関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

白山修験と川上御前―越前市五箇における「神仏分離」と歴史の解釈―


山内鳳将

 

【要旨】

本研究は、大瀧神社・岡太神社における神仏分離後の信仰と神事について、越前市五箇地区をフィールドに実地調査を行うことで、現地におけるその歴史の解釈を明らかにしたものである。本論文で明らかになったのは以下の点である。

 

1. 明治以前には長らく大瀧児権現としての時代が続いた。岡太神社は「延喜式神名帳」に今立郡十四座の一座として記載されている「岡太神社」にその起源を求める。当時の所在について明確な根拠はないものの、今立であり、なおかつ川上という伝承等の状況証拠を組み合わせると現在の大瀧神社・岡太神社のあたりにその所在を求める事にも整合性がある。岡本神社が鎮座する権現山が泰澄によって開山され、この地に白山信仰が覆いかぶさるように浸透していき、大瀧児権現の勢力が拡大していく一方、岡太神社の勢いは相対的に縮小していったと言える。岡太神社の氏子の範囲は主に五箇だったのに対し、大瀧児権現が信仰を集めたのはより広範囲であったからである。延元二年に足利軍による社殿回禄の後、岡太神社は大瀧児権現の奥の院相殿となる。次に天正三年の織田信長による一山焼失を受け、その再建後岡太神社は大瀧児権現の境内摂社となる。天保14年に下宮本拝殿が建立され、境内は現在の形になった。

 

2. 明治の神仏分離令により、大瀧児権現は「大瀧神社」へと改称をせまられた。岡太神社はそれまで境内社という扱いであり、神社の格という意味では大瀧神社が上であると言えるが、紙漉きの郷・五箇地区において紙祖神を祀る岡太神社は信仰を集めていたため「大瀧神社・岡太神社」と併記されるようになったとされている。

 

3. 昭和期には岡太神社が前面に押し出されるようになった。明治以降、神仏分離によって寺領を失い、神社を維持するための資金が十分で無くなっていた。一方で、大正十二年には大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀されたことで、川上御前、すなわち岡太神社が紙の鎮守神であることは全国的な認識となっていた。その知名度を生かし、「氏子」を拡大していったのが明治から昭和期に当たる。また、観光資源としても地域の和紙産業と密接な岡太神社は重要であり、対外的な意味合いで岡太神社はその存在感を強めていった。

 

4. 岡太神社に祀られている紙祖神である川上御前は、村人に紙漉きを教えたという伝説とともに知られている。この伝説に関して、古くは「地主の神」「岡太神社の祭神・水波能売命」が姿を変え出現したものであるという記述が多く見られる。また、他にも紙漉き伝来の伝説は存在するという記述もあるのだが、現在現地で語られる伝説は川上御前の伝説のみである。なおかつ地主の神、水神が姿を変えたという部分はなく、「川上御前」の存在を語るものに一本化されている。また、岡太神社の祭神も「水波能売命・天水分神」ではなく、川上御前となっており、祭神が姿を変えるというプロセスが消滅し、その結果である川上御前のみが力を持ったと言える。

 

5. 昭和期に岡太神社、川上御前が前面に押し出され、全国的な知名度を獲得したが、昭和59年に「大滝神社本殿及び拝殿」が重要文化財に指定されたことを1つの契機として白山信仰、すなわち大瀧児権現への「小回帰」が起きた。神仏分離以前は白山修験の一大拠点として栄えたにもかかわらず、制度上の外的圧力によって姿を変えざるを得なかったという現地の人々にとってはある種不本意ともいえる歴史がある。当然岡太神社もこの地域の土地神であり、主に紙漉きに携わる人々の信仰を古くから集めた神社であるが、これまでの歴史を鑑みると明治以降の在り方というのはイレギュラーなものであると言える。この歪さを軌道修正する動きが重要文化財指定、並びに竣工奉祝大祭をきっかけに起った。具体的には、神仏分離を期に中止せざるを得なかった法華八講や湯立てといった、大瀧児権現時代の年中行事を大祭で再現、復興するという動きである。しかし、これは岡太神社が後退するというものではなく、紙能舞・紙神楽といった行事も追加されており、祭り自体を再現する際に想定した「原点」に回帰させる意味合いが強い。

 

6. 長い年月を経て現在の形に至った大瀧神社・岡太神社にまつわる事象であるが、その多くは古くからの形を保っていることをその特徴の1つとしている。確かにそのような側面はあるものの、事実として主に外的要因による様々な変化を経た形であり、少なくとも神仏分離を期に大きく形を変えたからこそ、「小回帰」は起こったとも捉えられる。紙漉き産業を含め、明確にその歴史をさかのぼり切れないからこそ、その伝統をより強固に理解するために「必要とされる過去」が表層に浮かび上がっていると言える。

 


【目次】

 

序章

    第一節 問題の所在
    第二節 大瀧神社と岡太神社

 

第一章 神仏分離以前

    第一節 大瀧児権現と白山信仰
     (1) 白山信仰
     (2) 権現山の開山
     (3) 小白山
     (4) 宗教都市としての五箇
    第二節 岡太神社と川上御前
     (1) 岡太神社
     (2) 紙漉き伝来
     (3) 水分の神と川上御前

 

第二章 神仏分離以後

     第一節 大瀧児権現から大瀧神社へ
     (1) 神仏分離令と廃仏毀釈
     (2) 神社化
     (3) 祭りの変化
  第二節 岡太神社の台頭
   (1) 岡太神社の分祀
   (2) 越前和紙の全国進出
   (3) 「氏子」の拡張

 

第三章 文化財指定と祭りの再編

   第一節 大瀧神社の文化財指定
   第二節 祭りの再編
   (1) 法華八講・湯立ての復活
   (2) 紙能舞・紙神楽の創出
   第三節 白山修験と川上御前

 

結語

文献一覧

謝辞

 


【本文写真から】

f:id:shimamukwansei:20200112221422j:plain

写真1 大瀧神社・岡太神社の鳥居

f:id:shimamukwansei:20200112221608j:plain

写真2 下宮本拝殿

f:id:shimamukwansei:20200112222404j:plain

写真3 十一面観音坐像

f:id:shimamukwansei:20200112222724j:plain

写真4 大瀧神社奥の院本殿

f:id:shimamukwansei:20200112222834j:plain

写真5 岡太神社奥の院本殿

f:id:shimamukwansei:20200112222938j:plain

写真6 川上御前伝説の看板


【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、大変多くの方々にご協力いただきました。
 お忙しい所、貴重なお話をお聞かせいただき、多くの資料を提供いただきました、大瀧神社・岡太神社宮司の上島晃智氏、岡太講会長の石川満夫氏、和紙の里三館館長の川崎博氏。また、町で聞き取りに応じて頂いたり、紙漉きを見せて頂いたりと、本当に多くの方々にご協力いただきました。
 皆様のご協力がなければ本論文は完成しませんでした。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。