社会学部 信田実希
【もくじ】
はじめに
第1章 珈琲館ひいらぎ
1.店主 佐竹洋子氏と喫茶店
2.常連客A氏と喫茶店
第2章 ウオッチ
1.店主 篠川ひとみ氏と喫茶店
2.常連客B氏と喫茶店
3.常連客C氏と喫茶店
第3章 わんもあ
1.店主 黒岩佳男氏と喫茶店
2.常連客D氏と喫茶店
むすび
謝辞
参考文献
はじめに
本稿では、現在の四万十市にある中村における3つの喫茶店について取り上げる。高知県は全国屈指の喫茶店激戦区といわれている。その中でも今回の調査地である中村は特に喫茶店が多く、「モーニングをしない喫茶店は喫茶店じゃない」といわれるように、モーニングの時間帯が1日の中で最も賑わう時間帯だという。今回の調査では、中村に存在する3つの喫茶店にモーニングの時間帯に訪問し、それぞれの店の店主と常連客の方に話を伺った。本稿はそれらの人々の語りから、各々にとっての喫茶店の存在や役割を明らかにし、まとめたものである。
第1章 珈琲館ひいらぎ
1.店主 佐竹洋子氏と喫茶店
40年ほど前、当時働いていた県の出先機関の上司にコーヒーを飲みに連れて行ってもらった時、砂糖をいっぱい入れたら上司に笑われた、と懐かしそうに語る佐竹氏。この出来事がきっかけで佐竹氏はコーヒーが好きになり、「これならできるかもしれない」と喫茶店を始めようと決意したという。家族からの反対があったものの、最終的には母から「中村で一番人通りの良いところ」を探してくるという条件付きで承諾を得た。それなら素人でもできるかもしれないという理由だった。
当時の中村には100件を超える喫茶店があった。そこで佐竹氏は一つも喫茶店がなく、かつ人通りの多かった天神橋商店街を見つけてきた。そして昭和49年7月4日、「ひいらぎ」を開店した。「ひいらぎ」という名前は、一年中葉が落ちないひいらぎのように、という願いと魔除けの意味を込めて前の職場の上司がつけてくれたものだという。
開店当初は独占企業と言われたが、天神橋商店街だけで7件もの喫茶店が存在する喫茶店ブームの時代も訪れた。以前は家族でモーニングに来る人も多かったという。少しでも多くの人がモーニングを利用できるようにと日曜日は他の曜日よりモーニングの利用時間を1時間長く設定した。佐竹氏の話からは、2階建ての店が大勢の人で賑わっていた風景が想像できた。
しかし最近では郊外に多くの大型チェーン店ができ、夜の外食が増加したために、家族連れでモーニングに来る人が減ったのではないかと佐竹氏は言う。喫茶店ブームの時代と比較すると、お客さんは減ってしまった。それでも開店当初から来てくれているお客さんや、毎日決まった時間に来てくれる常連さんがいる。佐竹氏は「大きな変化なく、一緒に働く従業員さんにも恵まれずっとマイペースでやってきた」と笑顔で話してくださった。
佐竹氏の1日は、喫茶店を開けるところから始まる。営業時間を短くすることや、他人に場所を貸すように提案されることもあるが、そのつもりはないという。この日課ができなくなるまで喫茶店を続けるつもりであると佐竹氏ははっきりという。喫茶店の店主という職業は、佐竹氏にとっての天職なのだ。
2.常連客A氏と喫茶店
中村で着物教室の講師をしているというA氏。ひいらぎの近くに引っ越してきたことを機に、定休日以外は毎朝モーニングを食べるためにひいらぎに訪れるという。そのような日々はもう10年以上続いている。長年ひいらぎに通う理由を伺うと、少し甘めの味噌汁の味付けが好きだということ、お店の落ち着いた雰囲気が好きだからとのことだった。いつもおむすびかホットドックのモーニングを頼むと決まっていて、座る席まで決まっているのである。A氏の場合、開店時間の8時に来店し、1〜1.5時間滞在する。以前はご主人と来ていたが、最近は一人で来ることが多いという。モーニングの後は、着付け教室や趣味の卓球というように曜日ごとに決まった予定があるが、モーニングの後は一度家に帰るという。これは、モーニングのためだけに家を出るということであり、ひいらぎでモーニングを取ることがA氏の中で習慣となっており、1日の始まりを意味していると言えよう。
写真3 ひいらぎの店内。右に見える囲いの中がA氏の決まった席である。
第2章 喫茶ウオッチ
写真4 ウオッチの入り口。天神橋商店街近くの京町通りに位置する。
1.店主 篠川ひとみ氏と喫茶店
父の代からの喫茶店を引き継いで4年目になる。篠川氏が小学生の時は、まだ周りに喫茶店が多くなかったという理由で父が始めたという。喫茶店を始める前、篠川氏の母は毛糸屋と編み物教室をしていたが、どうしても夏季と冬季の客数の差が大きかった。一年中絶え間なくお客さんが来るようにという願いを、針が回り続ける時計に重ねて、篠川氏のご両親が「ウオッチ」と名付けたという。
