関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

文献解題

島村ゼミ3回生によるフォークロア研究文献解題


【解説担当者より】
今回、これらの論文を選考するにあたり、自分が1番興味のある「住まい」という分野に絞ろうとした。実際3本目に挙げたイエ空間の論文はまさにその分野であり、興味を持って読むができた。しかし、それだけでなく他の異なる分野の論文も見てみようと思い、選んだ2本目のトリアゲジサの論文が非常におもしろく、人物のライフヒストリーを追い、人物個人のフォークロアを研究することにも興味が出た。故に今回選んだ3本の論文は解説担当者の視野を広げ、研究の幅を広げる非常に重要なものとなったと言えるだろう。(藪 実咲)


■下野敏見「巫女舞いの伝統―特に内侍舞いについて」『日本民俗学』207号、1996年。

(1)著者について
下野敏見 1929年生まれの鹿児島県知覧町出身。日本の民俗学者で、文学博士。鹿児島大学を卒業し、高校教員を経て、鹿児島大学鹿児島純心女子大学の教授を務める。南日本地方の民俗研究の第一人者であり、日本民俗学会の権威とも言われている。南九州から沖縄に至る地域で、長年にわたって民俗調査を行っている。

(2)対象
内侍舞い・巫女舞

(3)フィールド
鹿児島県 山川町成川、薩摩郡里村、トカラ列島

(4)問題設定
内侍舞いは、どのような内容のものか。その舞いの核心は何か。

(5)方法
文献、聞き取り調査

(6)ストーリー
鹿児島県では各地の神社の祭礼で巫女舞いが行われている。巫女舞いを行う女性のことを現地ではマツジョウ、マシジョウ、ネシ、ネーシなどと呼ばれており、これは奈良時代などに存在した「内侍」に由来するものであった。現在でも内侍や内侍舞い、内侍舞神楽が存在している。本稿ではその内侍舞いに焦点を当てていく。まず、内侍の説明をし、それらの職務に内侍舞いが含まれていることを述べ、さらにその概要を鹿児島の3地域(成川、里村、トカラ)を比較しながら挙げていく。3つの地域による内侍舞いの違いをまとめた後、内侍舞いの核心に迫る。最後にさらなる補足としてヤマト文化圏の巫女舞い、琉球文化圏の祝女について述べている。

(7)結論
内侍舞いという呼称の巫女舞いは現在では日本中でも鹿児島県にしか残っていない。比較した3地域での内侍舞いは成川→里村→トカラという順に次第に古い形態を見せ、いずれも服装、舞い方などは同系統ではあるが、成川では匍匐拝礼型、里村では円舞歓喜型、トカラでは祈願憑霊型といった違いを見せている。これらの根底にはシャーマンである巫女の神事芸能としての特性があり、その内容はカミへの拝礼、タチドでの手振りや鈴振りに見る表現、舞殿あるいは拝殿、家での順・逆の回り方などが神がかり・神おろしが中心である。そして、内侍舞いの核心となるのは神おろしであり、内侍舞いというのはそのための神がかりをトランス状況からエクスタシー状況まで美しく芸能化して演じたものなのである。内侍舞いと内侍神楽は神がかりへのセット型プロセスであり、それらを伴う祭礼そのものが重要視されている。取り上げた3つの地域の内侍舞いは、巫女舞いの発生とその内容や神楽舞いとの関係、祭礼の在り方や意義などを実際に証明し、説明できるきわめて貴重な芸能であり、神事であると言えよう。これらは大切に保存し伝承する必要があると言わなければならない。

(8)読み替え
本稿の内容に関しては、題名にもあるように、伝統または『LIVING FOLKLORE』におけるTraditionとして扱うことができるだろう。伝統は私たちと過去をつなぐものであるということを前提に、この内侍舞いにも過去が関わっていることを述べていく。論文内にも挙げられた3つの地域による内侍舞いの違い、これはまさに過去から現在までの縦軸が重要となっている。本稿にて、トカラ→里村→成川という順で内侍舞いが伝承された、と書かれていた。トカラの内侍舞いを基盤として里村の内侍舞い、さらに成川の内侍舞いが生み出されたのであり、トカラの伝統を受けて3地域の内侍舞いはその地域独特のフォークロアとなっていったのである。


 
■板橋春夫 「トリアゲジサの伝承―出産に立ち会った男たち―」『日本民俗学』232号、2002年。

(1)著者について
板橋春夫 1954年群馬県に生まれる。民俗学者であり、博士(文芸・筑波大学)でもある。1976年に國學院大學法学部を卒業し、國學院大学文学部や慶応義塾大学文学部などの非常勤講師を務めている。2009年には第17回石川薫記念地域文化賞・研究賞を受賞。『出産』や『生死』など数多くの著書を出している。

