関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

水上市場の民俗誌ー大和高田市・池ノ側公設市場の事例ー

坂口一馬

【要旨】
 本研究は奈良県大和高田市をフィールドに調査を行い、池ノ側公設市場について記述したものである。
本研究では1996年に取り壊されるまでの池ノ側公設市場の発展と消滅について明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は以下のとおりである。


1.大和高田市は繊維業を中心に栄えており、1950年代には付近に10の商店街が存在するなど、「商都・高田」として非常に栄えていた。

2.大和高田市の商店街の中でも特に賑わったのが天神橋筋商店街であり、非常に人通りも多く、「奈良県の心斎橋」と呼ばれるほどであった。

3.天神橋筋商店街に隣接していたのが池ノ側公設市場であり、その歴史は1927年にまで遡る。同市場の東側の店舗は馬冷池という池の上に建てられており、現在では埋め立てられておりその様子は知ることが出来ない。また主に食料品を扱う店舗が多く、大日本紡績に勤める女工の方たちが良く来られていたという。

4.1945年以降、池ノ側公設市場の北側の数店舗が闇市として商売をしていたが、1950年代に入るとこれらの闇市が同市場とつながり、一体化するようになった。

5.池ノ側公設市場が最も栄えたのは1970年代で天神橋筋商店街とともに商都・高田を支えるものとなった。

6.1976年に天神橋筋商店街からスーパーニチイが移転したこと、1977年の大日本紡績の高田工場が撤退したことをきっかけに徐々に池ノ側公設市場の人通りが少なくなっていき、1980年代半ばには営業している店はほとんどなくなり、市場としての機能は失っていた。

7.1996年に付近に大和高田さざんかホールが建設されるにあたって、馬冷池を埋めることになり、その影響で池ノ側公設市場の東側の店舗はほとんど立ち退くことになり、それに伴いアーケードもなくなった。そして市場は完全になくなり、現在のような形になった。

【目 次】

序章  ―――――――――――  3

はじめに・・・・・・・・・・・・・4

第1章 花内川と馬冷池 ――――――――――― 9

第2章 池ノ側公設市場 ――――――――――― 21

第3章 池ノ側公設市場の消滅 ――――――――――― 37

結語 ―――――――――――――――――――― 43

文献一覧 ―――――――――――――――――――― 45


【本文写真から】


北端から見た池ノ側公設市場の跡地

現在の天神橋筋商店街

1950年代の池ノ側公設市場 『目で見る大和高田・御所・香芝・葛城の100年』野堀正雄 2006:114

1984年の池ノ側公設市場 *藤田昌弘氏提供

1996年の池ノ側公設市場 *藤田昌弘氏提供

【謝辞】
本論文を執筆するにあたって天神橋筋商店街の方、当時の池ノ側公設市場の様子を知る方、付近の様々な情報をくださった方など、本当に様々な方々にご協力いただきました。皆様のご協力なしには本論文の執筆には至りませんでした。
心より感謝申し上げます。