おはようございます。
先月より島村ゼミではグループ巡検がそれぞれ実施され始めました。
行き先に応じて5つのグループに別れています。
その報告を写真つきでアップデートしていきますので乞うご期待を!!
本日はその第一弾、宝山寺グループの報告です。
長いので?、?、?にわけようと思います。
グループメンバー:阿部、加藤、秦、光川、(*三木)*別グループですが、興味で参加しています。
最初に、今回の巡検に際し、参考にした文献よりフィールド先に関連する事象を簡単に箇条書きにまとめてくれたのでそちらをご覧ください。
? 宝山寺―生駒聖天―
1. 生駒聖天
・三大聖天の一つ(浅草:待乳山、讃岐:八栗山)
・大阪で水商売を始める人は必ずお参りする
・絶大な人気、カリスマ性を持つ
・象頭双身の聖天像
→秘仏=住職以外は見ることができない
→「ビヤナキヤ」≒ガネーシャ、ガナパチ≒ヒンズー教の神
=仏教を守護する善神(ネパールでは日本の地蔵と同じくらいポピュラー
物事を始めるときにお参りする
※ガネーシャはもともと人の企てを邪魔する悪神であった
→物事を始める際に邪魔が入らないようにとお参りするようになった
・なぜ双身交媾の形か?
→愛欲(煩悩)を消失し、祈願成就
愛欲(煩悩)を肯定→人間に親しみ、現世利益への願望
・ご利益
名誉、地位、財産、寿命、愛憎呪詛
(cf. 断ちもの祈願や男女問題の解決祈願、取引的性格をもつ祈願などが
書かれた絵馬が多くある)
・年間300万人の参詣者
・信徒組織
講「朝参会」、「福寿会」、「宝山会」など
2. 宝山寺周辺
・周辺には宝山寺と直接的は関係のない宗教施設が約20
・門前町
大正3年の大軌鉄道(現在の近鉄奈良線)開通とともに発展
・生駒新地
大正4年に最初の芸妓置屋ができる
→昭和5年には料理屋109軒、芸妓162名、酌婦58名、ダンサー約100名を
擁する歓楽街へと発展し、「大阪の奥座敷」と呼ばれる
? 石切神社
1. 歴史
・白鳳時代以前に穂積氏の氏族神として草創
・氏族神
↓
地域神(穂積氏以外が周辺に定住し始めた為)
↓
機能神(戦後の氏子意識の低下、宗教法人化の為)
・「デンボ(できもの)の神様」として親しまれ始めたのは江戸後期幕末頃か
→大正3年大軌鉄道開通とともに広まっていく
2. 庶民的神社
・明治時代「神仏分離令」
→国家神道に一致させ危機を乗り切る
・戦後社会的には参詣者減(戦争による神道アレルギーの為)
→石切は戦前から地域神より機能神としての性格が強かった為
参詣者はあまり減らなかった
・神道石切教
→月1「恵みの会」のみ
押し付けない宗教
? その他の施設
1. 静養院断食療養所
・寺井嵩雄氏によって創設
→病気がちで何を試しても治らなかったが、断食を試みたらすっかり治った為
・医学的な断食目指す
→「断食道場」から「断食療養所」へと改称
→医学関係の資格を取得
・現在は2人の息子によって運営
・断食の期間はだいたい25日〜1カ月(8万6千円〜10万6千円)
・減量、美容のための断食で10日や14日のものもある
・入寮中の日課のひとつ「静坐」
→般若心経と「静坐の辞」(静坐を讃える詩)を合唱
→イライラを和らげ、病気を忘れる最良の方法
2. 朝鮮寺
・神戸市、宝塚市、大阪市内、東京都内にもあるが、60もの寺の集まりが
あるのは生駒のみ
・生駒山の大阪側に多い
→交通の利便性(大阪に在日朝鮮人多い)
・賽神場
→死霊との交霊を行う
→韓国特有の民間巫俗で、仏教、キリスト教、儒教からは次元の低い呪術として
見下されている
・行場としての滝、依代としての神竿、地蔵およびその祠堂、土地神の自然木や
石塚がどの寺にもある
参考文献:『生駒の神々―現代都市の民俗宗教―』(1985)、宗教社会学の会、創元社
では、実際のフィールドレポートを?で紹介します。