関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

消防団の民俗誌−長崎市消防団 第12分団の事例−

社会学部 石野太一

目次

はじめに

第一章 長崎と消防

1.坂のまち

2.設備と用具
2‐1 設備
2‐2 用具

3.消防組織

第二章 長崎市消防団 第12分団

1.組織と人々

2.第12分団の日常

3副分団長 秋浦利栄

結び

謝辞

参考文献

はじめに
 
 本レポートは、傾斜地が多く消火活動が困難な長崎のまちにおいて人々はどのように火事と向き合い生活しているのかということを長崎市消防団第12分団の方々への聞き取り調査を基に述べる。

第一章 長崎と消防

1.坂のまち
 
 長崎のまちは市街地を取り囲むように山々が連なり、独特なすり鉢状の地形をしている。長崎市民の生活の場所はそんな斜面地にまで及んでおり、まるで山に家が張り付いているかのように住宅が高台にまで密集している。

写真1 長崎の坂

 長崎の傾斜地は木造の住宅が多く立ち並んでいる。これは、戦後の人口増加に伴い、市内の少ない平地を取り巻く山腹にあった棚田(たなだ)を立地化したもので、現在は特に高齢化が進んでおり引っ越しや住居の改修をしたくても現実的に厳しく、また道が狭いため引っ越しの車やトラックが現場の近くまで行くことが出来ないことなどが特徴として挙げられる。このように木造の住宅が傾斜地に密集し、道も車が横づけできないほど細い長崎のまちにおいて火事が起こった場合、人々はどの様に対処しているのか、また予防するためにどのような活動を行っているのかを明らかにしていきたい。

 長崎における実際の火災現場は、平地とはまったく別のむずかしさがある。先述したとおり、住宅が密集し道が狭いため消防車を横付けすることが出来ない。それによって火災現場への到着が遅れるだけでなく、ホースを延長して消火活動に移るまでの時間もかかり、結果的に火事の被害を最小限にとどめることが困難になる。また、坂の中腹で火災が起きた場合大きな道路に横付けした消防車からでは上からも下からもホースを延長するのに時間がかかる。そうなった場合は、1本20メートルのホースをいくつもつないで延長する必要があり、消火活動は困難を極める。実際の火災現場では早急な消火がもとめられるため時には地元の方の庭先を借りたり、私有地の中を横断してホースを延長することも多々ある。また、次の項で詳しく述べるが、消火栓や防火水槽もいたるところにあることから現場での臨機応変な対応や消火栓、防火水槽の場所の把握は地元の人々で構成されている消防団の特性を十二分に活かした消火活動といえる。次項以降でそんな消防団や地域の方々が初期消火で使用したり、実際の消火活動で使用する設備や用具について論じていく。

2.設備と用具
 2‐1設備

 まずは初期消火用具について見ていこうと思う。初期消火用具とは消防団や消防署隊が到着して本格的な消火活動が始まるまでの間に、地域の住民の方が初期消火として使用するための道具一式のことをいう。町のところどころに設置してあり赤色でホース格納箱と書いてあるボックスが目印である。中には消防ホースが5本、異径媒介金具、消火栓開閉金具、管そうなどが入っている。またこのホースは通常使用するホースよりも口径が小さく軽いものが使用されているため高齢の方や女性の方でも扱いやすくなっている。ホース格納箱の中には初期消火用具の使い方が写真付きで貼られており、一般の方でも使い方がわかりやすく書かれている。地域の住民や地元の婦人防火クラブの方への初期消火用具を用いた訓練も多く行われている。


写真2、3 初期消火用具と使い方の紙

写真4 初期消火用具一覧

次に消火栓と防火水槽についてみていくが2つには大きな違いがある。それは水のくみ上げ方である。消火栓は水道管から直接水をくみ上げることができ、防火水槽はもともと水をタンクの中にためておいて火事が発生した場合、ポンプ車などで水を吸い上げるものだ。水圧がある消火栓のほうが有用性が高いと思われるが、消火栓は水道管から直接水をくみ上げているため、上流側の消火栓からの放水が行われていた場合下流側では水圧が弱く放水が出来ないことや断水、地震などの際に使用できなくなるという欠点がありそれを考えると防火水槽のほうが火事に適しているといえる。


写真5 消火栓

 また長崎のまちを歩いていると家先に赤いバケツがおいてある光景をよく目にする。これは消火バケツというもので、婦人防火クラブに入会した家に配られ、近所で火災が発生した時に初期消火を行うための道具の1つである。坂道のいたるところにこの赤いバケツが置いてあるのが長崎独自の光景であるといえる。

