関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

霊泉と不動明王ー室蘭市・天神山不動尊清瀧寺の事例ー

社会学部 3年 平江 真紀

 

【目次】

はじめに

1.天神山不動尊清瀧寺

2.霊泉の発見と再発見
 ⑴霊泉の発見

 ⑵霊泉の再発見

3.清瀧寺の建立と展開
 ⑴清瀧寺が現在に至るまで

 ⑵清瀧寺の現在

4.火と水のコスモロジー

結び

謝辞

参考文献

 

 

はじめに
 天神山不動尊清瀧寺は霊泉をもとに生まれた真言宗醍醐派の寺院である。私は北海道室蘭市で行われた社会調査実習において、この寺院について調べた。本レポートそれらの内容をまとめたものである。

 

1.天神山不動尊清瀧寺
 真言宗醍醐派 天神山不動尊清瀧寺は北海道室蘭市天神町19番25号に所在する寺院であり、市民の間では「清瀧不動尊」として親しまれている。開基者は沖本妙道師で、現在は長谷川翠芳師が住職代務を務められている。明治14年に湧き水が発見され、それが霊泉として人々に伝わり、そこに不動尊を祀ったのが清瀧寺の発祥であり、その湧き水は現在でも多くの人に利用され愛され続けている。(保健所の水質検査において飲用として合格している。) そして、清瀧寺は北海道八十八ヶ所霊場,北海道三十六不動尊霊場とされているだけでなく、四国八十八ヶ所すべての御仏像が鎮座しており、宗教宗派を問わず毎日多くの人々が参拝に訪れている。
 また、清瀧寺の各所在は以下のとおりである。天神町を通り抜ける、北海道道107号室蘭環状線の山側にまず、島木・額束などのない清瀧寺大鳥居がある。鳥居をくぐり約70~80メートルほど歩くと清瀧寺の境内に着き、石の狛犬が参道入口の両側に据え置かれている。そのまま歩き進めると左手に本堂があり、右手には丘の下に弘法大師石像、脇には慈母観世音菩薩、延命地蔵菩薩などの石仏が立ち並び、丘の道には八十八体の佛たちが静かに立っている。そしてそのまま奥へ進むと、本堂の奥の院に通ずるところに百度石(百日間の日拝を一日で参詣する場所)が建てられており、突き当たりに室蘭岳を発祥の地とする清瀧寺の霊泉がある。

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清瀧寺の位置(googlemapより)

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(写真1)清瀧寺大鳥居

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(写真2)参道入口

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(写真3)参道入口2

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(写真4)本堂玄関(きよたきのおふどうさんブログより)

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(写真5)清瀧寺八十八ヶ所霊場 御本尊

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(写真6)奥の院

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(写真7)清瀧寺の霊泉

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(写真8)清瀧寺の霊泉 看板

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(写真9)清瀧寺の霊泉 水質検査結果

 

2.霊泉の発見と再発見
⑴霊泉の発見
 明治14年10月のある日、旧仙台藩角田領石川家家中で同郷の3名(高橋要吉,島田平三郎,浅川亀之助)が栗拾いに出かけ、道路を外れて雑草やクマ笹を掻き分け進むうちに小さな沢を見つけ、上流を辿ると小さな瀧に至った。
 当時の生活では、薪の煙で眼を傷めることが多々あったのだが、たまたま同地居住で眼病に悩んでいた高橋辰之助(栄作)がこれを聞きつけ、眼病治癒の為に湧き出る浄水で目の洗浄に通い勉め、ついに治癒した。
 大変喜んだ高橋辰之助(栄作)は長年信仰していた不動尊を自ら刻み、その清らかな小瀧に祀った。(この時の不動明王碑は奥の院に現存している。)
⑵ 霊泉の再発見
 その後時は流れ、大正5年のある夜、母恋在住の行者であった沖本妙道師(のちに開基住職となる人物)が夢のお告げで、東方の山に湧き出る霊水の場所を知らされた。霊水の湧き出る小瀧にたどり着いた沖本妙道師は、そこを修験道場と定め、京都より不動尊像を迎え、簡素な建物(囲炉裏)を建て弟子の養成にあたり、信者や行者をもつようになった。

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(写真10)清瀧不動明王碑 高橋栄作刻 明治14年 (きよたきのおふどうさんブログより)

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(写真11) 清瀧不動明王碑 大正9年8月15日

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(写真12)[1]が高橋栄作氏が自ら刻んだ"不動明王碑"、[ 2 ]は後年に設置された"清瀧不動明王碑"(きよたきのおふどうさんブログより)

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(写真13)開基住職 沖本妙道師

 

