関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

アジールとしての「運南地区」―近代神戸の都市民俗誌―

アジールとしての「運南地区」―近代神戸の都市民俗誌―
村川美有


【要旨】
 本研究は神戸市兵庫区和田岬周辺の兵庫運河南部に位置する「運南地区」のアジール(元来「避難所」を意味する。ここでは「不特定多数が集まる一種の聖域で、職を見つけて生活しやすい空間」と定義する)性について、運南地区をフィールドにその実態を明らかにしたものである。本研究で判明した点は、次のとおりである。

1.兵庫運河が出来る前から、和田岬の北側の海岸は「大輪田泊」「兵庫津」「兵庫港」と呼ばれ、日宋貿易北前船によって発展した古代からの港町であった。

2.1858年に結ばれた日米修好通商条約での開港も元々は兵庫港が対象であった。しかし、神戸の入り江の方が便利であると分かり神戸港が開港され、外国人居留地は現在の神戸市中央区に建てられた。

3.新川運河と兵庫運河が出来ると、船の出入りがしやすくなったことから、漁師・造船の街として運南地区は発展する。

4.漁師になるために淡路・四国から来る人や、主に漁師を客としていた新川遊郭には九州から身売りにくる女性が多く集まった。港湾労働者としてやってきた韓国人家族が多く住み着いていたという記録も残っている。

5.明治時代、現ホームズスタジアム神戸には鐘淵紡績会社兵庫工場が、和田崎町には三菱重工業株式会社神戸造船所が建設される。鐘紡には女工鳥取・島根・広島・山口・四国から約3000人招集され、社宅が多く建てられた。吉田町にある社宅は他の住宅と塀で隔たれており、少し異なった生活が送られていた。三菱重工は創業当時、長崎造船所から幹部職員が多く転勤してきており、その後も九州の人や淡路島の人が多く三菱に勤める。特に鹿児島出身、奄美大島の人が泊まる宿舎が近くにあったことから奄美大島出身の人も多い。 またお見合いで結婚をして、運南地区で働く男性に付いてやってきたという他県の女性も多い。

6.笠松通には淡路島出身の人が出すお店が多い。笠松通にある笠松商店街から新開地まではかつて商店街で繋がっており、運南地区に住む人々の生活を支えていた。

7.鐘紡は戦争で工場が焼失し、戦後に化学工場を造ったが今は高砂へ移った。鐘紡の社員診療所は民間の病院へとなったが、病院名は鐘紡病院から神戸百年記念病院へと変わった。三菱重工からは三菱電機が派生したが、2012年造船撤退が決定した。笠松商店街は、アクセスが悪いことから客が減り、今ではシャッターが閉まったお店が多い。かつては300人いた漁業組合も今は25人ほどに減った。街の区画整備が行われ、運南地区の街の様子は今、大きく変わりつつある。

8.このように運南地区には他県から、特に淡路島・四国・九州から職を求めて移ってきた人が多く住んでおり、アジール「不特定多数が集まる一種の聖域で、職を見つけて生活しやすい空間」の性質が間違いなく見られる地域である。


【目次】

序章  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――1
  第1節 問題の所在………………………………………………………2
  第2節 アジールについて………………………………………………2

第1章 近代以前の和田岬―――――――――――――――――――――――――――4
  第1節 兵庫の津…………………………………………………………5
  (1) 古代―大輪田泊…………………………………………………5
  (2) 中世以降―兵庫津………………………………………………6
  (3) 近世から近代へ―兵庫港………………………………………8
  第2節 新川運河と兵庫運河……………………………………………9
  第3節 漁村と造船の街…………………………………………………10
  (1) 兵庫漁業協同組合 5代目組合長―湯本一郎氏の事例………10
  (2) 兵庫漁業協同組合 6代目組合長―糸谷安一氏の事例………13

第2章 鐘紡と三菱――――――――――――――――――――――――――――――22
  第1節 鐘紡………………………………………………………………23
  第2節 三菱………………………………………………………………25

第3章 アジールとしての運南地区―――――――――――――――――――――――39
  第1節 女工の世界………………………………………………………40
  (1) 鐘紡女工―中川つや子氏の事例………………………………40
  (2) 鐘紡病院受付―中村美智子氏の事例…………………………44
  第2節 職工の世界………………………………………………………46
  (1) 三菱重工職工―尾白武志氏の事例……………………………46
  (2) 三菱重工職工―藤井勇氏の事例………………………………48
  (3) 三菱重工職工―菅昌弘氏の事例………………………………48
  第3節 笠松商店街………………………………………………………49
  (1) 松本サチ子氏の語り……………………………………………52
  (2) 小西宏子氏の語り………………………………………………53

結語―――――――――――――――――――――――――――――――――――――73

参考文献・URL一覧 ――――――――――――――――――――――――――――――76



【本文写真から】


写真1 兵庫運河



写真2 鐘紡兵庫工場 『鐘紡百年史』より



写真3 かつて鐘紡兵庫工場があった場所に建つホームズスタジアム神戸



写真4 三菱重工神戸造船所



写真5 笠松商店街



写真6 進む街の区画整備



【謝辞】
本論文は運南地区の人々の経験や思い出話など、語りこそが貴重なデータであり、街の方々のご協力なしに完成は成し得ませんでした。
長時間のインタビューに応じてくださった、湯本一郎氏、糸谷安一氏、中村美智子氏、藤井勇氏、菅昌弘氏、松本サチ子氏、そして沢山の方を紹介してくださった中川つや子氏、様々な資料をご用意してくださった尾白武志氏や小西宏子氏、和田岬福祉センターの方々を紹介してくださった兵庫区まちづくり推進部まちづくり課の大柿健一郎氏に深く感謝致します。そしてご協力してくださった運南地区に住む街の皆様に厚く御礼申し上げます。