写真6 家の前に置かれた 防火バケツ

2‐2用具
 
  次に消防職員また消防団員の方々が使用するホースについて見ていこうと思う。使用しているホース自体はどこの地域でも変わらないが、そのホースの巻き方には多くの種類が存在する。その中でも全国で広く使用されているのは「二重巻」と呼ばれるもので、1本20メートルあるホースを2つに折り、折り目からロール状に巻いたものである。だがこの「二重巻」は前方に転がして延長を行うため、平坦地で道路幅が広い場所には有効であり、道が狭く坂道が多い長崎においてはあまり有効な巻き方とは言い難い。また、長崎ではホースを担いで坂道を上り下りすることが要求されるため、「二重巻」では担ぐ数にも限度があり持ち運びにも不便である。そんな長崎では坂のまちに遭ったホースの巻き方が存在する。それが「島田巻」というものだ。ホースを一定の長さでジャバラに折ったアコーディオンのような見た目の巻き方である。折ってできた「島田巻」のホースをわきに抱えてパタパタと落としながら延長したり、掴んで投げたりもでき道の狭い長崎でも容易に延長することが出来る。また、その形から1人で3~4個担ぐことが出来るため早急な消火活動に繋がる。まさに坂のまち長崎だからこそ生まれたホースの巻き方であると言えよう。


写真7 島田巻

写真8 島田巻の延長の様子

 「島田巻」という特徴的な名前の由来は詳しいことは明らかではないが、現役の消防団員の方の話では島田さんが考案された巻き方なので「島田巻」という名前になったということだ。この「島田巻」は長崎県内すべてで使用されているわけではなく、壱岐市などは「二重巻」を使用している。他県でも広島県尾道市などが「島田巻」を使用しているというところからも斜面地において有効なホースの巻き方であることが分かる。

 そのほかにも坂のまちに適して作られた「ホースバッグ(ホースカー)」というものがあり消防車には大半が搭載されている。ホースが4〜5本収納できキャスター付きでそのまま斜面地や階段を延長できるものだ。

写真9 ホースバッグ

 また、消防団の格納庫にお邪魔した際見せて頂いたのが「島田巻」を作る器具だ。通常「島田巻」は1人で作成するのが困難であるがこの器具を使えば素早く1人でも「島田巻」が作れるということで長崎市内の消防団では広く使用されており長崎独特の考案と言える。

写真10 「島田巻」を作る機械
3.消防組織

 長崎では道が狭く、坂道が多いので消防局の職員の方々が現場に到着するまでに時間がかかる。そこで、その時間のロスを埋めるために、地域の消防組織の活動が他県に比べて活発に行われている。そんな地域の消防組織としてあげられるのが、婦人防火クラブと消防団である。その2つについて詳しく見ていきたいと思う。

 まずは婦人防火クラブから見ていきたいと思う。婦人防火クラブとは家庭を預かり、火を使う機会の多い主婦が、火災の予防に関心を持ち、さらに一旦火災に遭遇した場合の初期消火、通報、避難等についての知識と技術の習得を図ることを目的として結成されたものだ。昭和38年11月、市中心部から遠隔地にあり家屋密集度の高い式見町に第一号の婦人防火クラブが誕生した。そこから市内に結成を拡大する当初は自治会、婦人会等に結成促進を行っても趣意が理解されずなかなか促進が図れなかったが、テレビ等のメディアで取り上げられるうちに、徐々に評価されはじめ、以降急速に結成が進み現在では、市内全域319クラブ38,736人(平成27年4月1日現在)の大規模な組織となった。

 また、婦人防火クラブは目的達成の為に消防訓練、市民防火のつどい、消防出初式など様々な活動に参加している。消防訓練とはその名の通り事業所等と消防の合同消防訓練のことで初期消火活動の訓練なども行われている。2つ目の市民防火のつどいとは例年11月上旬に開催しているもので、婦人防火クラブ員を主体に、自治会代表、消防職、団員の代表など1,200人余がこれに参加し、式典、表彰、防火講話、防火映画、避難訓練などの防火研修を行う。アトラクションとしてクラブ員出演による郷土芸能をはじめ、民謡や踊りなども披露される。3つ目の消防出初式は消防機関はもとより、関係防火協力団体等総計3,000名余による市民参加の出初式である。婦人防火クラブはおそろいのハッピ姿で華やかな行進をおこなう。この出初式では後に紹介する消防団が中心となり、全分団が集まりそれぞれの地域の消防車に乗りその上でふんどし姿でまといを回し、サイレンと共に一斉放水する。

