姫路の闇市と本町68番地
野中 麻未
【要旨】
本研究は、姫路市の駅前と本町68番地を研究対象のフィールドに実地調査を行う事によって、戦後から始まる闇市と本町68番地に存在していたお城本町(お城マート)について明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。
1.昭和20年7月3日B29の焼夷弾により姫路の中心街は焼け野原となり、昭和20年8月15日の終戦から姫路の戦後復興が始まった。昭和20年の秋頃から駅前に闇市が次々と出来た。光源寺跡の闇市、光源跡の闇市と繋がった宝市場という闇市もあり、闇市は100件以上軒を連ねていた。闇市には焼け跡にバラックを建てて商売をする人もいれば、屋根がなく、ミカン箱を2つ並べその上にベニヤ板を敷いて商品を並べ、商売をする人もいた。闇市には様々な店があり、古着屋や金物雑貨、食べ物屋、また、ヤクザやテキヤも多かったそうだが、食べ物、衣類が主流で人がいつも立ち止まっていたのは雑炊やうどん、すいとん、蒸しパンなどの食べ物の店だった。食料品は特に高くても売れたという。衣類は兵隊が着ていた服など古着が主流だった。闇市をされていた方には朝鮮人も多かった。炭鉱で働いていたり、土方をされていたりする朝鮮人が姫路にはいた。治外法権があるため、ヤミの商売をしていても取り締まることができなかった。姫路の闇市は徐々に減っていき、昭和23〜24年頃になくなった。
2.「本町68番地」は単独の番地としては皇居のある、千代田区千代田1番地に続く日本で2番目に広い番地で、現在その全域が特別史跡に指定されている。本町68番地は広いため、郵便配達は大変だったらしく、住民が自分達でそれぞれ町名を作って使っていた。その町名の1つが闇市から発生した「お城本町」(お城マート)である。お城本町には、270世帯が暮らしていた。戦後、旧満州から荷物一つで引き揚げてきた人々が生きていくために故郷に帰らず、市街地が焼け野原になった姫路にとりあえずの住まいをと、お城の土塁脇の空き地に掘っ建て小屋を建てて住み始め、闇市を始めたのが始まりである。戦後、闇市が出来た頃は270軒ほとんどが店で、働かなければ生きていけない時代だった。お城本町は長屋で、背中合わせ、向こう三軒両隣、壁1枚隔てて暮らしていた。間口1間、奥行き1間半が1区画で、1世帯、3畳〜4畳半くらいの広さで、びっしり270世帯がひしめき合っており、路地も1メートルほどで、やっと自転車が1台通ることが出来るほどの狭さだった。物がない時代だったが、「お城マートに行けば何でもそろった。ない物はない」と言われていたそうだ。お城本町には八百屋、時計の修理屋、カメラの修理、写真屋、花屋、化粧品店、喫茶店、氷屋、散髪屋、スナック、職人さん(自転車など)、やのつく職業(やくざ)、食堂、鰻屋(いつも満席の姫路有数の鰻屋だった)など様々な店があった。姫路の街全体がどんどん再開発をされていく中でお城マートは、闇市の当時の区画のまま取り残されていた。そしてお城本町から出て行かず、残った人たちが年を重ね、お城本町は高齢化していった。何度も立ち退きで揉め、10年ほど経った頃にお城本町の立ち退きが決定し、平成13年7月18日に「お城本町地区市街地再開発ビル(愛称:イーグレひめじ)」がオープンした。
3.姫路市在住の版画家、岩田健三郎氏は20代の10年間、お城本町の家で一人暮らしをされていた。岩田氏はお城本町の近所の方々から戦後当時のお城本町がどのようにして発生したかなどを聞かせてもらったという。「お城マートを再開発しなければならない。」という話が出ていた頃に岩田氏は入居された。お城本町にそのまま取り残されて、悔やんでいる方とお城本町に誇りを持っている方の両方いたという。お城本町に住んでいた人はイーグレ姫路の中に出来るマンションの優先権が得られた。しかし、敷金、家賃がとても高かったため、そこにはお金を持っていた一部の方しか住めなかった。残りの多くの人びとは駅の南側の北条住宅に無条件に入れることになり、移り住んだ。息子、娘に引き取られる方、一戸建てを建てて、暮らす方もわずかにいたそうだ。立ち退きが決定した後は、先に出て行かれた方もおられたが、だらだら別れないでおこうということで、一斉に皆で引っ越したそうだ。生活も仕事も全部が見え、良くも悪くもプライバシーがない生活をしてきた岩田氏にとって、お城本町は絵や文章を書く原点となっているそうだ。イーグレひめじの地下に降りると姫路市在住の版画家である岩田健三郎氏が、かつてこの地にあったお城本町の姿を描いた版画が展示されている。
