関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

湖水伝承の創生と伝承―神戸市淡河の事例―

湖水伝承の創生と伝承―神戸市淡河の事例―
吉村 歩

【要旨】
本研究は、全国各地に存在する、かつて街全体が湖の底であったという言い伝え、湖水伝承について、神戸市北区淡河をフィールドに実地調査を行うことで、湖水伝承の成り立ちとその伝承の経緯を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

1、 全国の湖水伝承を類型化した結果、各地の伝承には共通点や、地域による特徴が見られる。
2、 一般的な湖水伝承は、稲作の伝来や渡来人の歴史を伝えたものであるとする、先行研究における指摘が、淡河の地においても成り立っている。
3、 遺跡や地質などの調査結果と照合したところ、長く語り継がれてきた淡河湖水伝承は科学的見解と矛盾し、淡河に湖水が存在したとは到底考えられない。一方で、淡河の土地の形状から、耕作地を確保するためには、当時としては高い技術を導入して開拓がなされたことが考えられる。そのことが、湖水伝承創生のきっかけになったのではいかと考えられる。
4、 淡河湖水伝承は寺社の発展に大きく関連しており、淡河の神社に残された文書から推定するに、寺社縁起として湖水伝承が創生され、一般に伝えられるようになったと考えることが出来る。

【目次】
序章 ――――――――――――――――――――――――――――――1
 はじめに............................1
 第1節 研究史と問題の所存...................2
  (1)科学的見解への疑問 2
  (2)伝説の背景 4
  (3)問題の所存 7
 第2節 各地の湖水伝承.....................8

第1章 淡河の歴史と地形―――――――――――――――――――――13
 第1節 古代の淡河.......................13
 第2節 中世の淡河.......................14
 第3節 淡河の地形.......................15

第2章 淡河の湖水伝承――――――――――――――――――――――19
 第1節 丹生山と百済人.....................19
 第2節 「淡河湖」の開拓....................21
 第3節 古来の地名と「淡河湖」の範囲..............22
 第4節 地質と遺跡から見る湖水伝承...............25
      
第3章 湖水伝承の創生――――――――――――――――――――――29
 第1節 湖水伝承の創生.....................29
 第2節 伝承と寺社縁起.....................29
 第3節 略縁起の流行と変容...................32
 第4節 「つくられた」湖水伝承.................33

結語―――――――――――――――――――――――――――――――37

図版資料―――――――――――――――――――――――――――――39

文献一覧―――――――――――――――――――――――――――――51

【本文写真から】


写真1 かつて湖であったと伝わる神戸市淡河。北部の愛宕山から撮影。


写真2 丹生神社(かつての丹生山明要寺)。百済人が開山したと伝えられ、さらに「淡河湖」の開拓にも百済人が関わったと伝わる。


写真3 淡河町勝雄舟ヶ崎。かつて淡河が湖だった頃、この地は舟の発着場であったと伝わる。淡河には、湖時代を伝える地名が数多く存在するのである。


写真4 淡河八幡神社。湖水伝承を伝える文書が残されており、湖水伝承の創生と深く関わっているのではないかと考える。




【謝辞】
フィールドワークの際は、多くの方々に聴き取り調査にご協力いただいた。八幡神社宮司の足利国紀氏には、八幡神社に関する情報の丁寧なご指導と共に、資料をご提供いただいた。神戸市こども家庭センター学習指導員の田中收氏には好徳小学校校長時代の研究資料をもとに、湖水伝承について貴重な資料と研究方法のご指導を賜った。科学的な観点については、神戸市教育委員会文化財課の安田滋氏に公務の合間を縫って、遺跡や地質に関して全くの素人である筆者に丁寧に教えていただいた。また、神戸市淡河連絡所、淡河福祉センターには資料の提供をしていただいた。その他多くの淡河町の方々に、湖水伝承の聴き取りを快く引き受けてもらった。改めて、ご協力いただいた方々に、深くお礼を申し上げる。