関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

港湾民俗誌―大阪港の海人たち―

港湾民俗誌―大阪港の海人たち―

坂口奈々

【要旨】
本研究は、大阪港をフィールドとし、沖仲士(船内で働く港湾労働者)、鳶仲士(木材を扱う港湾労働者)、はしけ水上生活者、沖売り(行商船)、から聞き取りを行い、1960年代の港湾独自のくらしや文化を調査したものである。本研究で明らかになった点は、以下のとおりである。



1.1960年代頃までの港湾は、港湾ならではの労働者で溢れ、活気に満ちていた。同業ごとゆるやかな集住や住み分けが見受けられ、大阪港においては、外国人船員が沖待ちのために利用したバーやホテルの集まる地区、沖仲仕の寮や飯場が集まった地区、港湾局や船員などの裕福層の住んだ地区、はしけ労働者が水上生活をし、地図にない街と呼ばれた地区、潜水夫が多く住んだ地区、漁師が集住した地区、鳶仲仕が多く住んだ地区などが存在した。


2.港湾の仕事は天候や潮の干満に左右された。そのため多くの日雇労働者が必要であり、雇用人数の波動性が激しかった。そのため人員を斡旋する下請業者があり、築港の一部の地区には飯場が多く存在した。


3.沖仲仕の労働環境は厳しく、序列がはっきりしており、日雇労働者たちは虐げられてきた。労働環境の厳しさから1965年に港湾労働法が施行され、飯場制度や日雇が原則禁止となり、日雇労働者は登録制となった。翌年からはあいりん地区からのバス輸送が開始された。港湾労働法による労働環境の改善、また、コンテナの導入による近代化で、日雇労働者たちは徐々に減少していく。


4.鳶仲仕は、外国から輸入された丸太をいかだに組む技術職であった。拠点は戦前から大正区小林周辺であったが、1960年代には徐々に住之江区平林周辺へ移動した。戦後23社あった鳶仲仕の業社も、近代化により、いかだを組む作業がなくなったので多くが廃業していった。製材された商品を扱う免許を持つ会社のみが現在でも数社残っている。


5.はしけは、頻繁に移動を伴う仕事であったため水上生活を送る船頭、家族が多く、「市街地図にない」はしけ水上生活者のたまり場が存在した。1960年代にはコンテナの導入により、はしけ数は大きく減少、さらに港湾労働法で水上生活が禁止され、はしけ水上生活者たちはオカ上がりし、その子どもたちの多くは別の職業に就いた。現在のはしけのたまり場にははしけが数隻見られたが、はしけに代わるトラックが多く見られた。


6.沖売りは、客船や貨物船、はしけ水上生活者を販売対象とし、野菜、漬物、魚、パン、餅、シャツ、たばこ、花札など様々な食品、日用雑貨を中央市場や本町から仕入れ販売していた。コンテナの導入により1960年代に姿を消していった。


7.沖仲仕、鳶仲仕、はしけ船頭などの港湾労働者には、花札などの共通した娯楽が見られた。しかし、「沖待ち」を利用して生まれたその文化は、「沖待ち」の消滅によりなくなっていく。現在の大阪港は当時とは大きく姿を変えたが、今でも随所に当時の名残が見られる。




【目次】
序章 問題の所在―――――――――――――――――――――――――――─―1
第1章 沖仲仕(人夫さん)―――――――――――――――――――――─――3
 第1節 沖仲仕の実態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3
  (1)沖仲仕とは‥‥‥‥‥‥‥3
  (2)大阪港の船内荷役体制‥‥4
  (3)日雇労働者‥‥‥‥‥‥‥5
 第2節 沖仲士の荷役‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥8
  (1)船内荷役‥‥‥‥‥‥‥‥8
  (2)取り扱った貨物‥‥‥‥‥8
  (3)労働環境‥‥‥‥‥‥‥‥9
 第3節 沖仲仕のくらし‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥11
  (1)飯場‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥11
  (2)賃金‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥11
  (3)銭湯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥13
  (4)行きつけの店‥‥‥‥‥‥14
  (3)娯楽‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥16
 第4節 近代化‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥18

 第2章 鳶仲仕(いかだやさん)―――――――――――――――――――─29
 第1節 鳶仲仕の実態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29
  (1)鳶仲仕とは‥‥‥‥‥‥‥29
  (3)大阪港の鳶仲仕‥‥‥‥‥29
 第2節 仕事の内容‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31
  (1)船内荷役‥‥‥‥‥‥‥‥32
  (2)いかだ組み‥‥‥‥‥‥‥32
  (3)貯木場へ‥‥‥‥‥‥‥‥33
  (4)寸検‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥34
  (5)防虫‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥34
  (6)選木と配達‥‥‥‥‥‥‥34
 第3節 鳶仲仕のくらし‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥35
  (1)賃金‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥35
  (2)寮ぐらし‥‥‥‥‥‥‥‥35
  (3)カイ船‥‥‥‥‥‥‥‥‥36
  (4)服装‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥36
  (5)天神祭‥‥‥‥‥‥‥‥‥36
  (6)木挽歌‥‥‥‥‥‥‥‥‥37
 第4節 近代化‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥38

第3章 はしけ水上生活者―――――――――――――――――――――――─49
 第1節 はしけ水上生活者の実態‥‥‥‥‥‥49
  (1)はしけとは‥‥‥‥‥‥‥49
  (2)はしけ数の変遷‥‥‥‥‥50
  (3)出身地と働く‥‥‥‥‥‥52
 第2節 仕事の内容‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥53
  (1)はしけ船頭の荷役‥‥‥‥53
  (2)移動範囲‥‥‥‥‥‥‥‥54
 第3節 水上でのくらし‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥54
  (1)日常生活‥‥‥‥‥‥‥‥54
  (2)行事‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥57
  (3)子どもたちのくらし‥‥‥58
 第4節 近代化とオカ上がり‥‥‥‥‥‥‥‥61
  (1)近代化‥‥‥‥‥‥‥‥‥62
  (2)オカ上がり‥‥‥‥‥‥‥62

第4章 沖売り(うろさん)―――――――――――――――――――――――77
 第1節 沖売りとの実態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥77
  (1)沖売りとは‥‥‥‥‥‥‥77
  (2)沖売りのネットワーク‥‥78
第2節 仕事の内容‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥78
  (1)顧客‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥78
  (2)商品‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥79
  (3)行商範囲と時間‥‥‥‥‥80
 第3節 沖売りのオカ上がり‥‥‥‥‥‥‥‥80

結語―――――――――――――――――――――――─――――――――――84
文献一覧―――――――――――――――――――─――――――――――――84


【本文写真から】

木材を積んだ本船(1960年代撮影)

現在の平林地区の様子

本船からはしけへ荷を下ろす様子

当時はしけ溜まりであった現在の第3突堤


【謝辞】
本論文は多くの方々のご協力なしでは完成させることができませんでした。論文構想段階からご教示いただいた田野登先生、お忙しい中、快く長時間のインタビューにも応じてくださった東氏、有田氏、岡田氏、川西氏、神野氏、新屋氏、田中氏、津田氏、西氏、半野田氏、福田氏、山崎氏をはじめ、大阪市港湾局、みなとQ、港振興協会、ご協力いただいた大阪港周辺の住民の方々に深くお礼申しあげます。