4.お城本町と同じ理由で、戦後、城南練兵場に住宅兼用の商店街が建設された。御幸通りの筋に当たるブロックは、東側のお城本町のブロックと共同アーケードを建設し、本町商店街として発展した。本町商店街は姫路市で一番早くアーケードを建設し、昔の建築基準で修理し、建設当時のままのアーケードを保っている。本町商店街の中で岩崎書店は最も古く、テナントが変わっている店が多い中、今でも続けられている数少ない店である。岩崎書店は創業67年目(2014年12月現在)である。今も当時のままの姿が残っている。
【目次】
序章 問題の所在――――――――――――――――――――――─―5
はじめに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6
第1章 姫路の闇市―――――――――――――――――――――─―10
第1節 戦後の姫路‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥11
(1)郄谷日出男氏の戦後‥‥‥‥‥‥‥11
(2)長谷川國男氏の戦後‥‥‥‥‥‥‥19
第2節 姫路の闇市‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥21
第2章 本町68番地――――――――――――――――――――――─27
第1節 本町68番地‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥28
第2節 お城本町‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29
(1)お城本町の発生‥‥‥‥‥‥‥‥‥29
(2)お城本町の暮らし‥‥‥‥‥‥‥‥30
(3)お城本町の解体‥‥‥‥‥‥‥‥‥33
(4)イーグレ姫路の誕生‥‥‥‥‥‥‥34
第3節 岩田健三郎氏とお城本町‥‥‥‥‥42
(1)来歴‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥42
(2)お城本町での暮らし‥‥‥‥‥‥‥43
第4節 本町商店街‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥49
(1)本町商店街の発生‥‥‥‥‥‥‥‥49
(2)本町商店街の遍歴‥‥‥‥‥‥‥‥49
結語―総括――――――――――――――――――――――─―――52
第1節 総括‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥53
資料 NHK 新日本紀行
「戦後生まれの城下町」姫路市本町68番地――――――――─――55
文献一覧―――――――――――――――――――――――――――─―60
【本文写真から】
写真1 昭和20年頃の終戦直後の姫路
※兵庫県立博物館編 『高橋秀吉コレクション』より
写真2 昭和21年の姫路駅前西望
※兵庫県立博物館編 『高橋秀吉コレクション』より
写真3 再開発地区南に隣接するNTT屋上より
※岡本孝夫 『イーグレひめじに夢をかけた人達』より
写真4 再開発地区西に隣接する大手前第一ビルから
※岡本孝夫 『イーグレひめじに夢をかけた人達』より
写真5 事業開発前の地区内の状況
※岡本孝夫 『イーグレひめじに夢をかけた人達』より
写真8 岩崎書店
【謝辞】
本論文の執筆にあたり、多くの方々に調査へのご協力をいただきました。お忙しい中、戦後の姫路の様子や闇市についてのお話、御自身のライフヒストリーなど様々なお話を聞かせて下さった長谷川國男氏、郄谷日出男氏、岩田健三郎氏、黒田権大氏、岩崎啓介氏。熱心に協力をして下さった内藤正憲氏、福井孝幹氏、堀田浩之氏以上の皆様の協力なしには、本論文を完成することはできませんでした。皆様との出会いに感謝し、上記以外の方々にも、調査にお力添えいただいたすべて方々に、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。