関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

菊間瓦の民俗誌―愛媛県今治市菊間町の瓦産業―

菊間瓦の民俗誌−愛媛県今治市菊間町の瓦産業―
大河内麻未
【要旨】
本研究は、愛媛県今治市菊間町をフィールドに、菊間町の伝統産業である「菊間瓦」について参与調査とフィールドワークを行うことで、菊間の瓦産業の変遷、瓦職人たちの瓦への関わり方を明らかにしたものである。
本研究で明らかになった点は以下のとおりである。
1、日本人は、古来より瓦で屋根を敷く風習があり、6世紀に朝鮮より伝来した。いい瓦はいい土が採れる地域で生まれる。すなわち愛知県や島根県兵庫県淡路島など全国各地で「瓦のまち」が誕生した。愛媛県菊間町も江戸時代より瓦産業が続く全国を代表する瓦のまちのひとつである。菊間瓦の特徴は、「いぶす」工程にあり、いぶされた瓦、すなわち「いぶし瓦」とも呼ばれている。
2、現地の山で原料の瓦土と窯焚き燃料の松の薪や松葉が採れたことや粘土瓦の乾燥などに適した温暖少雨の気候風土であること、さらには瀬戸内海沿岸で物流が行いやすい地域であった。これらのことが菊間で瓦産業が発達した背景である。
3、菊間瓦に使用される原土は、もともと菊間の山や田んぼで採れていたが、早い時期から採取困難となり、愛媛県波方町広島県などの土を使用した後、明治20年から現在まで香川県の讃岐土を使用するようになった。讃岐土を6割、地元で採れる五味土を4割配合し、讃岐土が多いか少ないかによって、瓦の質が変わってくる。瓦職人たちの土への強いこだわりが菊間の瓦産業を支えている。
4、近代化にともなって、菊間では大正末期から昭和初期にかけて土練機やプレス機のような機械の導入が始まる。これによって瓦づくりの作業工程が少しずつ変わっていき、また職屋の建て変えが行われ、低い軒下で土壁の職屋が立ち並ぶ風景がなくなっていったが作業の短縮や大量生産が図られた。
5、明治以降は政府の大口注文が増え、軍需御用が相次ぎ、明治16年に皇居後造営瓦を納入している。製造量が増加するとともに、瓦屋も増え、50以上の瓦屋があった。しかし今では需要の減少や後継者の減少が原因で15軒まで減少している。
6、瓦をつくる職人は地平師、道具師、鬼師と分けられ、瓦の中でも伝統工芸品として扱われている鬼瓦は、鬼師によって菊間で作られており、金べらや木べらなどの様々な道具を用途によって使い分け、手作業でつくられている。現在、菊間に5人の鬼師がいる。
7、菊間瓦は瀬戸内海沿岸の地域に瓦船で流通されていた。しかし、現在は需要の減少により愛媛県内の流通がほとんどである。
8、毎年2月3日に遍照院で行われる厄除け大祭では、菊間の瓦職人が作った約170キロの阿吽の大鬼瓦の神輿を41の厄年の男性が担ぎ、厄除けを行う。厄除け大祭では、「福は内、鬼も内」という掛け声で豆まきを行い、また草鞋を焼いて厄払いを行う。
9、現在は、屋根瓦の生産だけでなく、菊間瓦を用いたコースターや花の一輪挿し、ランプシェードのような生活雑貨が新しい工芸品として生み出されるようになった。
10、菊間の瓦職人たちは、彼らの仕事に誇りを持ち、伝統と経験を活かしながら新たな知恵や技術へと繋げている。しかしここ数年は、瓦の需要の減少、後継者不足が要因となり菊間の瓦屋が減少している。菊間瓦をどのように受け継いでいくかがこれからの課題である。

【目次】
 序章―――――――――――――――――――――1
 第1節 問題の所在・・・・・・・・・・・・・・2
 第2節 小さな町から生まれた瓦産業・・・・・・5 
  (1)菊間瓦の発祥・・・・・・・・・・・・・5
  (2)菊間村と亀岡村・・・・・・・・・・・・7
 第3節 菊間瓦と装飾瓦・・・・・・・・・・・・11
 第1章 瓦作りの工程―――――――――――――16
 第1節 菊間瓦のつくり方・・・・・・・・・・・17
 第2節 土へのこだわり・・・・・・・・・・・・24
 第3節 道具・・・・・・・・・・・・・・・・・30
 第4節 機械化と工場の変化・・・・・・・・・・32
  (1)機械化・・・・・・・・・・・・・・・・32
  (2)工場の変化・・・・・・・・・・・・・・40
 第2章 瓦職人――――――――――――――――42
 第1節 瓦職人たち・・・・・・・・・・・・・・43
 第2節 渡部輝幸製瓦工場 渡部輝幸氏・・・・・46
 第3節 鬼師 渡部一馬氏・・・・・・・・・・・49
 第4節 女性鬼師 菊池晴香氏・・・・・・・・・51
 第5節 菊間瓦と工芸品 小泉信三氏・・・・・・53
 第3章 菊間から各地へ――――――――――――59
 第1節 流通地域・・・・・・・・・・・・・・・59
 第2節 瓦船・・・・・・・・・・・・・・・・・59
 第3節 トラック・・・・・・・・・・・・・・・63
 第4章 鬼瓦神輿―――――――――――――――65
 第1節 遍照院・・・・・・・・・・・・・・・・66 
 第2節 鬼瓦神輿の発祥・・・・・・・・・・・・68
 第3節 光野貫一郎氏と光野公平氏・・・・・・・69
 第4節 厄除け大祭の1日・・・・・・・・・・・70
 結語 ――――――――――――――――――――75
 文献一覧 ――――――――――――――――――76

【本論文写真から】

写真1 菊間瓦に使われる土


写真2 瓦の成形作業


写真3 渡部輝幸製瓦工場のだるま窯


写真4 厄除け大祭で担がれる鬼瓦神輿


写真5 鬼師によって作られる鬼瓦


【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、多くの方々に調査へのご協力をいただきました。
多くの菊間瓦関係者をご紹介していただき、詳しいお話を聞かせくださったかわら館館長の吉井敏氏、お忙しいなか勤務時間を割いて、詳しいお話をしていただき、また快く工場内の貴重な現場を見せてくださった渡部製瓦の渡部一馬氏、菊銀製瓦の菊池晴香氏、藤瓦の浜田成一氏、小泉製瓦の小泉信三氏、渡部輝幸製瓦工場の渡部輝幸氏をはじめ、菊間の製瓦の皆さん。戦後の菊間の町の様子、瓦組合のお話を聞かせてくださった光野チヨミ氏。民俗学的視点から様々なお話を聞かせていただいた大成経凡氏。様々貴重な写真や資料を提供してくださった今治市菊間支所支所長の寺尾英一氏、写真館の若田日出夫氏。
以上の皆さんの協力なしには、本論文を完成させることはできませんでした。お力添えいただいたすべての方々に、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。