シャタクと朝鮮人―加古川市多木製肥所社宅の在日生活誌―
付録 兵庫・岡山における瀬戸内海沿岸部の朝鮮人集落
金里香
【要旨】
本研究は、兵庫県加古川市別府をフィールドに多木製肥所(現多木化学株式会社)のシャタクに暮らした在日朝鮮人たちの生活を解明したものである。主に在日朝鮮人1世、2世への聞き取りをもとに研究を行なった。本研究で明らかになった点は、次の通りである。
さらに本研究を通して明らかになった、その他兵庫・岡山に見られる朝鮮人集落についてまとめたものを付録として記述した。
1.多木製肥所による朝鮮半島の開拓をきっかけに、加古川市別府の地に多くの朝鮮人が移住することとなった。そして勤務者の大量採用により、居住地として多木製肥所本社近くにシャタクが建てられた。
2.朝鮮人が主に住んだシャタクは、それぞれ東シャタク、中シャタク、新シャタクと呼ばれた。それ以外に管理職・事務職に勤める人びとが住むシャタクも存在した。さらにシャタクでは住民たちにより増改築が行なわれた。
3.シャタク住民たちの生業は、工場勤務、土建屋、飲食店営業、送電線工事、畑や庭仕事、廃品回収等といった外部のものと、養豚、ドブロクや飴の密造、米の闇販売等が同時進行で行なわれていた。
4.シャタクでの暮らしは、大人や子供に関係なく生活のために忙しく生きる毎日であった。さらには差別も多く見られたが、朝鮮人として逞しく生きていた。それは結婚や葬儀、祭祀に現れており、朝鮮の文化が色濃く見られた。お互いに助け合いながら暮らす朝鮮人同士の繋がりはとても強く、シャタクや集落内のみならず、町や県を超えた繋がりも多く見られた。
5.多木製肥所とシャタク住民と闘いは2度見られた。一回目は1931年の12月に起きた多木争議で、労働者解雇をきっかけとしたストライキは1週間続き、警官のシャタク襲撃により終わった。2回目は1973年頃、中シャタクと東シャタクを対象に起こされた立退きを求める裁判である。住民たちは裁判対策委員会を組織し、独自の調査を行ない闘った。住民たちは東シャタクの一部土地を得たあと、立退きを命じられそれが転居することとなった。
6.立退き後、シャタク住民たちは比較的近隣に現在も居住している。生活基盤が駅上がった加古川から離れることはあまり見られなかった。そして、シャタク住居時に行なわれた増改築が転居後にも見られるなど、当時の生活は現在にも表れている。
7.その他、兵庫や岡山に見られる集落での暮らしにも、別府と共通した部分が多く確認出来た。朝鮮から渡日してきた彼らによって、日本各地で在日朝鮮人の生活が営まれ、文化が守られ、築き上げられていた。
【目次】
序章 問題の所在―――――――――――――――――――――――――――─―3
第1章 多木製肥所と多木シャタク―――――――――――――――――――――――――――─―7
第1節 多木製肥所と朝鮮人‥‥‥‥‥‥‥‥7
(1)多木製肥所‥‥‥‥‥‥‥‥7
(2)多木製肥所と朝鮮半島‥‥‥‥‥‥‥‥11
(3)朝鮮人労働者の渡日‥‥‥‥‥‥‥‥14
第2節 集落と住居―――――――――――――――――――――――――――─―14
(1)集落‥‥‥‥‥‥‥‥16
(2)間取りと増改築‥‥‥‥‥‥‥‥20
第3節 シャタクの暮らし‥‥‥‥‥‥‥‥23
(1)生業‥‥‥‥‥‥‥‥23
(2)日常生活‥‥‥‥‥‥‥‥30
(3)ネットワーク‥‥‥‥‥‥‥‥35
(4)民族団体‥‥‥‥‥‥‥‥41
第2章 シャタク立退き問題―――――――――――――――――――――――――――─―45
第1節 朝鮮人労働者の解雇‥‥‥‥‥‥‥‥45
第2節 朝鮮人住民たちの戦い‥‥‥‥‥‥‥‥46
第3章 立退き後の住民たち―――――――――――――――――――――――――――─―49
第1節 旧東シャタクの人びと‥‥‥‥‥‥‥‥49
第2節 旧中シャタクの人びと‥‥‥‥‥‥‥‥54
第3節 旧新シャタクの人びと‥‥‥‥‥‥‥‥59
結語―――――――――――――――――――――――――――─―64
文献一覧―――――――――――――――――――――――――――─―67
【付録目次】「兵庫・岡山における瀬戸内海沿岸部の朝鮮人集落」
はじめに―――――――――――――――――――――――――――─―3
第1章 兵庫県―――――――――――――――――――――――――――─―5
第1節 加古川市‥‥‥‥‥‥‥‥5
第2節 高砂市‥‥‥‥‥‥‥‥5
第3節 姫路市‥‥‥‥‥‥‥‥10
(1)N・L氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥10
(2)家島朝鮮初級学校‥‥‥‥‥‥‥‥13
第2章 岡山県―――――――――――――――――――――――――――─―17
第1節 備前市‥‥‥‥‥‥‥‥17
第2節 岡山市‥‥‥‥‥‥‥‥18
結語―――――――――――――――――――――――――――─―22
文献一覧―――――――――――――――――――――――――――─―24
中シャタクの様子
チマチョゴリを着て外出する女性たち
結婚チャンチの様子
【謝辞】
今回の研究において、多くの在日朝鮮人1、2世のみなさまに大変貴重なお話を伺うことが出来ました。それは同時に今まで知り得なかった私のルーツに関するものでした。私のみならず在日朝鮮人3、4世が知っておくべき歴史であり、これからも伝えていかなければならないことも多くありました。インタビューにご協力くださったみなさまだけでなく、一緒にインタビューに参加してくれた友人、紹介してくださったみなさまにも御礼申し上げます。今研究中に息を引き取った私のチュンジョハルモニ(曾祖母)なしではこの論文はありえませんでした。改めてご冥福をお祈りいたします。個人情報を含む内容が多いため、このブログでの謝辞では例外なく匿名での記載とさせていただきました。