


【目次】
序章――――――――――――――――――――――─―1
 第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1
 第2節 現在の鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1
 第3節 伊豆の長八‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2
 第4節 石州左官‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4

第Ⅰ部 益田市に見る鏝絵――――――――――――――5
第1章 益田市の概況――――――――――――――――5
 第1節 産業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5
  (1)産業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5
  (2)木こりと木挽き‥‥‥‥‥‥‥‥‥6
 第2節 災害‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥7
 第3節 街並み‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥8
  (1)石見瓦‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥8
  (2)蔵のある家々‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥8
  (3)蔵に眠る宝‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥9
第2章 横田町と鏝絵―――――――――――10
 第1節 横田町‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥10
 第2節 田中家と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥14
  (1)田中家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥14
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥15
第3章 横田の左官 伊藤末治――――――――――――20
 第1節 左官 伊藤家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
 第2節 守源寺と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
  (1)守源寺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥21
 第3節 永田家と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥23
  (1)永田家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥23
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥24
 第4節 長谷川家と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥28
  (1)長谷川家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥28
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥28
第4章 横田の左官 斎藤左官――――――――――――30
 第1節 斎藤左官‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31
  (1)斎藤利幸氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31
  (2)斎藤陽一氏と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥31
 第2節 椋木家と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥33
  (1)椋木家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥33
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥33
第5章 下本郷の左官 岡崎左官―――――――――――35
 第1節 岡崎左官‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥36
 第2節 鏝絵職人 岡崎貢氏‥‥‥‥‥‥‥36
  (1)岡崎貢氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥36
  (2)貢氏の作品‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥37
  (3)立体的な鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥37
 第3節 岡崎忠隆氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥39
第Ⅱ部 大田市に見る鏝絵――――――――――――――40
第1章 大田市の概況――――――――――――――――40
 第1節 産業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥40
  (1)石見銀山‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥40
  (2)天領地として‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥40
 第2節 街並み‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥41
  (1)蔵のある家々‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥41
  (2)鏝絵のない家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥41
第2章 長久町と鏝絵――――――――――――――――41
 第1節 長久町‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥41
 第2節 蓮教寺と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥42
  (1)蓮教寺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥42
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥42
 第3節 守谷家と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥45
  (1)守谷家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥45
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥45
第3章 温泉津町と鏝絵―――――――――――――――46
 第1節 温泉津町‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥46
 第2節 安楽寺と鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥49
  (1)安楽寺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥49
  (2)鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥51
第4章 仁摩町馬路と鏝絵―――――――――――――――52
 第1節 仁摩町馬路‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥52
 第2節 鏝絵職人 松浦満幸氏‥‥‥‥‥‥54
  (1)松浦家‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥55
  (2)松浦満幸氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥55
  (3)満幸氏の兄‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥56
  (4)鏝絵をはじめる‥‥‥‥‥‥‥‥‥56
  (5)満幸氏の鏝絵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥56
  (6)鏝と漆喰‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥74
  (7)満幸氏の活動‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥76
  (8)土蔵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥79
  (9)「龍」の鏝絵について‥‥‥‥‥‥81
  (10)鏝絵を描く‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥82
結語――――――――――――――――――――――─―82
文献一覧――――――――――――――――――――――85


【本文写真から】

写真1 田中家の蔵とその鏝絵「波兎」

写真2 永田家の鏝絵「恵比寿」

写真3 温泉津町 安楽寺の鏝絵「龍」

写真4 仁摩町馬路 琴ヶ浜会館の鏝絵「琴姫伝説」

写真5 鏝絵「池月」を制作中の松浦満幸氏


写真6 鏝絵「手」の制作手順


【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、たくさんの方にご協力をいただきました。
 お忙しい中、ライフヒストリーや家系の歴史、鏝絵の来歴について聞かせてくださった石川氏、宇谷達雄氏、田中等氏、田中万子氏、永田弘氏、長谷川富士子氏、椋木節子氏、椋木一氏。益田市の歴史や産業を細かな部分まで教えてくださった益田市立歴史民俗資料館館長 新松晴美氏。お寺の歴史から町の変遷、鏝絵の由来などさまざまなお話を聞かせてくださった安楽寺 梅田クニ江氏、蓮教寺 竹村一秀氏、守源寺 村穂迪之氏。お仕事の話から左官同士の関わり方、鏝絵の制作方法などのお話を聞かせてくださった斎藤左官 斎藤陽一氏とご家族の方、岡崎左官 岡崎秀市氏、岡崎貢氏とご家族の方。馬路の歴史やライフヒストリーを教えてくださった船原和久氏。そしてアトリエにまで連れて行っていただき、これまでの人生や制作した鏝絵についてのお話を聞かせていただき、そしてさまざまな鏝絵の資料を見せてくださった左官 松浦満幸氏。長時間に渡る調査にも関わらず、快く迎え入れてくださった皆様にお礼申し上げます。また、上記以外の方々にも、調査にお力添えをいただいたすべての方にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。