関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

商いの消長 ―豊中市服部にみる地域の変貌と商業の展開―

藪下華奈

 

【要旨】

本研究は、豊中市服部をフィールドに、この地で商いを展開してきた半田修二氏と上芝茂樹氏の2人のライフヒストリーをとりあげ、これを時代とともに変化する服部の町の様子と照らし合わせて解明したものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

 

 ①半田家は、先祖代々百姓だったが、戦前に与吉氏が周りに住む親族に田を任せ、商いを始めたことから修二氏の代まで商いが続いてきた。

 

②戦後、酒を売る免許の再申請が求められ、周りのほとんどの酒店が排除されたが、与吉氏と息子の喜一氏が経営していた「半田酒店」は、売り上げが安定していたため、商いを継続できた。昭和44年には、修二氏が新たに「半田屋」を服部阪急商店街に開業した。この頃、多くの文化住宅やアパートなどが周辺に建てられ、人口が増加しており、商店街を訪れる客数も年々増えていった。「半田屋」の売り上げも右肩上がりとなった。

 

③修二氏は、喜一氏とともに昭和56年に「株式会社 半田喜一」を設立し、酒店の店舗を増やしたり、飲食店、マンション、スーパーなどの経営も始めた。マンションやスーパーなどは、昭和後期から平成初期にかけて特に流行していたため、修二氏も始めてみようと決意したのであった。多くの事業を展開させてきたが、阪神淡路大震災によるスーパーの倒壊を契機に、「半田屋」に専念することにした。

 

④修二氏は、「半田屋」を営業しながら、売り上げを継続することと服部に貢献したいという思いでさまざまな会の役割も担当した。しかし、平成に入ってから、空港騒音問題を要因とする文化住宅などの立ち退きによる人口減少や、スーパーやコンビニなどの進出によって、売り上げは減少した。「半田屋」は平成21年に閉店し、「株式会社 半田喜一」も現在はもうない。しかし、修二氏を知る人は多く、服部の町づくりや、商店街について現在も相談を受けることがある。

 

⑤上芝家の商いは、定次郎氏が服部で商いを始め、その後、常一氏と百合子氏の夫妻が昭和25年に服部天神駅前で「のせや」といううどん屋を開業したことに始まる。その後、親族のなかに服部天神駅周辺で店をはじめる者が現われるようになった。

 

⑥「のせや」を開店した当時、周りに同業者はおらず、隣町からの出前注文も受けていたこともあり、売り上げが安定していた。昭和36年には、駅から徒歩5分圏内の土地を買い、「孔雀荘園」という文化住宅を建て、経営を始めた。

 

⑦昭和30年代前半に一族も駅前で商いを始めた。上芝家の親族たちの店はすべて、駅前に密集して建っていたため、店が混みあったり、仕込みが間に合わない際などは互いに助け合っていた。

 

⑧常一氏は、昭和39年に「喫茶店 ピーコック」を開業した。この頃、東京オリンピックが開かれ、東京だけでなく、大阪も盛り上がっており、売り上げが向上した。「中央営繕」という不動産屋も始めたり、昭和50年には、「ピーコック 西店」を駅の西側に新たに開店するなど商いを展開させていった。

 

⑨昭和53年に常一氏が亡くなり、茂樹氏が継いだ後、「珈琲豆専門店 ピーコック2」を開業した。茂樹氏の長男、英司氏が「喫茶店 ピーコック」を継ぐことになり、茂樹氏は「珈琲豆専門店 ピーコック2」で自家焙煎を行なうなど、時代の変化に合わせて営業を継続している。

 

⑩「珈琲豆専門店 ピーコック2」は、3年後に駅前整備のため立ち退きとなる。「ピーコック 西店」の場所に移動するとのことだが、今後どのように展開していくのかはわからない。

 

【目次】

序章 問題の所在とフィールドの概況

 第1節 問題の所在

 第2節 フィールドの概況

第1章 半田家と商い

 第1節 穂積村での商い

  (1)与吉氏と商い

  (2)喜一氏と商い

  (3)修二氏と商い

 第2節 商いの拡大

  (1)服部阪急商店街

  (2)株式会社 半田喜一

 第3節 さまざまな会

  (1)酒販組合

  (2)服部阪急商店街振興組合

  (3)服部をよくする会

第2章 上芝家と商い

 第1節 駅前での商い

  (1)常一氏、百合子氏と商い

  (2)一族と商い

 第2節 さまざまな事業の展開

  (1)常一氏と事業

  (2)茂樹氏と事業

 第3節 服部の現在と上芝家

  (1)英司氏

  (2)親戚たちとその後

  (3)茂樹氏

結語

 総括

 謝辞

 参考文献

 

 

【本文写真から】

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写真1 服部阪急商店街の位置 ※服部バルMAPをもとに作成

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写真2 服部西町に現存する文化住宅

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写真3 酒販新聞に載る「半田屋」

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写真4 上芝家が商いを展開した駅前の一角 ※服部バルMAPをもとに作成

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写真5 「喫茶店 ピーコック」

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写真6 「珈琲豆専門店 ピーコック2」

 

【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただきました。

 ご多忙の中、ライフヒストリーをお話してくださった半田修二氏、上芝茂樹氏、上芝英司氏。服部阪急商店街についてお話を聞かせてくださり、様々な貴重な資料を提供してくださった鳥羽伸美氏、山下順朗氏、前野雅文氏。

 これらの方々のご協力なしには、本論文は完成に至りませんでした。今回の調査にご協力いただいたすべての方々に心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。