闇市系魚市場の民俗誌 ―横浜市生麦魚河岸通りの事例―
湯浅 一磨
【要旨】
本研究は、横浜市鶴見区生麦にある魚河岸をフィールドに実地調査を行なうことで、戦後、生麦にできた闇市の様子と、現在、生麦魚河岸通りと称されるまで変貌していった経緯を解明したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。
1.戦前、日本でも有名な漁師町として栄えてきた生麦に、戦時中に制定された食糧統制の影響から、主に魚を取引きした、闇市が発足した。
2.生麦の闇市で取引きされていた魚は、主に生麦の漁師たちが水揚げした魚であり、生麦に住む住人が中心となって闇市は拡大していった。
3.生麦の闇市に魚を買いに訪れる客の中には、群馬県など、生麦から遠く離れた地から来るものも多かった。その理由は、戦時中、東京築地市場など、既存の魚市場が食糧統制のため、魚市場として機能していなかったことがあげられる。
4.闇市があった頃は、生麦から遠方の地に魚を売りに出向く行商人も多かった。その数は、闇市で魚を取引きしていた人数と、同じ数ほどの行商人がいたとされている。
5.生麦の闇市で魚を売っていた人びとは、闇市の頃に、「生麦貝類商業組合」を設立し、生麦にいたそれぞれの魚の商売人が、様々な点で提携していた。このことから、戦後、闇市が解体されてから間もなく、生麦魚河岸通りとして再スタートすることとなる。これは、日本各地にあった他の闇市が新しい市場へと生まれ変わっていった時期より、相当早い時期のことである。
6.生麦の魚市場が生麦魚河岸通りとして、正式な国の認める魚市場となってからは、現在の生麦5丁目にある、旧東海道沿いの一角に、最盛期で160軒もの魚介商が並んだ。しかし、現在は、魚屋の需要の低下や、跡継ぎ問題などの影響から、160軒あった魚介商も、30軒前後の数にまで減少している。
7.生麦魚河岸通りの魚介商には、生麦の隣町である子安(行政区分は横浜市神奈川区)の漁師と取引きしている店もある。生麦の鮮魚商と子安の漁師が取引きする魚は主にアナゴである。これは、1971年に生麦漁業組合が消滅したことがきっかけで、取引きを行うようになったのである。
8.生麦魚河岸通りのそばを流れる鶴見川の河川敷に、貝殻で出来た土地がある。生麦の住民はここを生麦0番地と呼んでおり、2001年まで、多くの生麦の漁師が家屋を構え、生活していた。現在は、鶴見川の護岸工事のため、生麦0番地はきれいな堤防へとかわっている。
【目次】
序章―――――――――――――――――――――――――1
第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1
第2節 生麦魚河岸通りの概況‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2
第1章 漁師町としての生麦 ―戦前の状況― ―――――4
第1節 戦前の生麦 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 4
第2節 第二次世界大戦と食糧統制‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5
第2章 戦後の闇市時代――――――――――――――― 7
第1節 生麦闇市の発生‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 7
第2節 既存市場と生麦闇市‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 9
第3節 生麦闇市と行商‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 10
第3章 闇市から「生麦魚河岸通り」へ―――――――― 13
第1節 闇市の終焉と「生麦魚河岸通り」の誕生‥‥‥ 13
第2節 生麦漁業組合の消滅‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 15
第3節 生麦と子安の漁師‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 16
第4節 後継者問題と今後の展望‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 17
第4章 「生麦魚河岸通り」の鮮魚商――――――――― 24
第1節 「内長」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 24
第2節 「山幾」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 26
第3節 「鈴木」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 29
第4節 「加藤」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 30
第5節 「角和」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 32
第6節 「生豊」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 33
第7節 「貝秀」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 35
第8節 「海老辨」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 37
第9節 「高橋海苔店」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 39
第10節 「かやぎや」の事例‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 40
第5章 生麦0番地 ―――――――――――――――― 51
第1節 生麦0番地の成り立ち‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 51
第2節 生麦0番地での生活 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥52
第3節 鶴見川の護岸工事 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥53
結語―――――――――――――――――――――――― 59
文献一覧―――――――――――――――――――――― 62
生麦魚河岸通りにある鮮魚商「内長」の様子
生麦の鮮魚商と子安の漁師がアナゴを取引している様子
生麦0番地にあった家屋 水上にせり出す形で建てられている
現在の生麦魚河岸通りの風景 盛行期の頃と比べると人通りが少ない
【謝辞】
本論文における調査では、生麦魚河岸通りの多くの鮮魚商の方、生麦の昔の姿を考える会の方など、多くの方の御協力をえることができ、大変お世話になりました。店の営業時間という、お忙しい時間の中、時間を割いて下さり、また快く写真撮ることを許していただいたことに、心よりお礼を申し上げます。また、上記以外の方々にも、調査の過程でお世話になったすべての方にお礼を申し上げます。