3.清瀧寺の建立と展開
⑴清瀧寺が現在に至るまで
 その後、篤き篤志家であった中田仁三郎翁(初代主管)の力により現在の本堂が建立されたのだが、昭和18年 太平洋戦争中で神社および佛閣は、宗教団体法(昭和十四年法律七九号)により、国家の保護と統制を受けなければならず、宗教法人として千葉県成田山不動院に所属し、成田山清瀧寺として独立した。この年に、中田仁三郎翁は、室蘭へ移住後、家業の業績も好調に推移したことを日頃信仰の不動尊の御利益によるものと考え、奥の院の御堂や玉石垣並びに霊水池の新設設備をし、成田山より不動明王像を迎え、当寺に奉納安置をされた。だが、昭和22年、太平洋戦争後には、新憲法のもとで法律も変わり、宗教の自由が原則保障され、宗教関係の規則の改廃になったため、従前の天神山清瀧寺として旧に復し独立することとなった。
 昭和29年には山内に、四国八十八箇所を模し、札所1番「霊山寺」釈迦如来像が建立奉納された(昭和54年に札所88番「大窪寺」薬師如来像が建立され、八十八箇所すべての御仏像が安置された)。そして昭和30年3月、旧地名は山城宇治の古義真言宗醍醐寺派に所属し天神山不動尊清瀧寺として再発足し今日に至っている。
⑵清瀧寺の現在
 清瀧寺は現在まで初代主管である中田仁三郎翁の子孫らが総代として続いてきたが、次の後継者はいない状態である。そして、初代住職の中田妙純師は初代主管の中田仁三郎翁の子だが、その後の住職は1代限りで選ばれており、決して世襲制ではない。そのため、今後の住職も未定であり、その都度その時々で繋いでいる。
 清瀧寺の大きな特徴は信者の寄付で成り立っており、皆で協力して大きくしてきた寺であるということだ。本堂には、壁一面に寄付者の名が記してある木札が掲げてあり、いかに多くの人々が清瀧寺を支えてきたのかということが一目で窺うことができる。清瀧寺は檀家のいない、信者で成り立っている寺なのである。

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(写真14)歴代主管と院代

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(写真15)初代住職と歴代院代

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(写真16)歴代住職

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(写真17) 本堂 御本尊・お不動様

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(写真18)本堂 御本尊・お不動様 2

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(写真19)寄進者芳名表

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(写真20)寄進者芳名表2

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(写真21)寄進者名簿(本堂外)

 


4.火と水のコスモロジー
 清瀧寺は不動明王を祀る寺であり、みなから「お不動さん」と親しまれる不動尊は火の神である。悪を働く者を懲らしめ、神仏の方へ抜けるよう働きかけてくれ、どんなに悪い者でも救ってくれる、力を貸してくれる、そんな存在であるという。鉄のまちとも呼ばれる室蘭には製鉄・製鋼の工場があり、"火"を扱うことが多いことも、不動尊が長年にわたり慕われている理由のひとつであると考えられる。流れ出る湧き水や、岩はだを伝い落ちる清水のところには、諸刃の不動尊の剣が数本たてかけられているのであるが、この剣も不動信仰を示すものである。そのため日本製鉄などの火を日常的につかう方々をはじめとして、火の神である不動尊の剣を奉納される方が多いのだという。(本堂にもたくさん納められている。) たてかけられた不動尊の剣は御神水である、清瀧寺の霊水を守っているのだ。そして、霊水のとなりには龍神様が祀られている。龍神は不動尊のつかいであり、水のあるところに住むとされている。
 住職代務である長谷川翠芳師は「水が清いところには山があり、水があるところには不動明王や龍神がいらっしゃって(大日如来の分身として水があるところには不動明王がいる)、守られている。」と話された。また、「湧き水の空間にいるといろいろなものが離れていくような気持ちがしてすっきりし、自分が持っている嫌なものを落とすことができ、パワー(元気や気)がもらえる。水は浄化する力を持っており、手を洗うこと,洗濯することなどのいろんなものが自然と厄払いになっている。自分が元気でいい気を持っていろんな人たちといい出会いをするためにはその出会いを全て受け入れてくれるような自分でいないといけないため、悪いものは全て落とした方がいい。お水の力はすごい。」と続けられ、清瀧寺における火(不動尊)と水(霊泉)の関係性が窺われた。

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(写真22)不動尊の剣

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(写真23)不動尊の剣2

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(写真24)湧き水(霊泉)と不動尊の剣

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(写真25)清瀧不動明王

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(写真26)龍神様



-結び-
 清瀧不動尊は霊泉をもとに生まれ、檀家はいないが、信者や地域の者など皆に親しまれ守られてきた寺である。その背景として鉄鋼で栄えた室蘭と火の神である不動明王の関係性、地域の者の生活の一部となって愛されている室蘭岳からの湧き水が挙げられる。室蘭という北の地で、なかなか四国をまわれない者のために四国八十八箇所を模し、どの宗派の者でも受け入れ、みなの心の拠り所として存在する清瀧寺と、清瀧寺を守るために度々寄付でそのご恩を返す人々は互助的な関係性を持っていると私は考える。

 

-謝辞-
 今回の調査にあたり、清瀧不動尊の方々には大変お世話になりました。特に現在、住職代務を務められている長谷川翠芳さんには三日間に渡りインタビュー調査をさせていただき、貴重なお話を聞かせていただきました。そしてその中で私自身の心も和やかにそして清らかになっていくのを感じました。ぜひまた訪れたいと思っています。本当にありがとうございました。

 

-参考文献-
・室蘭地方史研究会,1999,『茂呂欄-室蘭地方史研究33号-』.

・きよたきのおふどうさん(室蘭市天神山不動尊清瀧寺ブログ)

http://blog.livedoor.jp/hanamaru_1/,2019年9月26日にアクセス)