篠川氏は、京都の短大から戻った後、店を手伝いはじめた。それを機にコーヒーが好きになり、いろんな人が来ることが楽しいと思うようになり、「やってみようかな」と思ったという。「余計なものは嫌いな人だった」という篠川氏の父は、あくまでコーヒーがメインの空間であったが、店内のジャズの音楽とオーディオにもこだわりを持っていた。そのこだわりのオーディオを見るために遠くからやってくる人までいたという。
篠川氏へと代替わりした後、篠川氏は自分が気に入った作家のハンドメイド雑貨を置くようになった。その結果、それらを好む人が来店するようになり、新たな人のつながりが生まれたという。趣味を通して人がつながる場を提供するという意味では、父の時代から変わらない。篠川氏は喫茶店を「人のつながりが生まれる場」と表現する。最近はFacebookを始めたことにより若者や女性客が増加したという。新たな人々のつながりを生む可能性を持っている。
篠川氏は、喫茶店が少なくなりつつある今、人々にとってはかえって珍しいのではないか、と今後もいろんな人が来るだろうと予想する。「見た目よりハードな仕事ではあるが、これからも変わらないスタイルで頑張っていきたい」とまっすぐな眼差しで語る姿が印象的であった。
2.常連客B氏と喫茶店
ウオッチのすぐそばに住むというB氏は、週に2,3回モーニングの時間帯に来店する。B氏のご主人は、別の喫茶店が行きつけで、夫婦で違う喫茶店に行くというから興味深い。B氏は、スープが飲みたくなったときウオッチに来るという。以前は美容師として働いており、「喫茶店に行きよる暇なんてなかったわね」と振り返る。自分のお客さんを娘に引き継いでもらい、現在は娘の手伝い程度で働いているという。仕事が気楽になり、喫茶店に来る時間ができたというわけだ。朝食もこれまでは自分の家で作っていたが、毎日ご主人と自分の体に気をつかって朝食を作らなければならないことに疲れを感じることもあり、「昼と夜は自分で作るから、朝はちった力をぬいてもいいかなあ」という思いで朝はモーニングに来るのだと話してくださった。B氏が喫茶店に訪れる目的は家事の負担を減らすことである。おいしいものを手軽に食べたいという思いもあるのだそうだ。来たときは、約1時間、本を読むなどして滞在する。息抜きの場としても利用されている。
3. 常連客C氏と喫茶店
「コーヒーがおいしいんです。それとひとみさんが大好きで。」と話すC氏は、平日のみならず週末にもよく訪れるという。リラックスしたいときは必ず来るそうだ。C氏は中村の出身ではないものの、中村の高校に通っていた。中村駅から高校まで歩く道のりにウオッチがあった。当時は高校生同士が制服で喫茶店に入ることが禁じられていた時代で、前を通るたびに、高校を卒業したらウオッチに入って雰囲気を味わいたいという憧れが募ったと当時を思い出しながら語ってくださった。高校卒業後に初めて友人と来て念願がかなった、と嬉しそうに言う。その後、高知県外の大学へと進学したが帰省の際には、友人との待ち合わせ場所として利用し、決して途絶えることはなかったという。今は仕事で忙しい毎日ではあるが、30分でも時間があれば行きたい場所であるそうだ。基本的には、一人で来ることが多い。モーニングに来る理由としては、少し楽をしたい、おいしいコーヒーが飲みたいとのことであった。ウオッチに来て、ジャズの音楽を聴きながらコーヒーを飲めば、悩んでいることもまあいいか、と思えてしまう。喫茶店に訪れることで、家などの見慣れた景色から離れることができるのだという。C氏にとって喫茶店は、リラックスするための場所という大きな役割を持っている。また、週末にはご主人とくることもある。互いに忙しい生活のため、喫茶店が夫婦のコミュニケーションの場となっている。
第3章 わんもあ
1.店主 黒岩佳男氏と喫茶店
中村出身の黒岩氏は、高校卒業後、横浜で5年ほど働いたのち、故郷に戻り「わんもあ」を始めた。40年ほど前のことである。きっかけは、「自分の家で何か始めたら」という母の言葉であったという。当時、喫茶店は自宅でできる仕事だという認識が持たれていた。
「わんもあ」という名前は、お客さんに「もう一回」とまた来てほしいという気持ちが込められている。わんもあは、モーニングメニューのボリュームと種類が自慢である。初めは今ほどボリュームがなかったが、喫茶店の激戦区であったために、各店が競争状態になり、「差別ができてしまうからつけざるを得ん」状態であったために今の量に行きついたのだと当時を振り返る。「今あれ(=昔の状態)やったらできゃあせん」という黒岩氏の言葉が、かつての中村の町の喫茶店の多さを物語っていた。