写真11 婦人防火クラブのはっぴ

写真12 婦人防火クラブと消防団の合同訓練(第12分団)

写真13 出初式で使用されるまとい

 次に消防団とは、消防署と協力して火災、災害及び人命の救助救出に出動するとともに、火災予防の普及啓発活動を行うものだ。市内18地区69分団が現在活動している。火災などが発生した場合は担当の地区の分団が招集されその規模に応じて2次出動、3次出動があり担当地区内で他の分団が招集されることもある。消防団に所属している人たちは普段はそれぞれの仕事を行って、出動の要請があった場合や土日、また月に数回消防車や備品のメンテナンスをしたり、訓練をおこなったりしている。

 消防団は、自分たちの地元は自分たちで守ろうという思いの強い方々が集まっており、分団ごとに全く特徴の異なるアイデンティティをもったコミュニティーが形成されている。なので分団ごとに力を入れている活動も違えば、組織の中での人間関係もまったく異なる。

 消防団と言えば厳しい上下関係や昔ながらの堅い雰囲気が想像される。事実昔はそういった雰囲気の分団がほとんどで今でもそういった伝統を守っている分団はあるだろう。しかし、今回著者が調査を行った長崎市消防団第12分団は、それとはまったく異なる雰囲気を持っていた。次章以降ではそんな第12分団という一風変わった消防団について明らかにしていこうと思う。

第二章 長崎市消防団 第12分団

1.組織と人々

 長崎市消防団第12分団(以下、12分団)は7つの分団を要する梅香崎地区において総勢25名で構成される消防分団である。12分団の管轄する地区は出島や唐人屋敷などの文化的に非常に価値のある文化財が多数ある地区で、また、中華街などもあり観光客も数多く訪れる場所である。その一方で、山手の方に行くと急な坂道が多く道も狭く、火事が起こると非常に消火活動が困難な場所でもある。そんな地区で活動を続ける12分団とはどういった組織なのだろうか。

 12分団は総勢25名の団員がそれぞれ役職をもって活動している。役職は次の通りである。分団長・副分団長・消防部長・警護部長・消防副部長・警護副部長・機械班長・交通整理班長・救護班長・給水班長・火先班長・その他一般団員。25名それぞれが自分の仕事に誇りをもって活動している。

写真14 12分団の集合写真

 また12分団には様々な職業の方が所属している。地元の電気屋さん、中華料理屋の代表、タクシー運転手、長崎バスの方、塗装屋さん、他の分団では市議会議員の方などもいらっしゃるそうだ。一般的な消防団というと、上下関係が厳しく、お堅い雰囲気を想像するが12分団は全く違う。著者が12分団の格納庫にお邪魔したときに多くの分団員のかたが集まっていたが、その雰囲気は想像したものとは真逆であった。年齢の差、経験の差に関係なく皆さんとても楽しそうに談笑し明るく、まるでどこかの井戸端会議をみているかのようだった。その雰囲気がわかる1つの例が団員の方々のお互いの呼び方にある。みなさんあだ名をつけて呼び合っているのだ。そのあだ名には見た目から分かるようなものが多く例えば、髪の毛が薄くなっているひとにはハゲ(1人2人ではなく複数名いたと思われる)、テレビに出てきたインド人に似ていたことからインド人、顎がでているのでペリカン、他にもイスラム国の人、タイの皇太子、タヌキ、コンスタンチンなど上げ始めるときりのないほど多くのあだ名が存在する。こういったあだ名で呼びあえるような関係性にあることからも、この12分団という消防団がただの地元の消火活動を行う組織ではなくその地元のコミュニティーとしてなくてはならないものとなっていることが分かる。



写真15、16 12分団の明るい雰囲気の分かる一枚

 12分団の皆さんは、飲み会の席や集まって談笑しているときは楽しい雰囲気だが、いざ火災現場に出動となった時はその雰囲気が一変する。見た目でバカにしていた年長者のかたも現場では後輩に対して怒号を飛ばし、死と隣り合わせの現場においては著者にも想像できないほどの緊張感と団員の勇ましい気持ちであふれているのだろう。12分団の中で若手の団員の方はこのやるときはやる、楽しむときは年齢も経験も関係なく楽しむという雰囲気にひかれて所属していると語った。また、12分団では他の分団ではやっていない試みをいくつか行っている。1つ目が現場で使用するヘルメットや消防車に12というステッカーを貼っている点だ。これはただ単に現場で分かりやすくするためのものであるが、実際に火災が起こり地元の人も消防団の人も混乱してパニック状態になっている火災の現場において、この12というステッカーを見つけただけでどれだけ安心するか、また統率がとりやすいかということを考えると、貼るか貼らないかの少しの差ではあるが、現場においては命にも関わる大きな差になりうるのだろう。2点目に12分団は団員全員にアナログ無線携帯受令機を配っている。流れてくるのは消防局の無線で、実際につけているからといって現場に駆けつけることが出来るわけではないのであまり意味のないように思われるが、これは家にいて常にどこかの現場で火事が起きているというのを意識することによって常に火事と向き合おうという気持ちにつなげるために設置しているということだ。こういったところからも楽しい雰囲気を保ちつつ地元は自分たちの力で守っていかなければいけないという強い思いが伺える。

