大川家具の民俗誌
菰方育美
【要旨】
本研究は、福岡県大川市および福岡県八女市黒木町をフィールドに、「大川家具をめぐる人びと」に焦点を当てて実地調査を行うことで、木造船時代・戦前・戦時中・戦後の時代にいかなる変遷をたどり、発展してきたか、さらに大川家具の発展要因の一つである「大川家具と八女黒木の関係性」を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。
1.「大川家具」とは福岡県大川市で生産される家具のことで、その歴史は480年であり、日本の家具生産の先駆的役割を果たした。木工関連企業は、昭和40年代をピークに徐々に減少してはいるものの、今なお300社を超える木工関連製造事業所が大川市内に集結し、日本一の家具産地として全国にその名が知られている。
2.大川家具の歴史は、大川の港町「榎津」で行われていた造船業に始まる。榎津は筑後川下流に位置し、水運が主力であった大正時代まで重要な港町とされていた。その榎津において1536(天文5)年、榎津久米之介が木工業を奨励したという伝承があり、このときから木造船製造業が盛んになり、榎津は船大工で占められていた。しかし、大正末期から、徐々に転業する家が多くなり、現存していない。
3.明治〜大正期にかけて、民衆の生活水準の向上によって、家具・建具などの需要が増加するに従って、指物業に従事する者が多くなり、榎津指物の名が世に知られるようになる。徐々に船大工職から指物職(家具一般)に転業する者が増え、榎津に指物産地が形成され、大正期に全盛期を迎えた。榎津指物は、錺金具や文様に特徴があった。
4. 1923(大正12)年の関東大震災を転機として、独特な地場産業の「榎津指物(家具)」から、「大川家具」という一地方の地場産業へと転換していく。震災後の東京は焼け野原になり、何もなくなってしまったために、商品を全国から集めるようになるが、その際に全国的に画一化したデザインを製造するよう指導したために、大正末期〜昭和の初期にかけて、榎津指物のデザインはなくなり、画一的デザインの大川家具へと変わっていったのである。
5.大川家具の資材には時代とともに流行があり、様々に変遷してきた。「杉」→「楢(ナラ)」→「橅(ブナ)」→「楠(クス)」→「南洋材」(ラワン、チーク)・「その他外材」(タモ、マツ)というこれらの変遷は、貿易規制や加工技術の発展によりその時代時代で起こってきたものである。
6. 1939(昭和14)年以降、物価統制令が公布され物資は全て軍用に回されるようになり、木工業者は配給でわずかに企業生命を維持することができた。しかし徐々に配給は年々減少し、工場も軍需工場へと転身されていく。中には、合同経営による軍需協力工場も多く出現した。1945(昭和20)年、8月に終戦を迎え、大川の軍需木工場は相次いで解散、閉鎖された。機械も各工場に返還され、それぞれで家具の生産が再開されていった。
7.大川家具の大きな発展は戦後復興によるものが大きい。戦後復興において、以下3点のキーワードがある。1点目は、「モノ不足」である。戦災によりモノが不足し、復興に伴う家庭用家具の需要が、急速に高まり、作れば売れる時代に突入したのだ。2点目は、「徒弟制度」である。師匠の指導の下に、長年技術的体験を積み、また浪費がいらない徒弟により製作された良質で、安価な製品に需要は伸びていった。3点目は、「大川家具工業会」である。組織化によって、それまで個々で行っていたものが統制され、機械化も進み、効率的な製造販売、そして販路拡大が可能になった。また給食センターの設立で労働力を集めることができたことと、家具展をはじめたことも発展要因の一つである。
8.家具職人となるには、4年間の修業期間を要する。4年間師匠宅に住み込み、師匠や他の弟子たちとともに生活を共にしながら、家具づくりの技を身につけていく。弟子あげという卒業式を終えると、職人となり、そのまま職人として工場に残るか、独立するかを選択して、徒弟生活を終える。徒弟制度は明治期から行われていたが、その全盛期は昭和30年代であり、その時代によって修業期間は異なる。
9. 1960(昭和35)年頃から、和家具に加えてアシモノ(洋家具)が台頭してくる。アシモノの発展において、以下2点のキーワードがある。1点目は、「船舶家具」である。当時造船所から船舶に備え付ける家具としてアシモノを受注し、そこで学んだ「船舶に備え付ける家具=アシモノ」を一般的に消費者に売りだすようになった。2点目は、「ライフスタイルの変化」である。ライフスタイルが和から洋へ変化したことで、ベッド、椅子、テーブルの需要が増えた。
10.1965(昭和40)〜1985(昭和60)年にかけて婚礼家具と台所用家具の需要が高まってくる。婚礼家具とは洋服箪笥、和(衣装)箪笥、整理箪笥の3点セットであり、広島県府中の婚礼セットが大川の婚礼家具に大きな影響を与えたといわれている。台所用家具などのトータルインテリアは、女性の地位向上と住宅マーケットの変化によって需要が高まった。
11. 1949(昭和24)年、「重要木工集団地」の指定を受け、同年、榎津久米之介の400年忌を期して「第1回大川木工祭」が開催され、家具の展示即売、塗装、木工機械の展示即売、整理箱の早作り競争など多彩な行事を行っていた。その木工祭は木工まつりと名を替え、現在でも毎年10月に行われる、64回の開催というたいへん歴史ある大川市最大のフェスティバルである。
12.大川家具の発展と「八女」は深く関係している。大川家具と八女との関係性の歴史は、1903(明治36)年、1903(明治36)年、福岡県八女郡黒木町出身の松田清吉が、大川の鶴清太郎氏のもとに家具職人見習いとして入所したことに始まる。八女から多く訪れた理由としては以下の3点である。1点目は、仕事が百姓しかなかったことである。2点目は、大川は産業の街であり、八女に比べ働きやすい環境であったことである。3点目は、「口減らし」である。そこで徒弟制度を利用する者が多かった。
【目次】
序章 ―――――――――――――――――――――――――――─―4
第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5
第2節 大川市と家具‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6
第3節 大川家具をめぐる人びと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥13
(1)松田忠治氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥13
(2)中村餘平氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥13
(3)東三起男氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥16
(4)森田勝義氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥18
第1章 木造船・指物・大川家具―――――――――――――――――――19
第1節 水運と造船の街「榎津町」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
