関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

文献解題

島村ゼミ3回生によるフォークロア研究文献解題

【解説担当者より】
 今回、日本民俗学会の学会誌を目に通した中から選択していく上で、私自身が福岡出身ということから、馴染みのある九州に関連するものや、目を引かれるキーワードを中心に的を絞った。その中で、「阿蘇神社のレガリア」、「カラムシ紀行」、「芋を空に祀る愛媛の芋名月」の三点が新たな出発点となった。これまでは、目に見えるフォークロアを主に見てきたが、現存しない事物もフォークロアのひとつとなることを知り、私のフォークロアのフィールドが少しずつ広がった。また、論文を読むことで、自分自身の知らないフォークロア領域に足を踏み入れることができ、学びの場とすることができた。(大庭明剛)


■村崎 真智子「阿蘇神社のレガリア」『日本民俗学』198号、1994年。

(1)著者について
鎮西高校教諭、平成18年1月3日に52歳で亡くなられた。また、阿蘇神社と阿蘇氏の研究に貢献された。著書は「阿蘇神社祭祀の研究」がある。

(2)対象
阿蘇神社のレガリ

(3)フィールド
一の宮町

(4)問題設定
阿蘇神社にはレガリアの伝承も全く残っていないため、現在分かる範囲でいろいろな角度から近づいていく。

(5)方法
文献調査、フィールドワーク

(6)ストーリー
 阿蘇神社のレガリアという未知の領域に踏み込むということから、さまざまな切り口から考察が行われた。レガリアの伝承という観点からは、「レガリアの数、レガリアのモノとしての種類」から可能性を探った。二つ目に古神社の伝世の神宝ということから同じ神社の伝承上のレガリアを「諏訪神社石上神宮出雲大社」との類似点を探った。ここでレガリアの原形と機能が記され、シャーマンの持つ祭具、神がかりとなった神聖首長、巫女が呪術に用いる祭器と記されている。阿蘇神社のレガリアの可能性があり得る神具は「鉾、水火王の面、五色絹、鷹」の四つである。さらに節分祭の葦塚の神具、祭神健磐龍命の持ち物、阿蘇神社大宮司の装飾という一面から見てもレガリアとしての可能性はあっても断言できない。終わりに阿蘇神社の「宝物」というところからは、伝世のレガリアらしきものの記録・伝承・実物ともに見出だせない。以上のことからも、阿蘇神社のレガリアはそれらしき可能性を秘めていても、ひとつの仮説でしかないと綴られている。

(7)結論
 現在阿蘇神社にはレガリアは全く残っていない。レガリアの可能性のあるものとして、「鉾と水火王の面、草部吉見神社の社宝である火の玉、水の玉と共通する呪面」という可能性を見出だしている。草部吉見神社の社宝である火の玉、水の玉の持つ呪力は、阿蘇神社にも引き継がれているとまとめた。

(8)読み替え
 阿蘇神社から考えられるレガリアは可能性でしかないが、他の古神社のレガリアと比較していくことで可能性を見出だすことができた。そのため、阿蘇神社のレガリアを見つけることができれば、新たなるフォークロアが生まれるだろう。


■滝沢 洋之「カラムシ紀行―壱岐対馬・北九州にその伝播ルートを求めて―」『日本民俗学』205号、1996年。

(1)著者について
1940年大沼郡金山町生まれ。1963年福島大学学芸学部卒業。福島県立高校教員を勤める。現在は、会津民俗研究会会長、青木山を守る会会長である。著書は「吉田松蔭の東北紀行」「会津木地師」がある。

(2)対象
カラムシ

(3)フィールド
壱岐原の辻遺跡周辺)
対馬(厳原周辺)
北九州(長崎市周辺、吉野ヶ里遺跡周辺)

(4)問題設定
・カラムシはいつごろ、どのようなルートを辿って、日本で栽培されるようになったのか。
・中国・韓国・山口(綾羅木遺跡)にカラムシの存在が確認され、『魏志倭人伝』にも紵麻の記述があることから、魏の使者が辿って来た壱岐対馬にもカラムシがあるのではないだろうか。

