関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

下肥舟運をめぐる民俗誌―寝屋川流域 大東市旧南郷村の事例―

下肥舟運をめぐる民俗誌―寝屋川流域 大東市南郷村の事例―

山本香奈

【要旨】
 本研究は、寝屋川中流域に位置する大阪府大東市南郷村をフィールドに実地調査を行うことで、かつて存在した下肥舟運と下肥をめぐる生活のあり方や、時代変化に伴う下肥舟運の変遷について解明したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

1.フィールドである大東市南郷村では、村内に水路が張り巡らされており、昭和30年代までは三枚板と呼ばれる小型の船が生活には欠かせなかった。また農家にとって下肥は必要不可欠な肥料であり、農家の人びとは三枚板を用い、寝屋川を通じて大阪市内に下肥の汲み取りに出かけていた。

2.農家の生活に密着した下肥であるが、その下肥を売買する専門業者も存在していた。それが下肥屋である。下肥屋による下肥運搬には、専用船である肥船が用いられた。本研究のフィールドである旧南郷村のなかの氷野地区では、井上家と植田家といった2軒の下肥屋の存在が明らかになった。

3.下肥需要があってこそ成立する下肥屋であり、昭和30年頃からは下肥需要の減少とともに下肥屋の経営も不安定になってくる。こうした時代変化に伴い、下肥屋は今までのノウハウを生かし、汲み取り業へと変遷していくこととなる。その変遷の過程で、いくつかの下肥屋が事業の存続のために結集し、1つの汲み取り業者を設立させるという動きも見られた。

4.汲み取り業は汚い仕事というイメージがつきまとい、従業員の確保には苦労したが、高給という理由で生活に困った百姓が兼業として汲み取り業につくことがあった。

5.汲み取りは次第に行政による介入が始まり、汲み取り業者は市に委託される形で汲み取りを続けるようになった。

6.下水道の普及が始まると、汲み取りの需要は急速に減少し、汲み取り業者の数も減少していくが、下水道事業を始めるなどうまく変遷した汲み取り業者も存在した。

7.現在でも汲み取りを必要とする家庭はわずかながら存在し、下肥屋の名残を残す汲み取り業者が、古くからの慣習的な関係を大切にして汲み取りを続けている。


【目次】

序章――――――――――――――――――――――― 2
 第1節 問題の所在------------------------------ 2
 第2節 下肥とは何か---------------------------- 3
 第3節 寝屋川舟運------------------------------ 4
 第4節 フィールドとしての大東市南郷村-------- 7

第1章 三枚板と下肥――――――――――――――― 11
 第1節 三枚板を用いた生活---------------------- 11
 第2節 三枚板での下肥運搬---------------------- 19

第2章 下肥屋と肥船――――――――――――――― 23
 第1節 下肥屋---------------------------------- 23
 第2節 肥船での下肥運搬------------------------ 29

第3章 汲み取り事業化と行政との関わり―――――― 33
 第1節 汲み取り事業化-------------------------- 33
 第2節 汲み取りをする人------------------------ 34
 第3節 市による管轄---------------------------- 36

結語――――――――――――――――――――――― 41

文献一覧――――――――――――――――――――― 42


【本文写真から】

三枚板を用いた生活の様子。


汲み取り業者の汲み取り作業員たちと、汲み取りのトラック。


現在も残る、汲み取り業者のバキュームカー


【謝辞】
 多くの方々のご協力により、本研究を進めることができ、本論文を完成させるに至った。自宅に招いてお話しして下さり、資料や写真を提供して下さった田中保雄氏、樋上義一氏、橋本正光氏をはじめ、大東市南郷村の方々には大変お世話になった。この場を借りて、ご協力して下さったすべての方に、深くお礼申し上げたい。