中村がそれほどの喫茶店の多さを誇ったのは、喫茶店へのニーズが多かったからではないかと黒岩氏は分析している。例えばモーニングにおいては、家でトーストを焼いてコーヒーを飲む手間を考慮すると、喫茶店に行けば手間がないうえに価格がお手頃であるために人々に必要とされ続けているのではないか、ということだ。それゆえ、黒岩氏は「便利」であるということが喫茶店の役割であると感じているという。
最近は黒岩氏も大型店やコンビニエンスストアの影響によるお客さんの減少を感じている。しかし、わんもあには決まった常連さんがおり、それらの常連さんは8時のオープンと同時にやってくる。もう一人の従業員である女性は、常連さんの頼むものを把握していて、店に入ってきた常連さんの顔を見ると、何も聞くことなく黒岩氏にオーダーを通す。そこには、わんもあと常連さんが築き上げてきた関係性がみえる。
黒岩氏は14〜15時になると店を閉め、買い出しに出かける。その後の時間を使って次の日のために仕込みをする。時にその仕込み作業は20時近くまで続くこともあるそうだ。一日の大半を喫茶店に費やしている。「わんもあ」は黒岩氏の人生の一部である。
写真8 わんもあのモーニングメニュー。安さとボリュームが特徴。
2.常連客D氏と喫茶店
D氏は、わんもあのすぐ近くに住み、そこで美容師として働いている。もう50年のキャリアだという。予約をしてくれる人のみで昼までの営業だ。毎日仕事を始める前に、モーニングを取るためわんもあを訪ねる。店の奥には、1人できた人々が集まるテーブルがあり、そこに座る。1人で来た人がそれぞれ場所を使ったらカップルなどで座る人に悪いから、という理由で始まったものであるというが、今ではその奥の席に座る人はほとんど決まっており、一つのコミュニティを形成しているように見受けられた。いつも相撲や天気の話をして楽しむようで、「家族のつもりです」とD氏は嬉しそうに言う。
D氏は、わんもあに来るようになって20年ほどになる。子供が巣立ってひとりになったとき、息子に朝は必ずわんもあでモーニングを食べて、人としゃべって1日の元気を養うように言われたことが始まりだという。「3日来んかったら覗きに来て。倒れちょうか分からん。」と伝えてあるのだそうだ。そこには、わんもあにいる人々への信頼が垣間見え、わんもあに来るということは、孤独を防ぐという大事な役割も兼ねていることがわかる。そのD氏の息子が中村に帰ってきた時もこの喫茶店に来るのだと嬉しそうに話してくださった。誕生日になると息子が、「このお金でわんもあに行ってくれ」とお小遣いをくれるそうだ。
初めは、息子の勧めから始まったが、今では「私の憩いの場なんです」と穏やかに話すD氏。マスターが必要以上に話に入ってくることなく、小さな町でも自分が話したことが外に漏れないという安心感が長年通う理由の一つだという。D氏にとっては、わんもあに通うことが生きていく上での楽しみになっている。
むすび
本稿では、中村に存在する3つの喫茶店で、喫茶店の店主・常連客という2つの立場から聞き取り調査を行った内容に関して記述してきた。それぞれの喫茶店で、今回の聞き取り調査を通して明らかになったことは、以下の通りである。
1.珈琲館ひいらぎ
・店主の佐竹氏は、上司とコーヒーを飲んだことがひいらぎを始めるきっかけとなった。
・店を毎朝開けることができる限り、佐竹氏はひいらぎを続けていく。
・常連客のA氏にとって、ひいらぎに訪れることは1日の始まりを意味している。
2.喫茶ウオッチ
・店主の篠川氏は、父の手伝いを通してウオッチを引き継ぐ決意をした。
・篠川氏にとっての喫茶店は「人とのつながりの場」である。
・常連客のB氏にとって、ウオッチにおけるモーニングは家事の軽減・息抜きという役割を持っている。
・常連客C氏はリラックス・夫とのコミュニケーションの場としてウオッチを利用している。
3.わんもあ
・店主の黒岩氏は、母の勧めによって自宅でできる喫茶店を始めた。
・黒岩氏は喫茶店の役割について、便利さを提供することであると考えている。
・常連客D氏は、わんもあで形成されるコミュニティに属しており、それは孤独を防ぐという役割も担っている。
謝辞
本論文の執筆にあたり、関わってくださったすべての皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。皆様のあたたかい協力があり、本論文を執筆することができました。突然の訪問の上、お忙しい時間帯であったにも関わらず、お話を聞かせてくださり、また常連のお客様を紹介してくださった珈琲館ひいらぎの佐竹様、ウオッチの篠川様、わんもあの黒岩様、誠にありがとうございました。