(5)方法
聞き取り調査、フィールドワーク

(6)ストーリー
 カラムシは、イラクサ科の多年草。また、原産地は中国・フィリピン・マレー半島で亜熱帯地域であり、そこからどのようにして日本に来たかを探る。一つ目に、壱岐のカラムシを探しに行く、農家の近くと原の辻遺跡周辺で見られ、周辺住民に聞き込みを行う。二つ目に対馬のカラムシを探しに行き、厳原周辺で見られ、周辺住民に聞き込みを行う。ここでは、韓国親善使節団が着ていたカラムシの着物と対馬の赤米の伝播ルートといった新たな局面から考察されている。三つ目に北九州(長崎市周辺、吉野ヶ里遺跡周辺)のカラムシを探しに行き、周辺住民から聞き取りを行う。最後に今後の展望が記されている。

(7)結論
 壱岐対馬・北九州の各地を歩き、各地の研究者をたずねてもカラムシ織りがあったという事実は確認できなかった。しかし、各地にカラムシが生息していたことからもこれからさらにカラムシ織りの遺物が発見されるという可能性がある。事実、綾羅木遺跡では、カラムシの織物の遺物が確認されている。次に「カラムシ」という言葉から見ていくと、その名の通り「カラムシ」と呼んでいる地域はひとつもなく、「オンジロホ、シロホグサ、ウラジロ、シログサ、ポンポングサ」といったように独自の呼び方がある。また、日本に現存するカラムシを自生していたものか、大陸から伝えられたかどうかも不明である。最後にカラムシが日本で今もなお、生息していることやカラムシの生息している地域の人々の語りからも、カラムシの遺物が発見されれば、謎が解明されるのではないだろうかとまとめた。

(8)読み替え
 カラムシが生息している地域では身近な存在であるため、日本独自の使用用途が、先人の知恵として現代に受け継がれている。具体例としては、トイレットペーパー代わりにする、家畜の飼料、薬の一種として使われた。しかし、韓国ではカラムシの繊維を用いた着物があることからも、日本にカラムシの着物があっても不思議ではない。そのため、未だに解明されていないカラムシの伝播ルート、カラムシの遺物こそが解決の鍵を握っている。
 


■近藤日出男「芋を空に祀る愛媛の芋名月」『日本民俗学』213号、1988年。

(1)著者について
1962年愛媛県四国中央市土居町北野生まれ。1948年京都繊維専門学校卒業。1951年国立岡山大学理学部生物教室教官。1961年高知県で高等学校の教師となる。現在は愛媛民俗学会会長。著書は「何を食べてきたのだろう」「まぼろしの稲を訪ねて」「四国・食べ物民俗学」がある。

(2)対象
 調査対象者の話者

(3)フィールド
 宇摩郡土居町、新居浜市上浮穴郡

(4)問題設定
 芋名月にまつわる行事を今に伝承している農家の報告。

(5)方法
 聞き取り調査

(6)ストーリー
 著者が十二人の話者からのそれぞれの語りをまとめている。現存する空に芋を供える芋名月の事例は、類似しているところはあるものの、家庭ごとに独自の方法で祭事を行っている。また、祭事の準備の手順や祭事を行う上でのかけ声、祭事の継続の有無が綴られている。

(7)結論
 芋を空に祀る芋名月ということで、各家庭が先祖代々、継承されてきた独自の祭事を行っている。各家庭のひとりが話者となっているため、表現の仕方は多少異なっているが類似しているところもあった。この祭事は、全ての家庭で一度も途絶えることなく行われたかというとそうではない。近隣住民が祭事を行うのを止めたという理由から、一度中断したり、仕事に就くという理由もあり、面倒という理由から退いていったりといったように年中行事は姿を消していきかけた。しかし、この祭事を作物に感謝する崇敬の念から続けた風習と知った親は子に伝承していくことで復活させようと試みている。

(8)読み替え
 芋を空に祀る愛媛の芋名月という祭事は、親から子へと代々継承されてきたことから家庭ごとに独自のフォークロアが見られる。また、近代の発展に伴い、仕事を行うようになり、祭事を一度中断した事例もあることから、簡略化される可能性もあり、また新たなるフォークロアとして生まれ変わることも考えられる。さらに語りというパフォーマンスの一面も見られた。