(2)対象
 トリアゲジサ

(3)フィールド
 群馬県粕川村、新潟県湯沢町

(4)問題設定
 夫以外の男性が出産に立ち会った事例を紹介し、出産と男性の関わりを考える。また、助産分野に男性が参加する意義。

(5)方法
 聞き取り調査、文献

(6)ストーリー
 かつて助産に関わる職業の名称はトリアゲバアサン、産婆、助産婦と変わってきたが、助産に関わるのは女性のみとされてきた。しかし世の中には「トリアゲジサ」という男性産婆が存在していたことが判明した。本稿では最初に、出産の現場における男性の位置を述べ、それを前提としてのトリアゲジサの事例を2つ(群馬県粕川村の中谷金造さんと新潟県湯沢町の原沢政一郎さん)紹介する。さらに、原沢さんに赤ちゃんを取り上げてもらった人々の語りを紹介し、その傾向を見る。また原沢さんが実際に町内で行っていた民間医療を述べ、まとめに入る。

(7)結論
 2つの事例により男性産婆の存在は事実であることがわかった。これは特殊なことではなく、全国には中谷さんや原沢さんのような助産術に長けた人物がいるかもしれない。男性は出産に関わってはいけないという先入観を知ると共に、予断を許さない調査・研究の大切さをも知り得た。助産分野に男性が参加する意義は、男性自身が出産に関して考える良いきっかけになる、ということである。トリアゲジサに赤ちゃんを取り上げてもらった女性は男性に助産してもらうことに違和感を持っていなく、むしろ安心感を持っていた。しかし、現在の女性は人前で授乳することですら恥ずかしいと感じている。これは一昔前と現在の女性の大きな違いであり、この羞恥心に関する問題は今後の課題となる。

(8)読み替え
 男性産婆という非常に珍しい職業について本稿は取り上げているが、2つの事例を見てみると中谷さんには中谷さんの、原沢さんには原沢さんのライフヒストリーがある。同じトリアゲジサであるにもかかわらず、人物、地域や周りの環境などが異なるだけで、様々なフォークロアが見えてくる。


■陳玲「イエ空間の民俗的構造―富山県氷見市柿谷を事例に―」『日本民俗学』217号、1999年。

(1)著者について
 陳玲 1989年中国浙江大学国語学院(日本語専攻)卒業。民俗資料の活用、民俗文化の再生、居住空間と家族研究、山崎光子服飾コレクションの分類に関する基礎的な研究、中越地震後の山古志への「帰村」に関する民俗学的研究、中国舟山の人形芝居に関する民俗学的研究などを行っている。

(2)対象
 イエ空間と家族

(3)フィールド
 富山県氷見市柿谷

(4)問題設定
 イエ空間の民俗的構造とはどのようなものか。また、その意義は何か。

(5)方法
 文献、聞き取り調査

(6)ストーリー
 イエという言葉には家屋だけでなく、そこに居住する家族やそれが形成する家庭という内容も含む。日本の伝統的な家族生活の場としてのイエ空間には世代を越えた家族の秩序と日本人の伝統的な行動パターンが示されている。富山県氷見市柿谷のイエを事例にその入り交じった複雑な民俗事象を明らかにする。まず柿谷の地理的概要をまとめ、柿谷の中での村落事情を詳しく紹介する。村落内での伝統などを踏まえた上で形成されたイエ空間の物理的構造を述べ、人々にとってのその空間の意義を調査した。イエ空間が家長の領域、主婦の領域、先祖の領域、若夫婦の領域という4つの領域に分かれるとし、さらに相互の関係を述べる。最後に総じてイエ空間の民俗的構造を見出し、さらに意義を示す。

(7)結論
 イエ空間というのは家長の領域、主婦の領域、先祖の領域、若夫婦の領域、という4つの領域に分かれていることが事例によって明らかになった。このイエ空間の民俗的構造は永続的なものであり、これは、また個々の家族員の生活を規制しながら一定の居住様式、行動様式を作り上げようとしている。さらにそのイエ空間及び民俗的構造は日本の伝統的な家制度に基づくもので、5つの点から証明できる。①農家の間取り、②イロリとそれを囲む4つの座に対する作法や観念、③家の家長夫婦専用の寝室ナンド、④所帯を譲った家長夫婦の部屋、⑤先祖を祭る仏壇や仏間という先祖祭祀の空間、という5点が挙げられた。この普遍性のある空間を4つの領域に分けたことにより、日本の家族生活におけるさらなる諸問題解決になり得るだろう。

(8)読み替え
 イエ空間における家族の在り方などは日本全国でも共通している部分は多い。しかし、イエ空間にもフォークロアを見出すことができる。柿谷を例に見ると、信仰宗教によるフォークロアが存在しているということが言える。本稿の中で柿谷は浄土真宗の地区であることが明確にされており、ほとんどの家は2か所の寺のどちらかの門徒であるとも記されていた。これによって柿谷の家の間取りには、法事などでお坊さんが待機するボウズベヤというものが存在する。家の間取りにはその村独特の間取りというものが存在するのであり、宗教というのはイチ例ではあるが、柿谷の家には日本の家制度を基本としての、独特のフォークロアが生み出されているのだろう。