第2節 榎津指物の誕生‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥24
第3節 榎津指物から大川家具へ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥25
第4節 東木工と肥前屋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥27
(1)東木工株式会社‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥27
(2)株式会社肥前屋家具工業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31
第2章 大川家具の戦後史―――――――――――――――――─36
第1節 戦時体制下の大川家具‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥37
第2節 戦後復興‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥39
(1)背景としてのモノ不足‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥39
(2)労働力と徒弟制度‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥39
第3節 大川家具工業会の結成‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥43
(1)大川家具工業会‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥43
(2)機械化と販路拡大‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥46
(3)給食センター‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥51
(4)新春祭と仕入大会‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥54
(5)木工祭‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥55
第4節 アシモノの発展‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥60
(1)船舶家具からアシモノ製作へ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥60
(2)ヨーロッパ家具‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥60
第5節 婚礼家具と台所用家具‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥61
(1)広島の婚礼セット‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥61
(2)トータルインテリア‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥62
第3章 大川家具と八女郡黒木町―――――――――――――――――─64
第1節 大川と八女‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥65
第2節 八女郡黒木町‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥66
第3節 八女出身の人びと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥70
(1)八女出身会‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥70
(2)株式会社松田家具‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥71
(3)モリタインテリア工業株式会社‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥79
(4)森田勝義氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥81
結語―――――――――――――――――――――─――――――――83
文献一覧――――――――――――――――――――――――――――87
【本文写真から】
船大工の作業場 *『おおかわの歴史』(2011年、福岡県大川市、125)より。
家具職人道具一式
大川産業会館の外観
松田清吉夫妻 *『感謝 株式会社松田家具60年の歩み』(2010年、松田洋一、3)より。
【謝辞】
本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただいた。
大川家具を中心とした地元の方々や、関連企業の方々のおかげで無事に本研究を進めることができました。大川家具の基礎知識から、船大工から大川家具への発展、会社の歴史まで何度も筆者の研究にお付き合いいただいた東三起男氏。大川家具に詳しい方々を招いてくださり、より一層詳しい調査と貴重なお話を伺うことができました。また、食事にも連れて行ってくださり、そのときの会話からも多くのことを発見しました。他にも資料提供、ショールームの案内と、多くを得ることができました。ショールームで拝見した、モダン家具の美しさは忘れることができません。何度もご自宅に上がらせてもらい、大川家具と八女黒木の関係についてお話を伺った、松田忠治氏。昭和初期の大変古いお話も鮮明に記憶されてあり、その知識の豊富さと記憶力に驚かされました。明るく、わかりやすく語ってくださる様子に、自分の祖父を見ているようでした。映像資料も見せてくださり、たいへん貴重な体験をさせていただきました。ご自宅に上がらせてもらい、八女黒木のお話や徒弟制度について詳しく伺った、森田勝義氏。徒弟制度についてここまで詳しく調査できたのは、森田勝義さんのおかげです。当時の生活や仕事について、実体験を基に詳しくお話をしてくださいました。時間の許す限り、筆者の研究に笑顔でお付き合いいただきありがとうございました。船大工時代のお話、戦時中の貴重な体験談を伺った、中村餘平氏。初めは東三起男氏の紹介でお話を伺いましたが、さらにお話がしたいと、ご自宅にうかがい、再度筆者の調査にお付き合いくださいました。古い写真や資料をみせてくださり、船大工から家具職人への転業のときのことについては生の声は聞けないと思っていましたので、たいへん嬉しかったです。たいへんお忙しい中、本当にありがとうございました。そのほか、中村定氏、東稔雄氏、園田雄司氏、松田哲博氏、松田洋一氏、堤弘氏、林稔二郎氏、菰方千月氏、大川家具工業会、大川商工会議所、株式会社松田家具、松田家具大川工場、東木工株式会社、八女市役所、大川市立図書館の皆さまにもご協力いただきました。