関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

皮革産業の民俗誌ー姫路の事例ー

皮革産業の民俗誌—姫路の事例—
氏田 楓


【要旨】
 本研究は、姫路の皮革産業について、高木、御着、四郷町をフィールドに実地調査を行うことで、皮革業と共に歩みを進めてきたまちの変遷、特徴、今日までどのように伝承され生産されてきたのかについて、その実態を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

1.日本に伝わる最も代表的な皮鞣方法は、脳しょう鞣し(鹿皮)と姫路白鞣革に集約される。日本では姫革、姫路革と呼ばれており、古くは白靼、古志靼、越靼、播州靼とも言われた。この革鞣方法が江戸時代の中頃、出雲国の古志村から伝えられ、古志靼、越靼の名前の由来になったとも言われている。中世以降では姫路地域が白鞣革生産の中心地となっていたと考えられている。

2.皮鞣しの際に用いられてきたのが、現在のJR姫路駅と御着駅とのほぼ中心部を流れている市川である。市川に含まれるミョウバンが上質な姫路白鞣革をつくる要素となっていた。現在でも市川の水は姫路の革鞣しには欠かせない存在である。

3.天然の姫路白鞣革は現在ではほとんど製造されていない。それは、手作業で行われる製造方法のため、大変な時間と労力を有するものであること、それに対して生産性が伴わなくなってきたこと、また、相当の技術を要することが大きな要因として挙げられる。このように白鞣革の生産が減少している今日だが、姫路が皮革のまちとして発展してきたのには、明治以降、欧米から導入された西洋製法の存在が大きい。それがタンニン鞣しとクロム鞣しであった。

4.現在行われている皮鞣し方法は、タンニン鞣しとクロム鞣しである。両者とも薬品と機械を用いて行うのが一般的である。現在の工程は細分化されており、姫路で一連の流れを全て担う工場は少ない。それは姫路にある皮革工場の多くが家内工業で、個人経営化した形をとっているからである。従って、いくつかの工程ごとに下請化されている状態を見ることができる。姫路では、こうした分業と協業化によって革が生産されている。

5.高木は姫路市の東部に位置する地域で、姫路白鞣革の発祥の地である。北から西にかけては、市川が流れている。この地域で古くから皮鞣しが行われてきた理由は、明確ではないが、市川の穏やかな流水と、革を干すための広い河原があるということから、皮鞣しにふさわしい立地があったと考えられている。高木で皮革職人をしている大垣氏によると、かつて高木は約800世帯から成る集落で、そのうち約200軒が皮革工場を営んでいたとのことである。一軒おきに皮屋があり、大変賑わっていた。道路は革を運ぶトラクターが行き交っていたため、常に濡れており、乾く暇がなかったほどだった。市川の下流には、ヤマミド川、ナカ川、ミヤトメ川の3本の支流があるため、市川の水位が高い際には3本の支流で川漬け工程が行われていた。

6.御着は姫路市の東部に位置する地域で、市川左岸の中心集落として発達してきた。御着は昭和初期にクロム鞣しの青底革で栄えた地域である。かつては税金も納められないほどの貧困にあえぐ村人が多く居た地域で、そのような村の窮状を救うことを目的に、宮本源三郎氏が産業開発として皮革業を取り入れた。西御着で皮革工場を営む山本氏によると、当時は約60軒の皮屋があったそうだ。しかし近年では外国企業の参入や、主に若い世代の革離れが著しいということ等が影響し、約20軒足らずまで減少している。

7.皮革産業はかつて被差別部落の産業として差別されてきた歴史を持つ。姫路で皮革に携わる人々もまた、そのような経験をしたことがあるという人も少なくはない。しかし、そのような厳しい状況下でも、人々は、これまで高い誇りとこだわりを持って、その文化を守り継承してきたのである。その歩みが基盤となり、現在まで受け継がれている。

8.四郷町は姫路市の東部に位置する地域である。高木や御着でも同様のことが言えるが、皮革工場は主に1階が鞣し工程を行う作業場になっており、2階には塗装・アイロン工程、3階には乾燥スペースという造りになっている。工場や住宅が密集しているため、横ではなく上へと階を高くする他なかったということである。四郷町も住宅と工場が密集する地域であるため、皮革工場は3階建ての造りをしたものが多い。

9.太鼓屋六右衛門は300年以上続く太鼓屋として伝統を継承している。天和の時代に創業したと伝承されており、現在は18代目が屋号を構えている。太鼓には皮革製品に用いる革のように薬品は使用しない。従って太鼓の革は、川または糠の酵素を利用して毛を抜き取っている。

10.近年では太鼓の音がどんどん高くなっていると言われている。それは製造過程で薬品を使用するなど、製造における簡素化が原因とされている。こういった事態も含め、太鼓屋六右衛門では古い伝統の方法で行う太鼓づくり、また、革づくりにこだわりと誇りを持ちながら屋号を継承している。

【目次】
序章 ・・・・・・・・・・・・・・・・・1
 第1節 問題の所存・・・・・・・・・・2
 第2節 姫路の皮革産業・・・・・・・・2
  (1)姫路白鞣革・・・・・・・・・・2
  (2)タンニン鞣し・クロム鞣し・・・7
  (3)現在の製造工程・・・・・・・・8

第1章 高木・・・・・・・・・・・・・・10
 第1節 高木の概況・・・・・・・・・・11
 第2節 大垣昌義氏・・・・・・・・・・13
  (1)かつての高木の風景・・・・・・13
  (3)西洋鞣しとの出会い・・・・・・15
 第3節 石井直文氏・・・・・・・・・・17
  (1)決意・・・・・・・・・・・・・17
  (2)下積み時代・・・・・・・・・・18
  (3)職人としてのこだわり・・・・・20

第2章 御着・・・・・・・・・・・・・・24
 第1節 御着の概況・・・・・・・・・・25
 第2節 山本英輔氏・・・・・・・・・・26
 第3節 柏葉喜徳氏・・・・・・・・・・28
  (1)皮革職人としての人生・・・・・28
  (2)厳しい眼差し・・・・・・・・・30
  (3)皮革研究家としての人生・・・・31

第3章 四郷町・・・・・・・・・・・・・36
 第1節 四郷町の概況・・・・・・・・・37
 第2節 石井盛男氏・・・・・・・・・・37
 第3節 太鼓屋六右衛門・・・・・・・・41
  (1)六右衛門の太鼓・・・・・・・・41
  (2)杉本知明氏・・・・・・・・・・44
  (3)杉本大士氏・・・・・・・・・・45
     ① 祖父の教え・・・・・・・・45
     ② 18代目太鼓屋六右衛門・・46
   
結語・・・・・・・・・・・・・・・・・・50
文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・54


【本文写真から】


写真1 白鞣革の川漬けの様子



写真2 原皮(原料となる毛のついた皮)



写真3 塗装した革をプレス機にかける様子



写真4 染色した革を乾かす様子



写真5 太鼓屋六右衛門の工房内の様子


【謝辞】
 本論の執筆にあたり、多くの方々にご協力をいただきました。お忙しいナカ、皮革の構造や変遷など、ご自身の経験を踏まえてお話してくださった、大垣昌義氏、石井直文氏とご家族の皆さん、山本英輔氏、柏葉喜徳氏、石井盛男氏、杉本知明氏、杉本大士氏、ほか調査にご協力頂いた皆さん。いきなりの訪問でも快く受け入れて下さり、様々なお話をして下さいました。これらの方々のご協力無しには、本論文は完成には至らなかったです。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に、この場を借りて心より感謝申し上げます。大変ありがとうございました。