関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

女工のまち―加古川 寺家町・本町民俗誌―

女工のまち―加古川 寺家町・本町民俗誌―
比良 真実子


【要旨】
 本研究は日本毛織の創業工場がある、寺家町・本町を中心とした兵庫県加古川市をフィールドに、女工のくらし、周辺商店街との関わり、住民側の女工の記憶を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点はつぎのとおりである。

1.寺家町および本町の中心部には山陽道が通っており、古くから宿場町として繁栄しており、旅籠屋、茶屋などができた。宿場町の最盛期は江戸時代の参勤交替制の時で、寺家町に本陣が置かれるなど整備が進められた。現在でも脇本陣跡がじけまち商店街にある人形販売店、陣屋の横にある。さらにこの地では他の商工業も発達した。

2.日本毛織加古川の水質・水量の良さ、山陽鉄道の便の良さなどの要因から明治32年加古川工場を建設、その後第6工場まで増設した。さらに大正8年には加古川工場対岸に印南工場を建設した。これらに付随して社宅や外国人向け宿舎、寄宿舎などが建てられた。現在も本町に当時の幹部向け社宅が残っている。

3.昭和30年から40年代の最盛期には総勢2000人もの従業員がこの寺家町・本町などの周辺の商店に詰めかけた。

4.この賑わいから、周辺の市から商売人や女工目当ての男性などが来て寺家町・本町はさらなる賑わいとなった。特に年末の大売り出しである誓文払いでは、向かいの商店への移動が困難になるほど人が集まった。

5.寺家町・本町の商店街では、「女工さんセット」を売る商店、年末の帰省前に来店した、若くして田舎から出て苦労しているような女工に対して「ええかげんな値段」で対応する理髪店など独自の文化が発展した。

6.昭和51年に日本毛織加古川工場の操業を完全に停止させ、59年跡地に「ニッケパークタウン」という名の大型の商業施設をオープンさせた。周辺の商店街は空き店舗が増え、かつての賑わいはもうない。


【目次】
序章 問題の所在――――――――――――――――――――――――――――1
第1節 加古川市の概況・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
第2節 日本毛織・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
第1章 ニッケ以前―――――――――――――――――――――――――――9
第1節 古代の加古川宿・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
第2節 近世の加古川宿・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
第3節 ニッケ以前の近代加古川・・・・・・・・・・・・・・14
(1) 山陽鉄道開通 14
(2) 稲岡商会 15
第2章 ニッケ以後――――――――――――――――――――――――――18
第1節 ニッケと加古川・・・・・・・・・・・・・・・・・・19
第2節 周辺商店の語り・・・・・・・・・・・・・・・・・・24
 (1) じけまち商店街 25
 (2) 本町 29
 (3) 検番筋 29
 (4) ベルデモール加古川 30
第3章 女工のくらし―――――――――――――――――――――――――50
第1節 Aさん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51
(1) 仕事 51
(2) 暮らし 52
第2節 Bさん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55
(1) 仕事 55
(2) 暮らし 56
結語―――――――――――――――――――――――――――――――――60
参考文献・URL一覧―――――――――――――――――――――――――63


【本文写真から】



写真1 寺家町



写真2 本町



写真3 戦後の寺家町(JR加古川駅高架下より)



写真4 加古川工場跡のニッケパークタウン


【謝辞】
 本論文の研究に関して、さまざまな方たちにご協力いただきました。まず長時間のインタビューに応じてくださったA氏、B氏、突然の加古川社宅見学のお願いにも応じてくださった日本毛織加古川事務所の白崎元英所長、不動産事業部の片岡誠氏、聞き取り調査及び資料の提供にご協力いただいたじけまち商店街、本町、ベルデモール加古川の商店をはじめとする加古川市の方々、女工経験者を一緒に探してくださった加古川観光協会の方々、その他本当にたくさんの方々にご協力頂きました。心からお礼申し上げます。