関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

活版の消長―神戸をフィールドとして―

活版の消長―神戸をフィールドとして―
佐野友莉香

【要旨】

本研究は、現在の日本においてほんのわずかとなった活版印刷と、年々増加する経営難から廃業する印刷所について、神戸をフィールドに、その技術が辿った消長の流れに個性を発見することを目的とした。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

1. 兵庫で近代印刷が栄えはじめたのは、神戸港が開港したのがきっかけだった。神戸は徐々に通商都市として開かれていったが、その中でも、印刷技術の進歩に影響を与えたのがマッチ工業の台頭だった。この影響で、マッチの箱に貼り付ける商標(マッチラベル)の印刷が盛んになった。最初は板に直接職人が彫刻をしたものを活版印刷機で刷っていたが、電気銅版が導入され、精巧な原版が作られるようになった。

2.1938年に国家総動員法が施行されたことで、物資統制によって印刷業界でも資材や燃料不足が起こった。1943年には全国の印刷所が工場の転用、廃業を強制され、余分だとみなされた活字や印刷機はスクラップにされてしまった。兵庫県では、約6割の印刷業者が転廃業させられた。その後残った印刷所も戦火でいくらかが失われ、残ったのは230〜240軒だった。

3.1970年ごろから、全国で徐々にオフセット印刷を中心とした新技術が一般的につかわれるようになり、新しい技術に投資して活版から移行した大きな印刷所と、経営資金などの面から活版印刷を続ける小さな印刷所に2分化した。

4.1995年、阪神大震災によって、活版の設備が駄目になったために、活版を続けていた印刷所は高いコストをかけて新しい設備を揃え印刷業を続けるか、今すぐに廃業するかの選択をしなければならなくなくなった。1970年代には神戸市内に400軒以上あった印刷所は、200軒ほどにまで減少した。

5.啓文社印刷工業株式会社でも、活版の衰退は1970年ごろから少しずつ感じられていたが、活版印刷オフセット印刷の2つの技術の並行で経営していた。阪神大震災では揺れによって活字が倒れ、廃棄せざるを得ない状態になってしまった。現在も活版印刷機は使用しているが、活字よりも樹脂版などを使うことが多い。

6.中には活字の微妙な特徴を理解されていて、「どうしても活字の活版で」と依頼されるお客もいる。そういったお客の依頼には、その都度必要な活字を取り寄せて印刷をしている。

7.大和出版印刷株式会社でも1969年にオフセット方式を導入して以降は、活版印刷の作業がどんどん減った。 震災では活版印刷機は4台とも無事だったが、活字の棚が倒れ、破損してしまった。現在はほとんどオフセット印刷で、活版印刷機を使うのはナンバリング・ミシン目入れという作業がほとんどだが、名刺やタグなどの小さな印刷物、ウエディングカードの模様などを刷ることもある。

8.ナンバリング・ミシン目入れはもともと活版印刷機独自の機能を使った技術だったので現在もまだ需要がある。しかし、新しい技術でこれをまかなえるシステムも生まれているので、これからもずっとあるとは言えない。現在の時点では、活版印刷機のほうが効率が良いため、使われている。

9.インターネットや印刷組合の名簿で調べた結果、現在神戸市内で、昔から活版印刷を扱われているのは今回調査した2軒のみだと考えられる。

10.「活版印刷」そのもの自体は、「樹脂版などの凸版を含む広義の活版」に意味を変化させ、残されている。最近になって活版のデザインが若い層に注目され始めていることから、この需要は今後もしばらく途絶えることはないと考えられる。実際に失われつつあるのは「活字の技術」だと言い換えられる。

11.神戸の土地には小さい印刷所がとても少なかった。以前調査した長崎では、調査させていただいたのは一家3〜4人のみで経営している小さな印刷所だったが、神戸にはそういったところはなかった。ほとんどの社名が「〜株式会社」であり、従業員が20人以上は在籍し、営業部と印刷部が分けられている大きな会社だった。

12.活版印刷に対する「暗黒の時代」の意識は、その時代を過ごしてきた印刷所で少なからず共有されている。


【目次】

序章 問題と方法

 はじめに

 第1節 活版印刷とは

  (1)歴史

  (2)活版の仕組み

 第2節 オフセット印刷とは

  (1)歴史

  (2)オフセットの仕組み


第1章 神戸と印刷

 第1節 神戸の印刷所

  (1)近代印刷の始まり

  (2)商標印刷の盛衰と技術の先進

  (3)戦時の苦悩

 第2節 阪神大震災


第2章 啓文社印刷工業株式会社

 第1節 来歴

 第2節 活版の時代

  (1)設立から震災以前

  (2)阪神大震災の被害とその後

 第3節 活版の現在

  (1)活版の道具

  (2)活版の技術

 第4節 今後の展望


第3章 大和出版印刷

 第1節 来歴

 第2節 活版の時代

  (1)設立から震災以前

  (2)阪神大震災の被害とその後

 第3節 活版の現在

  (1)活版の道具

  (2)活版の文字とデザイン

  (3)活版の技術

  (4)ナンバリングとミシン目入れ

 第4節 今後の展望

  (1)技術の進歩

  (2)広報活動


結論 総括

  謝辞

文献一覧


【本文写真から】


組まれた状態で残された名刺用の活字


カードの印刷に使われたアルミ版


ナンバリング用の活字


ミシン罫の組み付けの様子


ウエディングカードのレース模様をアルミ版で刷ったもの


【謝辞】

本論文を作成するにあたり、調査にご協力いただいた啓文社印刷工業株式会社の安達真一さん、大和出版印刷株式会社の武部健也さん、武部俊さん、寺原大矢さん、野渥弘能さん、兵庫県印刷工業組合の梶原博さんには、お忙しい中、貴重な時間を割いてお話していただきました。協力していただいた皆様へ、心からの感謝の気持ちと御礼を申し上げたく、謝辞にかえさせていただきます。