写真17 12のステッカーの貼ったヘルメット


写真18 12のステッカーを貼った消防車

2.第12分団の日常
 
 ここからは、そんな特徴的な雰囲気と人間関係をもった12分団の日々の活動を
独特なエピソードと共に紹介していこうと思う。

 まずは12分団のなかで昔から使われている消防団に入団させるための独特な言い回しについて紹介する。一般的な入団理由としては、友人が入っていた、父親が消防団に所属していた、ポスターを見てなど様々なものがあるかと思うが、12分団には誘い文句としてこういったものがある。
 
 消防団に入団するのに特に筆記試験などは設けられていないのだが、「今、期間限定のキャンペーンを行っているのでもれなく筆記試験免除で入団できる」という某通信教育会社の勧誘にありそうな誘い文句で新しい団員を集めていたそうだ。事実この勧誘で入団した方がいるというのも驚きである。他にも入団したら退職金1000万円もらえるなど様々なものがある。また昔は検問と言うものも行っていたそうだ。団員が2、3人で1組になって道路をふさぎそこを通りかかった若者を検問ですといって捕まえて入団に持ち込むという手法だ。どれもやり口としては滅茶苦茶でほとんど嘘のような勧誘ではあるが、12分団ではそういった方法で入団してもその独特な雰囲気からやめる人はほとんどいないのだという。12分団だからこそできる手法なのである。

 次に12分団のなかでのお決まりのネタを紹介する。12分団の格納庫に役職ごとに帽子や制服をかけておく場所がある。その役職名が書いてあるプレートにカツラというものがあり1つのカツラがかけられている。12分団は年齢の高い方が多く在籍しており、髪の毛の薄くなっている方が多いため式典の時などにそのカツラを付けていって表彰を受ける時にわざとカツラを落として会場から笑いを取るというのが12分団のなかでお決まりのネタになっている。

写真19 格納庫のカツラをかける所

 次に12分団に起こったちょっとした事件についてである。ある日12分団も出動していた大きな火災があった。12分団のメンバーは全員銀色のジャンパーを着用して消火活動を行っていた。火事も鎮火し一段落ついたとき関係者から12分団の方が家から持ち出していたテレビはどこにありますでしょうか、と尋ねられたが12分団のメンバーは誰一人として身に覚えがない。後に分かったことだがどうやら火災発生当時火事場泥棒がいたらしくその人が12分団と同じような銀色のジャンパーを着ていたため間違えられたということであった。この事件もあってか12分団では新しいジャンパーを製作する計画があるそうだ。

 伝統があり、アイデンティティの強いコミュニティーであればその中だけで使用される独特な言い回しなどが存在する。この12分団にもここの分団だけで伝えられてきた言い回しがいくつか存在する。1つ目は「死体を見ても刺身を食え、肉を食え」である。消防団はその活動の中で死者をまじかで見ることも少なくないという。何度かそういった現場を経験している人なら大丈夫なのだが、初めてその光景を目にしたものはその後なにも口に入らず一種のトラウマのようになってしまうそうだ。この言い回しは若手がそういったトラウマを持たないように全員で一緒に食事をしてトラウマの原因をみんなで消してやろうという思いからのものである。他にも「1番に水入れた」という言葉がある。これは12分団に限らず他の分団にもあるようだが、消防団にとって一番大事であるとされているのが誰よりも早く現場に駆けつけることそしてどこの分団よりも早く放水をして消火活動を始めることだそうだ。ここはどの分団も昔から変わらずずっと伝えられている言葉である。こういったところからも消防団員の方々の地元に対する熱い思いと使命感が伺える。

写真20 消火活動後の食事の様子

3.副分団長 秋浦利栄

 著者の長崎での12分団への調査において窓口となって担当してくださったのが秋浦利栄氏である。秋浦氏は12分団において副分団長を務められており、その勤続年数は12分団の中でも1番長い。そんな秋浦氏と数日間一緒に過ごさせていただく中でこの地域において、また12分団において秋浦利栄という人物がなくてはならない存在であることを知った。ここからはそんな秋浦利栄氏について12分団、地域のコミュニティーなどと絡めながら論じていきたい。

