関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

「大阪木材商三講」の民俗誌―舞台講・伊勢講・伊太祁曽講―

社会学部 澤山 知里

【要旨】

本研究は、大阪府で材木業を営む人々である大阪の木材商が形成・維持してきた「大阪木材商三講」について、大阪府にある業者や三講に関係する寺社をフィールドに実地調査を行うことで、各講の特徴とそれらの関係性や役割を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎの通りである。

1.大阪で木材業が始まったとされるのは1583年であり、豊臣秀吉による大坂城築城がきっかけとされている。そして、大坂城に近い場所に流通の為の東横堀川を作り、材木町と名付けて集住させた。そして川沿いに店を構えた材木屋は自ら橋を架け、現在東横堀川に残っている橋の多くは民間のものである。

2.1622年、大阪と経済的な利害関係で強い結びつきがあった土佐藩により、立売堀川にて市売が始まった。その後1716年より業者が増加し、西長堀や堀江、西横堀川など、当時大阪の堀をなしていた川沿いを中心に、大阪の材木業はますます発展していった。

3.明治末期になると、西長堀線の開通により、長堀北側の木材市場は明治40年で廃止、その拠点を境川に移す事となる。その後大正区、現在の平林へと次々に材木街が移転していく。ここから、木材業の大きな特徴として、次第に大阪湾よりの西方向へと移転するという事が挙げられる。その理由として、材木屋が持つ広い木場や木を切る際の騒音等が、行政による都市開発の遮りとなっていた事が考えられる。

4.木材業は景気の波に左右されながらも、現在も大阪の伝統産業として存続している。しかしその環境は厳しく、工法の変化やインターネットの普及などで顧客の嗜好にも変化が生じ、材木屋の需要は著しく低下しているのが現状である。一方打開策として、木場としての広い土地を所有していた特徴を活かし、不動産事業を行う業者も現れている。また木材業の結束強化の為、大阪市住之江区平林への集約計画も進められている。

5.「大阪木材商三講」は、3つとも同じメンバーが所属しており、講行事への参加は自由である。舞台講のみ、講員の家族や友人も参加可能で、それ以外は代参制である。また、役員が作った三講会は、役員同士の親睦を深めるだけでなく、会計処理の役割も果たしている。

6.舞台講は、江戸時代の形成当初は四天王寺への奉賛・寺社勢力との結びつきを目的とした。しかし太平洋戦争を経て社会の風潮が変わった事もあり、現在はそのような活動は見られず、結成当初から行われている舞台講施餓鬼法要のみを大規模に行っており、その目的は舞台講員の先祖供養へと変化している。

7.「大阪木材商伊勢講」として活動を始めたのは1983年であり、この年を「伊勢講元年」と呼んでいる。それまでは伊勢講はあったものの、伊勢神宮側に講としての登録がなされていなかったので、改革を行い、講としての登録を完了させると共に全員での特別参拝と直会ができるようにした。

8.伊太祁曽講は、木材業者で行っていた祭に自分たちの神がいない事に気づいた事が始まりであり、1975年に講が成立してからは、木の神様が祀られる伊太祁曽神社へ年1回の参拝を行っている。神社側の詳しい記録は残っていないが、それまであまり知られていなかった神社に木材関係者が信仰するようになった事は、神社側にとっても非常に良い事だと考えられている。

9.講の中で、舞台講は特に先祖供養の意味合いが強く、講員自身も特別な想いを持っている。また、伊勢講はおかげ参りの流行が起源という事でレクリエーション的要素が強い。そして伊太祁曽講は、木の神様である神社と結びついてる事から、神を発見した後も木材祭を行った他、木材商らの職業神として拠点である大阪木材会館に勧請するなど、講員を始めとする木材業者の人々に同業者信仰的特徴が見られた。

【目次】

序章 問題の所在-------------------1

第1章 大阪の木材商---------------4

 第1節 木材業の展開-------------5

  (1)木材業の形成-------------5

  (2)材木街の変遷-------------11

  (3)オイルショック以後-------16

 第2節 木材業の現在-------------18

 第3節 大阪木材商三講-----------20

第2章 舞台講---------------------29

 第1節 形成と展開---------------30

 第2節 舞台講の現在-------------37

  (1)舞台講施餓鬼法要---------37

  (2)舞台講への想い-----------39

第3章 伊勢講---------------------43

 第1節 形成と展開---------------44

 第2節 伊勢講の現在-------------49

第4章 伊太祁曽講-----------------64

 第1節 形成と展開---------------65

 第2節 伊太祁曽講の現在---------73

結語-------------------------------76

文献一覧---------------------------80

【本文写真から】


写真1 2017年春のお彼岸の舞台講案内



写真2 四天王寺 石舞台(正面)。舞台講と書かれた左右には、講員の名前が書かれている。



写真3 四天王寺石舞台勾蘭と書かれており、左側には昭和39年9月吉日と書かれている。



写真4 「大阪木材商伊勢講」と書かれた旗を先頭に歩く伊勢講の人々



写真5 伊太祁曽神社 大鳥居



写真6 大阪木材会館にある伊太祁曽神社


【謝辞】

本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただいた。お忙しいなか、長時間に渡りお話を聞かせてくださり、本研究のテーマを提供してくださった西庫一氏。知識の疎い私に快く業者さんをご紹介くださった仲買組合の皆様。大阪の歴史、木材業からご自身の事まで何でもお話くださった他、色々な方をご紹介してくださった大岡次郎氏。舞台講の資料や法要のお話を聞かせてくださった一本崇之氏、中西廣道氏。三講の事や木材の事はもちろん、直前だったにも関わらず伊勢講に快くお誘いくださった島崎公一氏。伊太祁曽神社の事だけでなく、伊勢神宮おかげ横丁の事まで親切に教えてくださった奥重視氏。伊勢講にてお世話になった、全ての講員と事務局の皆様。講長という立場からの貴重なお話をしてくださり、資料を見ながらいつも一緒に考えてくださった杉田幸一氏。これらの方々のご協力なしには、本論文は完成に至りませんでした。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。