 秋浦氏は今から約35年前、12分団に入団した。当時警察官を目指していた秋浦氏に近所の米屋の主人が警察になるには体力がいる、消防団に入れば体力がつくという風に誘われ入団に至った。秋浦氏の実家は元々お母様が商いをされていたが、その後秋浦氏が秋浦電器という電気屋さんを営み、現在は秋浦トータルサービスという電気関係の仕事からリフォーム、引っ越し、遺品整理まで行うサービス業をされている。

写真21 秋浦氏

 秋浦氏は12分団の副分団長、秋浦トータルサービスでのお仕事以外に十善寺龍踊会の会長もされている。秋浦氏の住む館内町は江戸時代に中国から渡って来た人たちが住んでいた唐人屋敷のある町で、この地区の4つの御堂の保存と地域の活性化の為に平成5年十善寺龍踊会を結成し途絶えていた十善寺龍踊を復活させた。その後は様々なイベントで踊りを披露したり、テレビ出演も多く果たしている。12分団と龍踊会は全くの無関係ではなく秋浦氏が12分団の副分団長を務めていることもあり龍踊会でAEDの勉強会などを行うこともあり、踊りを披露しに行く先には必ずAEDを持っていきメンバーや観客の方などに何か起こった時に対処できるようにしている。また龍踊会のメンバーでありかつ12分団に所属されている方も何名もおり、12分団と龍踊会は秋浦氏を通して密接に結びついている。

 秋浦氏は12分団にとっても、また自分自身にとっても大きな転換点となった出来事について語った。それは昭和57年に起こった長崎大水害である。九州北部に多くの被害を出した長崎大水害長崎市を中心に死者、行方不明者299名の人的被害を引き起こした大災害だ。秋浦氏はこの大災害に消防団の団員として人命救助というかたちで関わった。長崎大水害の日秋浦氏は電信柱にロープで自分自身を括り付け流されてくる人を救助した。しかし、その日助けられなかった人たちが後日遺体で見つかった。この時秋浦氏や他の分団員たちは悔しくてたまらなかったという。この経験が12分団を秋浦氏自身を大きく変えることになる。12分団はこの長崎大水害以来明るく楽しい誰もが発言しやすい雰囲気になり、様々な経験を次の世代を担う人たちに伝えていくという姿勢に変わった。また、秋浦氏自身もこれを機に現場主義へと変化していく。

 秋浦氏の今現在の活動のすべては長崎大水害で助けることが出来なかったあのくやしさからすべてはきているように感じる。龍踊会や12分団、またトータルサービスとして遺品整理などをおこなっているのもこの地域の為に自分は何ができるのかを考えた上での行動なのだろう。秋浦氏のそういった活動は着実に周りを巻き込みながらいい方向へ進んでいる。秋浦氏の自宅には毎日誰かが訪れ夜には飲み会が開かれている。著者が訪れている間も毎日飲み会が開かれ12分団のメンバーをはじめ多くの方がいらっしゃっていた。また、秋浦氏が町内を歩くと通りかかった人がみな声をかけていく。こういった光景を見ると秋浦氏がこの地域にとってなくてはならない存在であり、与える影響の大きさがうかがえる。

結び
 
 今回の12分団への調査を通して以下のことが分かった。

1.長崎には消火活動が困難な地形であるが故に独自の防火意識や消火方法が確立されている。

2.消防団によって目標とするもの、力を入れているものが違うため分団によって全く違う雰囲気である。

3.12分団は他の分団に比べても変わった点が多く独自の風習や言い回しが存在する。

4.12分団にとって、館内町にとって秋浦利栄という存在はなくてはならないものである

謝辞

 本論文の執筆にあたり協力して下さった皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。
長崎市消防局予防課市民消防係の向井様には仕事中にも関わらず親身に相談に乗って下さり秋浦さんも紹介して頂きました。長崎市消防団第八分団の山口様をはじめとする皆様には普段は参加する機会のない消防訓練に参加させていただき貴重なお話までお聴きすることが出来ました。秋浦さんと第12分団の皆様には数日間にわたりお世話になり、特に秋浦さんとご家族の皆様には感謝してもしきれません。
 皆様の御協力なくしては本論文の完成はできませんでした。改めて感謝申し上げます。

参考文献

平成27年版 長崎市消防局 消防年報

十善寺龍踊会ホームページ
http://www1.cncm.ne.jp/~purupuru/